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【コラム】単一民族国家の幻想に捕らわれた出入国管理法
亜米利加、ハワイ農場そして革の鞭…。
仁川月尾島(インチョン・ウォルミド)にある韓国移民史博物館を13日訪れた。そこには旧韓国末、米国に発った
移民1世の疲労した生きざまを見ることのできる断片的な資料が展示されている。
砂糖きび農場で働くために1902年に済物浦港を発った102人は、海外移民の開拓者だった。
今でこそ米国に250万人が住んでいるが、当時、米国行きは人生をかけた博打だった。
博物館の壁には米国移民初期に発った7415人の英語名が銅板に細かく刻まれている。
この博物館を訪れたのは「アメリカンドリーム」の主人公ペク・ヨンジュンパコスチール会長(79)の勧誘によるものだった。
今月初め、ソウルへ来たペク会長はたった20ドルを持って1956年に渡米し、今は年間2億ドルの売上をあげる
鉄鋼会社を経営している。
彼は島山(トサン)安昌浩先生の次のような言葉を伝えた。「オレンジをたくさん収穫して、掃除がうまいことが愛国で
独立運動だ」他人が見ないとき、奴隷のように暮らさずに主人の精神を持ちなさいというメッセージだった。
島山先生は1911年9月、ニューヨーク港を通じて入国した。ペク会長は「各国同胞たちのそうした努力があったから、
韓国人を見る世界の見方が特別なのではないか」と強調した。
ペク会長の言葉通り、在米同胞2世、3世たちはすでに米国主流の社会に進入している。
ハワイ州の最高裁判長ムン・デヤン先生(69、米国名、ロナルド・ムン)は、昨年6月、博物館開館式に出席し、
100年前、祖国を去らなければならなかった祖父と母方の父親の名前が刻まれた銅板を撫でて、目頭を赤くしたという。
しかし米国と違い、メキシコ移民は悲劇の種だった。1905年に発った1033人の韓人たちは悪徳ブローカーに
だまされて船から降りるやいなや「債務奴隷」になった。
彼らはユカタンの猛暑と大きなとげのあるエネケン(葉が広いサボテンの一種)農場で4年間、地獄のような強制労働に苦しんだ。
サボテンのとげに刺されて重労働に苦しみ、飢えと暴力に震えて疲労のたまる毎日だった。移民者の大多数は現地社会に同化して、
一部はキューバ行きを選ぶ。80年代後半にはメキシコ移民が正常化されたが、同胞数は1万5000人にとどまっている。
法務省は12日、国籍法改正案を発表した。
兵役義務を果たせば、外国国籍を持った韓国人に対して重国籍を許容する内容だ。
遅くはなったが、良い決定だ。海外出張で同胞たちに会ってみると、韓国政府は国民数を減らそうとしていないか疑わしい時が多い。
香港特派員時代、知人が息子の兵役問題で悩むのを見た。すでに香港市民権を取った時点で韓国に帰って入隊しろと強要したら、
息子の進路も定まらなくなり、父子関係も悪くなったという吐露だった。
一家族が韓国籍を放棄するか悩んだ末、彼はどのような決定を下しただろうか。
しかし国籍法よりもっと鎮火を急ぐべき足元の火がある。1つ目は「単一民族国家」の幻想に捕らわれている出入国管理法だ。
2つ目は「コリアンドリーム」を夢見る外国人に、がっちり閉ざされている移民の門戸だ。3つ目は色によって待遇を異にする人種差別だ。
これをいっぺんに示す事例は無数だ。中でもイギリス国籍を持ってオーストラリア関連ビジネスをする50代の白人Kさんの話には
恥ずかしくなった。「私が出入りするときは何の問題ないのに、私の妻になった若いフィリピン女性は必ず空港でつかまる」
というのだった。それとともに「韓国こそ人種差別が最もひどい国」と指摘した。
URLリンク(japanese.joins.com)
>>2に続く