09/10/05 00:26:49
景福宮にも秋の着色が始まっている。北の端、乾清宮に入った。高宗(コジョン)と閔妃(ミンピ=
明成皇后)が暮らした所だ。1895年10月8日明け方、閔妃は玉壺楼(訳注:乾清宮内の皇后の
寝室)で悖倫無道の刃物に倒れ、鹿山(ノクサン)の丘で火に焼かれたという。44才だった。
玉壺楼の前に立つと王妃と女官の悲鳴が聞こえてきた。垣根の向こう側、鹿山を眺めると王妃を
乗せた煙がきれいな秋空に昇っていた。114年の間、彼女の恨が極に達した魂はどこに留まった
のだろうか。朝鮮総督府と駐韓日本大使館の上を飛び交ったのだろうか。でなければ玄海灘を渡
って東京の天皇宮を見下ろしたのだろうか。
日本の軍隊・警察・外交官・浪人数百人が主権国の王宮に乱入して王妃を殺害し、死体を焼いた。
例えるならヨーロッパのある国家の兵士・浪人合同部隊が英国やフランスの王宮に侵入して王妃
を刺殺したのだ。無理に例えようとするなら中東のある国家がテロリストの群れをホワイトハウス
に侵入させて米国のファースト・レディーを暗殺し、死体をローズ・ガーデン(Rose Garden)で燃やし
たのだ。それでどうなるだろうか。加害国の責任者が謝罪の一言もなく、114年を持ちこたえること
ができるだろうか。
閔妃殺害は陸軍中将出身の三浦梧楼(みうらごろう)駐韓日本公使が企画・指揮した。そして日本
の「インテリ浪人」らが刺客であり、日本の軍隊・警察が宮廷に突入した。大院君(テウォングン)と
一部の朝鮮軍訓練隊が乱入に加勢したが、これは日本が暗殺をクーデターに偽装しようと企画し
たものだ。全権大使であった駐韓日本公使が中心であったし、軍隊・警察が加担したのは明らか
に日本帝国の国家犯罪に違いない。
明治天皇や伊藤博文総理大臣が問責すると考えれば、三浦公使がそのような問題を起こせるだ
ろうか。日本の指揮部の誰かが閔妃殺害に関与したかは分からない。だが少なくとも三浦は本国
が自分の「偉業」を追認すると確信しなかっただろうか。三浦は伊藤総理に事件報告書を送っ
た。イ・チョンガク前東亜日報記者は著書『刺客・高永根の明成皇后復讐記』で日本外交文書第
28冊第1本にある三浦の報告をこのように引用する。「私たちの勢力を維持し、当初の目的を達
成するために、やむを得ずこのようなことをするに至ったこと、その前後の事情をよくご確認下さ
い。」三浦と浪人など加担者48人は広島監獄に投獄されて裁判を受けた。しかし全て証拠不充分
で釈放され、少なくない人が出世街道を走った。代表的な例では漢城(ハンソン)新報社長安達
謙蔵(あだち けんぞう)は14選議員から内務大臣にまでなった。
直接刃物を振り回した刺客らの子孫2人が2005年5月、韓国を訪れた。彼らは明成皇后(閔妃)
の墓・生家と乾清宮を訪れ謝罪のお辞儀をして涙を流した。日本浪人20人余りは熊本県出身だ。
そちらでは心ある日本人たちが「明成皇后を考える会」を作って住民に閔妃殺害という歴史的誤り
を教えている。こういう勇気ある日本人たちを見て日本という国家に問わざるを得ない。日王や総
理から政治家・官僚に至るまで、誰が日本政府の責任を認めて謝罪したことがあるのか。日本の
歴史教科書は大部分、閔妃事件を扱わないでいる。ある国家指導者が出て「隣国の王妃をところ
かまわず突き刺した逆天の罪を育つ世代に教えなければならない」と叫んだことがあるのか。
1895年の閔妃殺害は韓国・日本の次元を越えてどの文明国家でも見られない世界史上の野蛮だ。
鳩山総理は友愛を前に出す。彼は李明博(イ・ミョンバク)大統領に「日本は歴史を直視する勇気
がある」と話した。彼が9日、韓国に来る。彼は自分の言葉通り、閔妃殺害を直視して謝罪する勇
気があるのか。李大統領は来年に日王の訪韓がなされることを希望した。いつか来れば私は日
王が景福宮に近い城北洞駐韓日本大使官邸に泊まったら良いだろうと思う。閔妃の悲鳴が聞こ
えることがあるように…。
論説委員・政治専門記者キム・ジン記者
URLリンク(news.joins.com)
ソース:中央日報(韓国語) [キム・ジンの時々刻々]鳩山、閔妃の悲鳴が聞こえるのか
URLリンク(news.joins.com)
関連スレ:
【書籍】 明成皇后の怨み晴らす~「刺客・高永根の明成皇后復讐記」韓国で出版[09/02]
スレリンク(news4plus板)
前スレ:スレリンク(news4plus板)
★1のたった時間:2009/10/04(日) 21:50:01