09/10/04 15:23:49
マッコリ(どぶろく)が人気だ。販売量が著しく増えている上、輸出も好調だという。特に日本の若い
女性たちが好むとのこと。こうしたマッコリの浮上に何気なく気分がいいと感じる人が多い。愛国心からか
「マッコリ=伝統」という図式が頭に浮かんでいるはずだ。
ところで誰よりもこれを喜ぶと思った韓国伝統酒研究所パク・ロクタム所長(51、写真)は錯雑した
表情だった。「IMFのときもそうだった。マッコリ人気に、天地開闢といった雰囲気だった。しかし違った。
わずか数年で消えてしまった」と述べた。
彼は韓国の伝統酒に一生を捧げた人だ。きっかけは小さなことだった。全南海南出身である彼は
光州の大学に通った。たまに帰宅するときには父親に必ず酒1本を買って帰った。「下宿代をもらいに
行く身分なのに2万ウォンのジョニーウォーカー1本を買って帰った」とし「酒代が負担だった」と話した。
当時、自己救済策として浮上したのが伝統酒だった。洋酒より安かったからだ。ちょうど学校には地方
から来た友達が多かった。「君たちの故郷に、土産にいい酒はないか」と尋ねては、直接釀造所を尋ね
て買って帰った。
大きなビン1本に4000ウォン程度で買えた伝統酒を父親は洋酒より好んでくれた。「飲んでから体が
さっぱりしていい」と言っていた。それで知るようになった伝統酒の世界だった。次第に直接作ってみたいと
いう欲が生まれた。しかし容易ではなかった。「米の量に比べて酒はできないし、できても麹のにおいだけ
がぷんぷんにおっていた」と話した。
その後、伝統酒の製法を学ぶために全国を歩き回った。技能保有者たちを頼って製法を学び、製造
全過程を写真に撮って資料として残した。1990年、月刊「食生活」の記者生活を始め、彼の伝統酒
の取材は“業”になった。
「体系化された製法がなかったんですよ。教授たちの立てる理論が現場では訳に立たず…。技術の
伝授がきちんとできるわけもないんですね。済州カンスルや珍島パクムン酒のように作った方が亡くなり、
復元ができない酒も数多くあります」
また、家で酒を仕込んで飲んだ「家釀酒」文化が、日帝強制占領期間を経て断絶されたのだ。
1909年、個人が酒を仕込むことを禁止する「酒税令」が公布されたのだ。酒を仕込むには官庁に
申告をしなければならなかった上、酒には高い税金がかけられ始めたのだ。税金賦課方式により、酒の
種類も薬酒、濁酒、焼酎、日本清酒に単純化された。光復後にもうした政策は維持された。
「密かに酒を仕込んで飲むようになり、質はますます落ちました。マッコリを早く発酵させるために麹をたく
さん入れた上、焼酎も早く蒸溜させるために火を強くしたんです。そのため黄ばんだ色に麹のにおいの
ひどいマッコリ、こげたにおいのする伝統焼酎ができるようになったと思われます」
そして残念なことにそんな「低質」な酒が、韓国の伝統酒の典型のように受け入れられたこと。残念な
ことに学界でもそうだという。
「伝統酒には芳香があります。材料から出る香りではなく穀物と麹の発酵過程でできる香りですね。
桃やいちごを入れなかったのに桃の香り、いちご香りのするものです。ところで10余年前“伝統酒の香り
は麹のにおい”というのが学界の定説だったです」
話はまたマッコリに戻る。彼は「今、マッコリは韓国伝統のマッコリではない」と主張する。「我々の酒は
麦麹で糖化と発酵を同時にさせるが、日本酒は米麹を入れて糖化だけさせ、酵母を別に入れて発酵
させる」という説明をした。酵母で速成発酵をさせるだけに日本酒は早くできる。酒税を取りたてる立場
としては早くできる酒こそ立派な酒だ。
(>>2-5あたりに続く)
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