09/09/19 09:47:18
■「悪いのは法律やろ!」
「お前ら大島の何を書くんや。どうせ面白おかしく書くだけやろ。大島も商工ファンドも悪うない!悪いのは全部、法律やろ!過払いの
問題かて、無茶苦茶や。そのことを追及するのが先やろ」
本誌記者の質問を遮り、こう憤慨して社長室を出て行ったのは、商工ローン大手・日栄(現ロプロ)の元社長、松田一男(86歳)だ。
SFCG(旧商工ファンド)元社長の大島健伸(61歳)に、その商売のノウハウをかつて伝授した人物でもある。
(中略)
'48年、在日コリアン2世として大阪で生まれた大島が、一族とともに上京してきたのは、2歳の時のこと。7人兄弟の長男だった大島は
幼い頃、ガリガリに痩せて体が弱かったという。
(中略)
中学受験では慶応義塾中等部と普通部、立教中学校を受験したものの、不合格。結局、明治大学付属中野中学校に入学する。
小柄な体格を改善するため、毎日メザシ10本を食べ、牛乳6本を飲んでカルシウムを多く摂る傍ら、水泳部に入部。その甲斐もあって、
高校に進学した頃にはガッチリした体格に変貌した。明大以外への進学を目指す「選抜クラス」にも籍を置き、すっかり自信を得たためか、
いつしか病弱で気弱だったかつての面影は消えていた。同級生が話す。
「気が短い一面があり、友人たちと冗談を言っているうちにムキになって、口ゲンカに発展することもあった。常に自分の考えを押し通し、
曲がったことが嫌いな性格で、それはのちの商売にも影響しているんじゃないか。いくら高金利でも契約した以上、相手がどうなろうとカネは
回収する。それは大島にとって当然の『正義』なんでしょう」
自らの正義に従い、債権回収に迷いを見せなかった大島は、それを証明するかのようなエピソードをSFCGの部下に好んで話していたという。
同社の元幹部が語る。
「大島からよく聞かされたのは、暴力団幹部に貸したカネを回収に行った時の話です。ローンの返済を断られた大島は奥深い山に連れて
いかれ、自分を埋める墓穴を掘らされたあと、ピストルを向けられて『殺してやる』と脅された。けれど、その暴力団幹部にこう言い放ったそうです。
『俺の命がなくなっても、俺の魂はお前に貸したカネはあきらめない』。これを契機に、その幹部に認められ、娘さんの結婚式にも呼ばれたと。
『俺はたとえ暴力団が相手でも体を張って回収してきたんだ。お前らも頑張れ』というわけです」
(中略)
■東証一部に上場した秋に
大学を卒業後、三井物産に入社した大島は、東京本社の電気機械部重電輸出三課に配属される。だが、同社では大島の個性が
存分に活かされたとは思えず、むしろ挫折を味わったようだ。
大島は商社マン時代に残した数々の功績を、社内向けの自伝『2010年 ザ・パワービジネス』に綴っている。ところが、本誌の取材に
応じた元上司たちは、一様に首を捻るのだ。
大島は入社3年目の時、社内の海外修業生に応募。アメリカ、イギリス、フランス、インドネシア、ブラジルのうち、大島はイギリスを
第一志望に決めた。
<海外修業生の試験の受験生は200人ほどいました。筆記試験と面接の結果で合否が決まります。筆記テストは、さいわい、私が
トップで合格しました>(以下、< >内は自伝からの引用)
しかし、大島は面接試験の結果、イギリスではなくインドネシアかブラジルに行くよう通達される。
イギリスに行けなかった理由について、大島は面接の時、具体的なビジョンを常務役員に示し過ぎて、生意気に思われたためと釈明
している。しかし、当時を知る大島の直属の上司は、次のように明かすのだ。
「修業生試験に200人中トップで合格したというのは、大島が社内向けの自伝に書いた演出でしょう。当時、海外留学の修業生は、
地域ごとに募集していたんです。彼はイギリスの修業生枠に応募したけど、その枠に入れなかった。
それで2度目の挑戦でインドネシアに応募した。そこではトップ合格でしたよ。応募者が1人しかいなかったんだから」
(以下略。全文は週刊現代誌面でどうぞ)
ソース(週刊現代 10/3号 152~155ページ) URLリンク(online.wgen.jp)