09/09/18 02:16:05 qIAGNuAo
>>223
京都は公家と町民(大部分は農民)との間に第1の身分の差があり
その反動で町民からする町民と穢多、非人の差別もはっきりしてたんだと
一方、江戸は武家と町民との間の問題でもちろん身分の差はあったはずだが
江戸の町中では町民の大半が納税しない商人で身分の差をはっきりさせる必要性がなく
さらに江戸にはかなりの数の馬がいたことから皮革業を営む穢多は比較的裕福で
非人の中にも無宿と呼ばれるもとは武家や町民だった非人も多かったそうな
本来の非人である役者や河原芸者は町人の人気者だったしね
江戸に部落がなかったわけじゃないけれど賤民の定着性が京都に比べて薄く
しかも江戸の商人は仕入れの関係で賤民地域に近寄らないわけにはいかなかったそうだ
穢多・非人の数は京都よりむしろ江戸のほうが多かったそうだが
とくに町民と賤民の隔離感は京都に比べて乏しかったらしい