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「飢饉(ききん)に洗脳教育、そして差別に拷問。どこが『地上の楽園』だ。楽園でなく地獄だった」。大阪府八尾市在住の脱北女性、
高政美(コジョンミ)さん(49)は、怒りの矛先を帰還事業を支援した在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)に向けた。大阪地裁で慰謝料
など約千百万円の損害賠償を求めて係争中。「うそで人生を狂わせ、それで許されるのか」
高さんの左肩には大きな刺し傷がある。拷問で受けたのではない。「自らの右手ではさみを握り、刺したあと」という。高さんは、2000年11月
に中朝国境の鴨緑江を渡って脱北。しかし、中国から日本への渡航に失敗。2003年1月に北朝鮮に強制送還され、その途中に「抗議の
自殺」を図った。
「血が噴き出て、もうろうとしたところまでは覚えている。だけど死ねなかった。留置所に入れられ、殴る蹴るされて、脱北計画について
取り調べられた。何度も気絶した」と高さん。「顔かたちは変わってしまい、昔の顔ではない。歯は抜かれて、これは全部、入れ歯」と前歯を
指さした。
肉体的にも精神的にも、極限まで痛めつけられた影響か、眠れない毎日が続く。眠れても、悪夢にうなされる。「でも私はまだ幸せな方。
生きて脱北できたのだから」
訴状によると、高さんは3歳だった1963年に一家で北朝鮮へ。両親は韓国・済州島出身だったが、父親は早世。3人の子どもを抱えて
経済的に困窮していた母親が、「北朝鮮に行けば心配なく生活できる。食料は十分あるし、仕事も住宅も与えられる」と繰り返し説得され、
帰国を決心した。
ところが、連れて行かれた北西部の新義州で、母親を待っていたのは朝から深夜までの労働奉仕。兄は「日本に帰りたい」と口にして、
精神科病院に収容され、栄養失調と、床は汚物だらけの劣悪な環境に耐え切れずに亡くなった。
高さんが人民学校に通うようになると「チョッパリ」と日本人の蔑称で呼ばれて差別され、服を脱がされたり、破られたりといじめられた。
(中略)
「帰還事業は在日朝鮮人を『労働者』や『金づる』として利用しようとした北朝鮮による誘拐事件。朝鮮総連は虚偽の説明でそれを
実行した。まだ、北朝鮮に残っている人がいる。人の命がかかっている問題なんです」と高さん。「裁判は脱北に成功した者の使命。
死ぬまで戦います」
帰還事業とは一体、何だったのか。非政府組織(NGO)「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」の幹部で大阪経済大学准教授の
山田文明氏は「北朝鮮は労働力を欲し、在日朝鮮人に目を付けた。日本でも在日の問題が顕在化していて、日本政府はそれに応じた、
という経緯がある」と話す。
実際、在日朝鮮人は差別の対象で生活は苦しく、公的援助の受給者も多かった。また、左翼的思想を持ちがちで、東西冷戦下では、
半ば厄介払いでもするかのように「在日を追い出そう」という空気があったという。
(中略)
一方、朝鮮総連はこの裁判について「同じような訴えを棄却した判例がすでにある。訴えは同胞社会と日朝関係に害を与える以外の
なにものでもない」とコメントした。
その裁判は、62年に脱北したソウル在住の男性が01年6月に、朝鮮総連に損害賠償を求めて東京地裁に起こした。だが、脱北してから
39年が経過して「損害賠償請求権が10年の時効で消滅している」と棄却、敗訴が確定している。
だが、高さん側は「日本の在外公館に保護されたのは05年3月で、この提訴では時効は成立しない」との立場だ。
また、朝鮮総連は在日朝鮮人に帰国を促すと同時に、帰国の準備のために朝鮮語教育などを実施していた。また、日本に残した資産は
朝鮮総連が管理、処分していた実態から、高さん側は「帰国者と朝鮮総連の間には何らかの契約があったとみなされる」と主張する。
(中略)
ただ、この裁判の難しさは、帰国事業が始まった当時、日朝両国の思惑に加え「在日朝鮮人は人道上、北朝鮮に帰すべきだ」という理屈に、
多くの政治家や文化人、さらにはメディアまでもが疑問を持たず、帰国者の背中を押した、という事実があることだ。
(以下略。全文は東京新聞紙面でどうぞ)
ソース(東京新聞 9/7付 こちら特報部) URLリンク(www.tokyo-np.co.jp)