09/08/18 08:15:11
志賀直哉(1883~1971年)の代表作『暗夜行路』は前・後編で文庫本の564ページにもなる長編だ(新潮文庫版)。久しぶりに読んで
韓国(朝鮮)に関する記述があるのに気づいた。
主人公の時任謙作(ときとう・けんさく)が旅行で短期間、韓国を訪れる。
「謙作は朝鮮では余り歩かなかった。開城から平壌へ一泊で出かけた以外は、或(あ)る晴れた日、お栄と清涼里の尼寺に精進料理を食いに
行った位のものだった。途中山の清水の沸いている所で朝鮮人の家族がピクニックをしているのを見かけた。白髯の老人が何か話している、囲りの
人々が静かにそれを聴入っている、長い物語でもしているらしかった。昔ながらの風俗らしく、見る者に何か親しい感じを与えた」
後は古宮や夜店を見たり螺鈿(らでん)工芸品を買ったり。高麗焼研究家の日本人から聞いた話として、手伝いの朝鮮人の若者が死刑に
なった話も紹介されている。鉄道敷地の買い上げ問題で日本人役人に裏切られ、日本への復讐(ふくしゅう)のためあらゆる悪事をはたらいた
という話。抗日独立運動家の話というわけでも必ずしもない。
記述はわずか2ページ半。『暗夜行路』は私小説だから志賀直哉の韓国(朝鮮)体験である。作品の発表は1922年(大正11年)で日韓
併合から10年以上たっている。
『城の崎にて』でも分かるように、志賀直哉の風景描写は詳細をきわめている。『暗夜行路』でも京都や尾道での生活をはじめ主人公の旅先
の話は詳しいのに、韓国の話は実にあっさりしている。観光旅行にもなっていない。興味をそそられたフシがないのだ。
そういえば夏目漱石(1867~1916年)にも『満韓ところどころ』という旅行記があって、韓国のことが出てくる。日韓併合前年の1909年、
明治42年の作品だが、ここでも在留邦人に歓迎され食事をしたといったことなどが中心で、韓国(朝鮮)そのものの話はほとんど出てこない。
満州からの帰路、韓国にはちょっと立ち寄ったという感じではあるが、漱石にも興味をそそられた風がない。
漱石には「満韓旅行後のインタビュー」というのがあって、最近、それを知ったのだが、そこにはこうある。
「満韓を遊歴して見ると成程(なるほど)日本人は頼もしい国民だと云(い)ふ気持ちが起こります。従って何処(どこ)へ行っても肩身が広くって
心持ち宜(よ)いです。之に反して支那人や朝鮮人を見ると甚だ気の毒になります。幸ひにして日本人に生まれていて仕合わせ(幸せ)だと
思いました」
韓国(朝鮮)が日本の文豪たちの興味をそそらなかったのは、福沢諭吉(1835~1901年)の「脱亜論」の流れかもしれない。近代日本を
方向づけた「脱亜論」というのは、いわば「アジアと付き合うとろくなことはないからアジアは友とせず西洋に向かおう」という話だ。
それで成功した日本はその後、韓国(朝鮮)の併合・支配や、中国大陸および東南アジア支配という「入亜」で敗戦・降伏し亡国の憂き目に
遭う。そこで戦後はもう一度、親米・従米という「脱亜」に戻り、今、米国の後退と中国の台頭・韓国発展などを目の当たりに新たな「入亜論」
が出ている。
政権目前の日本の民主党にも「東アジア共同体構想」など「入亜論」の雰囲気があるようだ。「アジアとどう付き合うか」-日本にとっては重要
な選択の時期になっている。
ソース(MSN産経ニュース) URLリンク(sankei.jp.msn.com)