09/08/13 12:47:25
日本ではののしったり争う声をなかなか聞くことができない。かなりのことをそのまま譲歩し、堪えて
他人と言い争うことを敬遠するためだ。そのためかは分からないが日本の悪口はその種類があまり
に少ない。悪口だけを見れば、確かに日本は紳士淑女だけが生きている国らしい。
日本は「侍文化」のせいなのか、悪口といえばせいぜい、「バカ(パボ)なヤツ」という「バカヤロウ」、
「けもの」という「チクショウ(畜生)」、「こいつ」という「コノヤロウ」程度で、私たちの悪口文化とは量と質
のすべてで比較にならない。
多分この点は私たちの「ソンビ(士民)文化」、すなわち言葉文化の恩恵(?)かも知れない。ソンビは
刃物の代わりに言葉でみな片づけ、日本は言葉の代わりに刃物で片付けるから、誰かが韓国は「恨
(ハン)の文化」、日本は「怨(オン)の文化」といったが、これもまた韓日文化の特徴をよく表現してい
るようだ。
余談だが、私が大阪韓国総領事館に勤めていた時、韓国から出張にきた血気盛んな人物が酒を飲
み過ぎたあげく日本語で「こいつら、みな殺しにしてやる」といったところ、あっという間に酒場のお客さ
んらがみな消えた。後ほど分かったことだが、この人は空元気でした話なのに日本の人々はそれを本
当に恐れたためだった。実際に日本の人々は話より行動が先行し、私たちはただ話の大砲だけよく
撃つ。
それでは悪口は良いことであろうか、悪いことであろうか?私は日本のテレビ番組を見て、いつも疑
問に感じるのは「どうしてあのように毎日毎日、数十人を殺す内容を作るのだろうか」ということだった。
すべてのテレビ番組がすべて自殺、殺人、怨恨をテーマにしているのは恐らく日本の怨と何らかの相
関関係があるのではないだろうか?でなければ視聴者を意識した行き過ぎた競争が産んだ産物であ
ろうか?
反対に我が国のテレビ番組は涙を流して寂しがる場面、胸がじーんとするその何かがなければ「唐辛
子が入っていないキムチ」のように気が抜けたように感じるだろう。愛して、悲しんで、懐かしがって、
切なくて、そしてハッピーエンドで終わる「冬のソナタ」のようなものだ!
ところで人が生きているならば良いことばかりではない。憎いこともあり、胸が痛いことも多いが、そ
れでもいくら憎くても殺しまでするのはちょっとひどいのではないか?いっそ思い切り悪口でも言って、
解いてしまう方がはるかに人間的でないだろうか?とにかくこの頃の世の中に最も力のある先生は何
といってもテレビのようだ。昔は「教育の3要素」といえば「家庭、学校、社会」だったが、現代は「学校、
テレビ、指導者の言動」ではないか?
「一匹の羊が率いる100匹のオオカミは、一匹のオオカミが率いる100匹の羊に敗れる」と言うナポレ
オンの言葉を借りるまでもなく、現代社会において指導者の言動の波及効果は計り知れない。
慶一大総長・イ・ナムギョ
ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩32]韓日の悪口文化..
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