10/05/23 05:43:18 suGhyxoA0
AKB48ブレイク・ヒストリー BONUSTRACK#2
センターとしての責任。松井珠理奈の場合
2008年10月。
AKB48が長い長い停滞期を迎えていた頃、「AKB48の目の前にある暗雲を吹き払う」という大きな“役目”は
あるひとりの少女に託された。
少女の名前は松井珠理奈。当時11歳。AKB48の妹グループ、SKE48の一員だった。総合プロデューサーの
秋元康をして“ダイヤの原石”“天才少女”と言わしめた松井だったが、しかし心の中では大きな不安と戦っていた。
当時、劇場デビューすら果たしていない少女は10月22日発売のAKB48のシングル曲『大声ダイヤモンド』の
センターとして大抜擢された。そして、SKE48が活動する名古屋から東京までレッスンのため通っていた。
一方、時を同じくしてSKE48も10月5日に名古屋の劇場デビューが決定。メンバーは初日に向かって
レッスンを続けていたが、そのセンターには松井珠理奈の姿がない日が続いた。
松井珠理奈にとってSKE48は家族と同じくらいに大切な場所。なのに、SKE48のためのレッスンができない。
そんなジレンマを抱えながら、SKE48は初日を迎える。
松井「当日、本当に不安でパニックでした。お腹も痛いし、一番練習できていないのにセンターだったし」
ステージに立つプレッシャー。その重さに耐えきれなくなった松井はリハーサルで立っていられなくなり、そのまま起き上がれなくなってしまう。
松井「本当に苦しくて苦しくて・・・もうダメだって思いました。SKE48のスタッフさんも『無理じゃないか』って言っていて、
結局『3曲だけ出よう』っていう話になったんです」
楽屋で横になる松井の体が回復しないまま、開演時間が近づいてくる。そんな劇場に秋元康が到着した。
松井「秋元先生がいらしゃったと聞いて、先生のいる部屋に行ったんです。そしたら先生が『珠理奈、出るよな?』
っておっしゃったんです。その時に『ああ、センターってそういうことなんだ』って現実を知ったんです。もう『はい・・・』としか言えなくて、
そのまま楽屋に帰って大泣きしました。すごく辛かったけど・・・でも、あの時、自分がセンターだっていう“自覚”
みたいなものを意識したのかもしれません」
それは、わずか11歳の“救世主”が生まれた瞬間だった。