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>>1の続き
現在、ヴィッセル神戸で活躍する朴康造はプロ3年目に京都サンガを解雇されて韓国に渡り、Kリーグの城南一和に
移った。文化の違いと上下関係の厳しさに、Kリーグでの3年間は「永遠のように思えた」と振り返る。試合前の
国歌斉唱で歌詞がわからず口ごもると、「国家に対する冒涜だ」と非難され、代表初ゴールでカズダンスを真似ると、
「日本を崇拝している」と非難された。でも、日韓の価値観をすり合わせ、プロ選手としての基礎を韓国でつくる
「一度は終わりかけたサッカー人生を救ってくれたのが国籍でした。僕にとって国籍は、自分を救ってくれた
恩人のようなものです」と語る。
ベガルタ仙台の梁勇基は大阪朝鮮高級学校から阪南大に入学した時の心情を、「最初はめちゃくちゃ不安が
ありましたよ。それまで在日社会だけで育ってきたから、日本人ばかりの世界に飛び込むのは初めてじゃないですか」
と吐露する。だが、周囲の日本人は拍子抜けするほど、普通に接することに気づかされる。それは他の選手にも
共通する感覚だといい、日本社会に在日が馴染んできている表れなのかもしれない。ただ、国籍を韓国から日本に変えて
北京五輪に出場したサンフレッチェ広島の李忠成は、「結婚するなら絶対、在日がいいなあと思っているんですよ」と言う。
「やっぱり同じ価値観、喜びや悩みを共有できる在日のほうがいいかなあって。生まれてきた子供は日本籍になるけど、
しっかり教えてあげたいと思っています。ルーツはどこで、祖先たちは日本でどのように生きてきたのか」
国籍とは何か。祖国とは何か。それぞれが考え抜くのが在日という立場だ。延世大学時代のあの若者たちも、
語り明かせば、「自分は日本人でもなく、韓国人でもなく、要は在日なんですね」という結論に到達する人が多かった。
そういう人々が日本には今も数十万人いて、社会の構成員をなしている。語弊を恐れずにいえば、その大方はすでに、
朝鮮半島に行けばむしろ身の置き所に困惑しがちな「朝鮮・韓国系日本人」とでもいうべき存在となっている。
>>4以降に続く