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第82回センバツ第7日の29日、興南(沖縄)に敗れた智弁和歌山(和歌山)の高嶋仁監督(63)は2月、
がんに倒れた熱心な智弁和歌山ファンの男性を見舞っていた。6日前の勝利直後、男性は息を引き取った。
前人未到の甲子園60勝目の報告はできなかったが、再挑戦を誓った。
この男性は3年前から闘病する和歌山県太地町の鯨漁師、寺西次男さん(79)。今月23日、数日前から
自発呼吸ができず、意識のない寺西さんのベッド脇のテレビは、高嶋監督の甲子園最多勝利を伝えていた。
近くには2月に見舞いに来た高嶋監督のサインボールを飾っていた。
肺がんだった寺西さんは手術で回復、一時は漁に復帰したが、09年5月にリンパ節への転移が判明。
体重は10キロ減り、1月に入院してからは話をする気力も失った。心配した友人の水産加工業、
由谷(ゆたに)章さん(41)が学校を通じて訪問を依頼。高嶋監督は「ファンの役に立つのなら」と快諾し、
練習に影響しないよう午前5時に自宅を出て病院のある和歌山県新宮市まで3時間車を走らせた。
「情熱と男気がある」と10年前から監督のファンの寺西さんは「すぐに良くなってセンバツに応援に行きます」と
家族も驚くほど元気に話した。しかし23日、智弁和歌山の校歌を球児らが歌い終えたその時、心停止を示す
「ピー」という心電図の高音が響いた。
「亡くなる前に勝った姿を見せられてよかった」と話していた高嶋監督。29日の試合後「熱烈なファンでした。
また甲子園に出たら、見ててくれると思う」と天を見上げた。
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