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サッカー日本代表の主力MF中村俊輔が、8年に及ぶ欧州生活に別れを告げて帰国した。
イタリアを経てスコットランドでは輝かしい実績も残したが、夢見たスペインへの挑戦は
7カ月で終わった。帰りの飛行機では「結果を残せなかった悔しさを感じた」と言う。
昨年7月、バルセロナ空港に降り立った中村は数百人のサポーターに熱烈な歓迎を受けた。
エスパニョールのポチェッティーノ監督は「非常に優れた選手で即戦力になる」と話し、
現地報道もスター扱いで取り上げた。
開幕前の練習試合では活躍を予感させるプレーも見せた。全国紙ムンドの記者は
「十分やっていけると思った」と言う。だが「それっきり。チームに溶け込めず、記者と話さず、
何を考えているか分からなかった」と話す。
通訳が不在で周囲と意思疎通を欠き、徐々に孤立を深めた。郊外の高級住宅地に居を
構えたことで「バルセロナの街になじむ気がない」と見る向きも。監督やメディアからは
適応力の欠如を指摘する声が上がり始めた。
エスパニョールはカウンター戦術から、パスをつなぐサッカーへの転換を目指し、
その不可欠な駒として中村を獲得した。だが、主将DFの急死や主力MFの故障など
誤算の連続で方向性が狂い、結局は個人の突破力に頼る力技に終始した。
連係の中で才能を発揮する中村は、ピッチ上にも居場所がなかった。リーグ戦フル出場は
23試合中わずか3試合。1ゴールも奪えなかった。
かつてFW西沢明訓も指導した元エスパニョール監督のフロレス氏は「西沢は私とよく話し、
街で遊び、選手に溶け込んでいた」と中村との違いを口にした。
その上でポチェッティーノの手腕にも疑問を呈し「新しい選手の起用法を見いだせない。
中村に力を発揮させる努力がない」と指摘した。
横浜で監督経験を持つデラクルス氏は「スペインで通用しないはずはなかったのに」と惜しむが、
6月に迫ったワールドカップ(W杯)を前に実戦感覚が鈍るのは避けたかった。
1月から代理人は水面下でJリーグ復帰を模索。愛着の深い横浜への復帰は自然な流れだった。
「新しい挑戦」と意気込む中村がJリーグで再出発する。
ソースはURLリンク(www.sponichi.co.jp)