10/02/27 14:08:01 0
(前半略)
初出場の前回06年トリノ五輪では成長期にストレスが重なり、体重3キロ増で臨んだ本番は代名詞の4回転
ジャンプの失敗もあって15位。その後も「ジャンプの安藤」の異名に苦しんだ。
昨年の世界選手権。高難度の連続3回転ジャンプを決意したが、ニコライ・モロゾフ・コーチ(34)は回避を選択。
「絶対に跳ぶ。また逃げたといわれたくない」と号泣した。
「信じないならリンクサイドに立たない。答えが出たら部屋に来なさい」。マッサージの30分間にじっくり考え、
師の部屋のドアをたたいた。「ニコライを信じる」。結果は2大会ぶり2度目のメダル。「ジャンプだけがフィギュア
じゃない。割り切れた」。
この日はSPでミスした連続3回転ジャンプを回避。3回転-2回転に変更し成功させた。「コーチと気持ちを
一つにがんばれたかな」。左手薬指にはおそろいの指輪。二人三脚の道は間違いではなかった。
五輪の最初の記憶は98年長野。10歳だった。数年後、祖母が録画しておいたビデオで荒川静香を見た。
「日本にも五輪に出る選手がいるんだ」。その舞台に2度立った。
「3度目の正直というのもいいかなと。4回転挑戦? そのときがくれば。でもまずは(3月の)世界選手権がんばら
ないと」。4回転を成功させてのメダル獲り。夢はまだ終わらない。
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