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(>>1の続き)
いったん自治省に帰るが再度大分を希望、94年に大分FC発足に参加し、
96年にゼネラルマネージャーとなった。03年に当選した広瀬知事は
「平松色」一掃を図って溝畑を東京に帰そうとしたが断られた。
広瀬は通産省(現経済産業省)の先輩、平松の手前もあって溝畑を切るに切れず、04年に大分FC社長を任せた。
金ヅルとして頼ったのは、郷里京都で年商2兆円のパチンコ大手、マルハンを率いる韓昌祐会長。
スポンサー獲得のためなら裸踊りまで見せる体当たりの説得に、マルハンは05年から胸スポンサーになる。
韓会長は「日本一になるまで」と総額13億円も年間予約席を購入し続けた。
一時は「スポンサー700社」を豪語し、海外からエジミウソンやホベルトら有力選手や監督をスカウト、
ナビスコ杯優勝に導いたまではよかったが、背伸びで財政事情が悪化する。不況で観客も減り、
スポンサーも離反した。支援増額を要請されたスポンサー数社は
「国がかりの事業のスポンサーになれるだけでも幸せと思え」という溝畑の横柄な態度に「もう降りる」と憤ったほどだ。
09年9月にはマルハンが完全撤退を発表する。パチンコ業界はJリーグの規定で胸スポンサーになれず、
07年以降はスペシャルスポンサーとなっていたが、「経済的対価が望めない」と降りた。
これで監督らチームの3分の1を切るリストラを断行、Jリーグから3億5千万円の融資を受けたが、今も存亡の淵を漂う。
その張本人を誰が観光庁に栄転させたのか。京都洛星中学、高校で同級生だった松井孝治官房副長官らしい。
松井が溝畑に救命ブイを投げ、同じ京都出身の前原がOKした。溝畑長官は1月4日の初会見で、
「日本を観光大国に」と言ったが、こんなお調子者にできるのか。「京都人脈」の罪は深い。