10/02/01 08:46:27 AfiQEpjg0
こう考えると、オシムの「走るサッカー」の意味をバラエティーで検証する日本のサッカー漬け度は、ある意味スペインをしのいでいる。
タレントだの歌手だのお笑いだのという芸能人、コメンテーターの政治評論家だの弁護士だのが、
代表監督の戦略に口を挟もうとする勇気というかお手軽感にも、スペインでは触れたことがない。
ドイツワールドカップで見せたアラゴネスのつなぐサッカーの美点、欠点を解き明かそうとするのは、
やはりサッカー番組であって解説、評論にも元監督、元選手、ジャーナリストが当たる。
例えば、エンリケ・イグレシアス(フリオ・イグレシアスの息子。人気アイドル歌手)が、アラゴネスのさい配ミスに言及するなんてあり得ないのだ。
スペイン人は“国民総監督”(誰もが監督気取りで、いっぱしの意見を持っている。ただし男)だから、歌手だってタレントだって一家言はあるだろう。
彼らだって子供の時はほぼ例外なくサッカーをやり、今でも試合を見逃さない熱心なファンも多いだろうから。
が、だからと言って、彼らを起用するサッカー番組の担当者はいない。なぜか? 失礼だからだ。
アラゴネス批判や検証には、それにふさわしい知識と見識を兼ね備えた人物が当たるべきだ。
視聴率稼ぎのために門外漢を起用して、茶々を入れている余地はない。
お遊びや息抜きはあっていいが、サッカー談義のレベルを下げて誰でもコメントできるという状況にすることは、日本のサッカーのためにならないと私は思う。
サッカーを引きずり落として生活に浸透させるのではなく、民度の方を上げればいいのだ。
オシムからハンカチ王子にあっという間に浮気してしまう番組に囲まれていても、俺は全然、幸せじゃあない。
日本版“サッカー漬け”生活の退屈(1/2) 木村浩嗣の「誘惑と憂鬱のスペインサッカー」
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