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◆人もお金も頼る親会社もなく
09年最終節の勝利で11年ぶりにJ1復帰を決めた湘南。前身の平塚時代には
94年の天皇杯、95年、アジアカップウイナーズカップを制すなど、「湘南の暴れん坊」
としてJリーグの強豪に名を連ねた。しかしメーン出資会社の撤退、主力選手の相次ぐ
退団でJ2降格。親会社を持たないクラブが練習場の立ち退きなど相次ぐ苦難を乗り越え、
J1昇格にたどりついた。真壁潔社長(47)が、10年間のJ2苦闘の歴史を語った。 (相原俊之)
J1復帰の原動力は反骨心だった。リーグには、J2へ降格して低迷が続くことを
「湘南化」と表現する人もいる。「許せないと思った。36クラブで一番素晴らしい
クラブにするんだという気持ちでやってきた」と真壁社長は振り返る。
98年10月、旧知の河野太郎衆院議員(当時ベルマーレ存続検討委員会委員長)に
誘われ、経営に携わった。その年の8月、日本代表MF中田英寿のイタリア・ペルージャ移籍
を皮切りに、ベルマーレは経営難から主力選手を次々に放出。さらにメーン出資会社の
フジタが99年12月に撤退。00年にはJ2に降格した。人も、お金も、頼る親会社もなく、
消滅と背中合わせの状況だった。
94年には1試合平均1万7000人を超えた入場者も、J2降格時から平均入場者
4000人台に落ち込み、J2降格から4年間は昇格争いにも絡めなかった。
「J2で2年、3年とやって赤字で、04年に社長になって、どうしようと思ったとき、
NPO法人を立ち上げ、そこでスクールをした。当時のスクールは240人しかおらず、
赤字が1500万円。『ユースだけを残し、スクールを辞めろ』という声もあった。
でも、地域の協力で残してもらったチームが、地域の子供を教えることをやめては
いけないと思った。コーチの給料は削って、3年目に黒字になり、いまは1100人を教え、
1300万円の黒字です」
(>>2以降に続く)
ソース:中日新聞(12/27)
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