09/12/18 11:50:14 0
試合終了のホイッスルを聞くや否や、川崎の谷口と森は「どうなの?」とばかりに
視線をベンチに向けた。だが、表情はすぐにショックでゆがんだ。12月5日のJ1最終節。
柏には勝利したものの、同じ時間帯でプレーした首位の鹿島は浦和を下し、
3連覇を成し遂げた。川崎は2年連続、ここ4年で3度目のリーグ2位。
“万年2位”を返上することはできなかった。
11月3日のナビスコ杯決勝で川崎はF東京にいいところなく敗れ、表彰式では
メダルを外したり、プレゼンターとの握手を拒否したりした選手の態度が問題となった。
アジア・チャンピオンズリーグと天皇杯は8強止まり。悲願の初タイトルには今季も手が届かなかった。
「勝負弱い」。厳密には日本語としてふさわしくないこの表現で、川崎はしばしば形容される。
今季のリーグ戦も首位で迎えた第32節(11月22日)、当時最下位の大分に喫した黒星が
大きく響き、5連勝で締めくくった鹿島の後塵(こうじん)を拝した。主将の伊藤宏樹は
「首位に立っていなかったチームが、そこに行ったときに違う精神状態になってしまった」
と振り返る。優勝経験がないため、頂上が見えたときの戦い方ができない。
実力はJ1トップクラスなのに、と川崎担当記者としてヤキモキすることも少なくなかった。
ただ、担当としてのひいき目ではないが地域への浸透ぶりは誇るべきものがある。
今季の平均入場者数は1万8847人に達し、8年連続で増加。
かつて川崎市を拠点としたプロ野球のロッテやJリーグのV川崎(現東京V)が
根付かずに去ったのとは対照的だ。
「われわれがつくっているのは、ブームでなくライフ。
フロンターレがいかに住民の日常の一部になれるかを考えている」。
川崎の天野春果マーケティング課長は、そう力を込める。
(続く)
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
2:鳥φ ★
09/12/18 11:50:44 0
(>1の続き)
J1から1年でJ2に逆戻りした2001年、平均入場者数が3784人と前年の半分に
とどまった危機感から、本格的な地域密着活動が始まった。
まず母体となった富士通の名を運営会社名から外し、地元企業や川崎市の出資を取り付け、
市民球団色を強めた。選手には地域行事への積極的な参加やファンサービス徹底を要求。
特製パジャマ付きの夜行列車による応援ツアーなどサポーターの意見を取り入れた企画でも、
転出入の激しい市民に興味を与え続けてきた。
「ヴェルディは存在が遠かったが、フロンターレは顔が見える」。最終節に本拠地での
パブリックビューイングを企画したサポーターの紀中靖雄さん(45)は川崎の魅力をそう力説する。
クラブを強豪に育てた関塚隆監督は、タイトルを獲得できなかったけじめとして職を辞した。
指揮官の決断と市民の熱い声援に応えるためにも、来季こそタイトル獲得-
と今から力こぶが入っている。
3:名無しさん@恐縮です
09/12/18 11:51:46 jLtqmv4EO
川崎は本当に一度降格してから覚醒したなぁ