09/12/12 12:08:36 Xjzgj5SH0
野球はテレビで見るのと生観戦にあまり違いが生まれません。
それは、野球が空間性の非常に低いスポーツだからです。
バスケやサッカーは視点によって、同じ試合でも全く違う観点の試合となります。
ところが、野球は空間性が欠落し、一種タイミング勝負的なものが大きいので
視点どころか、見えないラジオでの実況でも楽しめるのです。
(空間性の高いスポーツがラジオ実況に耐えられないのはお分かりでしょう)
要するに、野球は空間性が欠落した、記号的なスポーツということです。
言語での実況のみで状況が理解できてしまうほど、底が浅いのです。
空間はただボールの飛距離やベース間の距離を計るだけの
測量機としての意味(記号的な意味)でしかないんですよ、野球は。
結論から言うと、「スペースの概念の欠如」とは、
すなわちスタジアムという場所の神聖性の欠如を意味するんです。
スタジアムというのは、たくさんの異なる人間の、異なる視線が、
さまよい、交錯しながら、ある一点へ集中した時の爆発という瞬間、
その祝祭性(おまつり騒ぎ)が成立する場所だと思うんです。
ところが、野球では視点が最初から決まってる。さまよっていない。
だから、見に行く面白さに欠ける。
もちろん、「あのショートの細かい動きが」みたいな
「通」の見方は成立しますよ。楽しいでしょう。
ですが、それは本来の観客全体の見方ではない。
決まり切っているから、わくわくする期待感がないんです。