09/12/01 22:29:07 XW7wSkpe0
ターザン山本のコラム
●オリンピックを好きになれなくなった私とは・・・
今の世の中というよりも、日本の社会は北京オリンピックを素直に楽しんだり、
喜んだりできない人がいっぱいいるんじゃないの?私はそう思うなあ。
だって、重油の値上げによって“さんま漁”ができなくなったんだろう?
それって、漁師にとっては大問題なのだ。
しかし、オリンピック期間中はそうしたことがいっさい無視されてしまう。
とにかく、このところの物価高は深刻である。
日本はあらゆる意味で、相当にヤバイはずである。
生活苦と人生苦をかかえて生きている人は、もう2人にひとりぐらいいるのではないだろうか?
そんな人たちにオリンピックといっても“人事”でしかない。“ひとごと”である。
人事なのに自分事(じぶんごと)のように感動してしまう。
それがオリンピックであり、スポーツである。
なぜなら、スポーツは暇つぶしだから。
暇(ひま)があることが平和の象徴でもある。
暇という概念が人類の文明を誕生させた。
食糧の生産性が上がると、人々の生活に暇な時間ができる。
それが文明へとつながっていく。
つまり、文明も平和も「命に別状のない時間と世界」を作ることによって、
初めてそれが可能になるのだ。
文明以前の人間は、生きていることのすべてが命に別状があった。
文明社会に生きている我々は、命に別状がないという恩恵を受けて生活している。
それほどありがたいことはない。
だから、オリンピックに人が感動するのは
命に別状がないという前提での感動なのだ。