09/11/29 03:59:48 0
(>>1より)
「朝7時開店の午後3時店じまいも讃岐スタイルです。“夜もやってよ”と常連さんに
よくいわれるんですが、うどんを練るのも打つのも、ツユを作るのもボクひとり。
野球で鍛えたといっても、夜までは体がもちません」
ちなみに、上福岡からは夫人の実家が近い。
さて、00年、徳島県立阿南工業高校からドラフト5位で巨人に入団した條辺さんは、
2年目には早くも開幕一軍入り。翌02年には当時の守護神・岡島までの中継ぎとして活躍し、
原・巨人初の日本一に貢献した。
「でも、その頃からフォームが原因の肩の故障に悩まされていましてね。
何度も改造を試みては失敗。05年、泣く泣く引退しました」
そんな折、徳島県出身の先輩で評論家の水野雄仁さんに紹介され、「うどんのなかにし」で
未入籍だった夫人と1年半のうどん修業。その後、開店にこぎつけた。
「去年の11月に長男が生まれ、仕事が終わったら自宅直帰です。子供と毎日遊べて、成長を
肌で感じる喜びを実感してます。地方回りが多いプロ野球選手よりも、うどん屋の店主になって
正解だったんじゃないでしょうか」
(終)