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ありがとう--。社会人野球日本選手権で21日、今季限りで休部する日産自動車(神奈川)は
延長十三回まで粘った末にJR九州(福岡)に敗れ、事実上、最後の公式戦を終えた。
選手たちがスタンドに一礼すると、紅白の紙テープが投げ込まれ、ファンや社員らは涙を浮かべ拍手。
惜しまれながら、50年の歴史に幕を閉じた。
「フレー、フレー、日産」。静まり返った球場で声を響かせた仁田原竜也応援団長(24)は
「(チームは)応援団とともにまた帰ってきます」と総立ちの観客にあいさつした。
「ここまで来たのを誇りに思う。硬式野球部は娯楽が少ない時代、社員を魅了し結束を固めた」。
硬式野球部OB会長の坪井賢司さん(77)は神奈川県鎌倉市の自宅で振り返った。創部前年の58年、
横浜・新子安のグラウンドが連合国軍総司令部(GHQ)から返還されたのを機に「社員の気持ちを
盛り上げよう」と野球部設立が計画され、坪井さんが学生らを集めた。65年、都市対抗初出場を果たした。
「記憶に残る素晴らしい戦い。本当にありがとう」。21日の試合をテレビで観戦した社員の
福村輝雄さん(48)は選手と同じ職場になった05年から試合などを約10万枚撮影。
08年9月に筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症と診断された後も見守ってきた。
伊藤祐樹内野手(37)の同僚たちは、休部決定後に更新が止まった野球部ホームページに代わり
「勝手に応援するサイト」を制作。小笠原理栄子さん(35)は「サイトは最後まで楽しくプレーしてほしくて
始めた。もう1試合見たかった」と目を赤くした。休部の危機を乗り越えた90年代後半、
カルロス・ゴーン最高執行責任者(当時)に「都市対抗は日本企業の文化」と言わせた当時の監督、
村上忠則さん(60)は「最後まで伝統の粘りを見せてくれた」とたたえた。
こうした思いに久保恭久監督(49)は「(ユニホームの)胸の青い鳥は(優勝旗の)ダイヤモンド旗に
止まることはなかったが、見捨てなかった人にありがとうと言いたい」。
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