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我らの日本共産党の華々しい活躍
朝鮮戦争勃発後、在日朝鮮人は韓国側と北朝鮮側に分かれて反目し、下関事件、万
来町事件、浅草米兵暴行事件、吹田事件など数々の大規模な騒乱事件や、枚方事件
や親子爆弾事件などの工場襲撃事件を引き起こした。また、30万人の朝鮮人が日本
共産党とともに武装蜂起し、「火炎瓶闘争」と呼ばれる暴力革命闘争を行い多数の警
察官が死傷した。警察による朝鮮人部落への強制捜査には硫酸瓶や火炎瓶で対
抗した。このため、1952年に破壊活動防止法が制定され朝鮮総連は日本共産党と
ともに調査指定団体となっている。
第二次世界大戦終結後、在日朝鮮人は日本共産党とともにデモ活動などを積極的に
行っていたため、1950年6月25日に朝鮮戦争が始まると共産主義者の処刑(保導連盟
事件)を実行している韓国への帰国を躊躇するようになった。また、共産主義者ではな
くとも韓国に帰国すれば韓国民として従軍しなければならなかった。6月29日、在日本
大韓民国居留民団は義勇兵を募り6万名の志願者から選抜した2万名を韓国に送りだ
すことを発表した。韓国人647名、日本人150名の志願者が集まったものの
、当初は韓国政府が受け入れを拒むなどの事態があったが、後に占領軍が必要としたため、韓国人志願者644名を派遣した
(その後、義勇兵の一部には韓国政府による工作訓練が施され工作船で日本に潜入し、新潟日赤センター爆破未遂事件を引き起こ
した)。
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