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日蓮正宗では他の宗派同様に弟子は末寺の住職を師匠として育成していたが、
創価学会の急成長とともに弟子が急増し、一般僧侶は弟子を2名まで、
能化は無制限とする状態がしばらくは続いた。
後に日達が少年得度制度を始め弟子はすべて時の管長を師匠とすることになった。
これらの僧侶たちの多くは創価学会出身の者が多かった。
しかし皮肉にもこれらの僧侶たちは次第に学会の思想を離れ日達を師匠と仰ぎ
「妙観会」という派閥を形成した
(ここでいう「妙観会」と後の日蓮正宗中の妙観講とは異なる)。
妙観会は次第に創価学会への批判を強める僧侶が多くなったが、
妙観会以外にも渡辺広済や久保川法章など創価学会への批判を強める僧侶は多かった。
このころは大石寺の蓮東坊(丸岡雄道住職)が活動家僧侶のセンターの役割を果たしていた。
これがいわゆる「正信覚醒運動」と呼ばれ、後の正信会につながっていく。
本当は創価学会員ということはないですよね?