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【日本と西洋の「身体」観 アスレティシズム】
821 :氷上の名無しさん:2007/12/26(水) 09:41:12 ID:h1A74QFs0
玉木正之「スポーツとは何か」を読んでたら、
「NHK伊藤みどり3A捏造事件」を解く決定的な記述がありました。
引用する。 (末尾に注目)
>>513参照
>>407>>464>>513「アスレティシズム」参照。他>>465
(日本人の伊藤みどり観、みどりヲタ論等、ここに書いてある)
身体 「精神より低いとされた身体」
人間は20世紀にようやく「身体」に気づいた。長い時間がかかった。
(ここで西洋哲学史:ギリシャソクラテス→中世デカルトパスカル→近代ニーチェ)
西洋では、精神重視→ 精神重視→ つい最近ニーチェが「身体」を発見。
と同時にスポーツが発生。
「東洋の身体観と日本のスポーツ」
東洋では(西洋以上に)身体が軽視された。
身体とは煩悩の宿る不浄のもの、捨て去るべきもの、という考えが根本。
身体を傷つける難行・苦行、精神を浄化させる「手段」。
西洋:精神(人工)による身体(自然)の支配。 東洋:身体(自然)を用いて精神(人間)を磨く。
だから日本人は(スポーツでも)精神主義になりやすい。
「身体の価値を論じない日本」
日本では、なぜ身体が重要なのか意識されない。
日本のスポーツ選手は、(欧米とは違い)、
身体が優れている(驚き感動するような動作ができる)から評価されるのではなく、
「勝ち負け」の結果で評価される。
だから一時的に英雄扱いされても社会的地位は低い。
「身体表現としてスポーツを享受できるか」
日本人は東洋の島国で、
■身体を軽視する思想にドップリと浸かり、長い間、精神世界に生きてきた。
おまけに明治以来、国家にとっての身体として利用・抑圧される「身体観」しか知らなかったのが
日本人である。
さらに日本人は、足が長く背が高い欧米人にコンプレックスを抱きつづけてきた。
そんな日本人も食生活の変化で、西洋人に近い身体を手に入れた。
しかし精神と同様に、身体を重視しなければ無意味である。
■西洋は精神を重視したが、古代ギリシャ時代から「身体文化」の伝統があり、日常生活に生きている。
そんな西洋の「身体観」に対して、
日本人はどのような身体観を持つのだろうか?
スポーツを(勝敗だけでなく)「身体表現」として受容し、
■スポーツ選手に対して、身体「表現者」として敬意を表するときが、日本人に来るのだろうか?
822 :氷上の名無しさん:2007/12/26(水) 10:03:39 ID:h1A74QFs0
>>821に、
伊藤みどりが、なぜ欧米で高く評価される(日本ではされない)のかが書いてある。
欧米での荒川静香の評価について、日本人がトンチンカンである理由が書いてある。