◎●○三島由紀夫の名言・格言○●◎at RONGO
◎●○三島由紀夫の名言・格言○●◎ - 暇つぶし2ch474:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/05 16:52:05 +Onut573
●ネトウヨ(ネット右翼)がみっともない12の理由

1.威勢が良いのはネット上だけで現実の行動は何もしない
2.2ちゃんねる発の噂を裏も取らずに事実と断定する
3.愛着を持っている日本文化が伝統文化ではなく漫画・アニメ・ゲーム程度
4.国防重視を説くくせに現実に自衛隊には入らないし入っても役に立たない
5.都合の悪いことはすべて反日勢力の自作自演ということにする
6.特亜・在日・創価・左翼以外の社会悪は平気で見過ごして批判しない
7.戦前戦中・終戦直後の今よりひどい貧困を味わった世代に敬意を表さない
8.自分は何もしてなくても過去の日本人の手柄を自分の手柄のように誇る
9.反中国のくせに高い国産商品より安い中国製品を買うことを恥じない
10.何の話題でも嫌特亜、反左翼に結びつけないと気が済まない
11.たまたま日本人に生まれただけで努力して何かになったわけではない
12.この文章を読んで「これを書いた奴はチョン」と証拠もなく勝手に断定

475:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/06 11:31:38 K12k8XDK
小説家における文体とは、世界解釈の意志であり、鍵なのである。


強大な知力は世界を再構成するが、感受性は強大になればなるほど、世界の混沌を
自分の裡に受容しなければならなくなる。



戦争がをはつたとき、氏は次のやうな意味の言葉を言はれた。
「私はこれからもう、日本の悲しみ、日本の美しさしか歌ふまい」―これは一管の
笛のなげきのやうに聴かれて、私の胸を搏つた。

三島由紀夫「永遠の旅人―川端康成氏の人と作品」より

476:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/07 11:14:19 QCDBsbPD
お節介は人生の衛生術の一つです。



お節介焼きには、一つの長所があつて、「人をいやがらせて、自らたのしむ」ことができ、
しかも万古不易の正義感に乗つかつて、それを安全に行使することができるのです。
人をいつもいやがらせて、自分は少しも傷つかないといふ人の人生は永遠にバラ色です。
なぜならお節介や忠告は、もつとも不道徳な快楽の一つだからです。

三島由紀夫「不道徳教育講座 うんとお節介を焼くべし」より


現代では何かスキャンダルを餌にして太らない光栄といふものはほとんどありません。



世間には、外貌と内側の全然一致しない人もある。

三島由紀夫「不道徳教育講座 醜聞を利用すべし」より

477:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/07 11:14:53 QCDBsbPD
友人を裏切らないと、家来にされてしまふといふ場合が往々にしてある。大へん永つづきした
美しい友情などといふやつを、よくしらべてみると、一方が主人で一方が家来のことが多い。

三島由紀夫「不道徳教育講座 友人を裏切るべし」より


世間に尽きない誤解は、
「殺人そのもの」と、
「殺つちまへと叫ぶこと」
と、この二つのものの間に、ただ程度の差しか見ないことで、そこには実は非常な質の
相違がある。

三島由紀夫「不道徳教育講座 『殺つちまへ』と叫ぶべし」より


およそ自慢のなかで、喧嘩自慢ほど罪のないものはない。

三島由紀夫「不道徳教育講座 喧嘩の自慢をすべし」より

478:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/07 11:15:17 QCDBsbPD
戦争も大事件も、必ずしも高尚な動機や思想的対立から起るのではなく、ほんのちよつとした
まちがひから、十分起りうるのです。そして大思想や大哲学は、概して大した事件も
ひきおこさずに、カビが生えたまま死んでしまひます。



運命はその重大な主題を、実につまらない小さいものにおしかぶせてゐる場合があります。
そしてわれわれは、あとになつてみなければ、小さな落度が重大な結果につながつてゐたか
どうかを知ることができません。



人間の意志のはたらかないところで起る小さなまちがひが、やがては人間とその一生を
支配するといふふしぎは、本当は罪や悪や不道徳よりも、本質的におそろしい問題なのであります。

三島由紀夫「不道徳教育講座 0の恐怖」より

479:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/07 11:27:54 QCDBsbPD
作家といふものは、いつもその時代と、娼婦のやうに、一緒に寝るべきであるか? 
もちろん小説には、まぬがれがたい時世粧といふものは要る。しかし反動期における
作家の孤立と禁欲のはうが、もつと大きな小説をみのらせるのではないか? 
……それにしても、作家は一度は、時代とベッドを共にした経験をもたねばならず、
その記憶に鼓舞される必要があるやうだ。

三島由紀夫「小説家の休暇」より

480:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/07 11:28:13 QCDBsbPD
絶望から人はむやみに死ぬものではない。



典型的な青年は、青春の犠牲になる。十分に生きることは、生の犠牲になることなのだ。
生の犠牲にならぬためには、十分に生きず、フランス人のやうに吝嗇を学ばなければならぬ。
貯蓄せねばならぬ。卑怯な人間にならなければならぬ。

三島由紀夫「小説家の休暇」より

481:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/07 11:28:45 QCDBsbPD
芸術は認識の冷たさと行為の熱さの中間に位し、この二つのものの媒介者であらうが、
芸術は中間者、媒介者であればこそ、自分の坐つてゐる場所がひろびろと、居心地の
よいことをのぞまず、むしろつねに夢みてゐるのは、認識と行為とがせめぎ合ひ、
(那須の)与市のそれのやうに、ぎりぎりの決着のところで結ばれて、芸術を押しつぶして
しまふことなのである。そして芸術がいつもかかるものから真の養分を得て、よみがへつて
来たといふ事実以上に、奇怪な不気味なことがあらうか?

三島由紀夫「小説家の休暇」より

482:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/08 12:12:42 7Dl8KHts
あひかはらず忙しく往来してゐる社会の海の中に、ここだけは孤島のやうに屹立して感じられる。
自分が憂へる国は、この家のまはりに大きく雑然とひろがつてゐる。自分はそのために
身を捧げるのである。しかし自分が身を滅ぼしてまで諫めようとするその巨大な国は、
果してこの死に一顧を与へてくれるかどうかわからない。それでいいのである。
ここは華々しくない戦場、誰にも勲しを示すことのできぬ戦場であり、魂の最前線だつた。

三島由紀夫「憂国」より

483:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/09 23:43:00 E5mUPlGU
少年がすることの出来る―そしてひとり少年のみがすることのできる世界的事業は、
おもふに恋愛と不良化の二つであらう。恋愛のなかへは、祖国への恋愛や、一少女への
恋愛や、臈(らふ)たけた有夫の婦人への恋愛などがはひる。また、不良化とは、
稚心を去る暴力手段である。



神が人間の悲しみに無縁であると感ずるのは若さのもつ酷薄であらう。しかし神は
拒否せぬ存在である。神は否定せぬ。

三島由紀夫「檀一雄『花筐』―覚書」より

484:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/10 00:01:23 twlmXWc6
日本近代知識人は、最初からナショナルな基盤から自分を切り離す傾向にあつたから、
根底的にデラシネ(根なし草)であり、大学アカデミズムや出版資本に寄生し、一方では
その無用性に自立の根拠を置きながら、一方では失はれた有用性に心ひそかに憧憬を寄せてゐる。



日本知識人が自己欺瞞に陥るくらゐなら、死んだはうがよからう、と嘲笑はれてゐる声を
きかなければ、知識人の資格はない。



知識人の唯一の長所は自意識であり、自分の滑稽さぐらいは弁えてゐなくてはならぬ。


三島由紀夫「新知識人論」より

485:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/10 00:01:48 twlmXWc6
命を賭けて守れぬやうな思想は思想と呼ぶに値しない。



知識人の任務は、そのデラシネ性を払拭して、日本にとつてもつとも本質的な「大義」が何かを
問ひつめてゐればよいのである。
…権力も反権力も見失つてゐる、日本にとつてもつとも大切なものを凝視してゐれば
よいのである。暗夜に一点の蝋燭の火を見詰めてゐればよいのである。断固として
動かないものを内に秘めて、動揺する日本の、中軸に端座してゐればよいのである。
私はこの端座の姿勢が、日本の近代知識人にもつとも欠けてゐたものであると思ふ。

三島由紀夫「新知識人論」より

486:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/12 11:27:42 k0Msp0dq
行動といふものはそれ自体の独特の論理を持つてゐる。したがつて、行動は一度始まり出すと、
その論理が終るまでやむことがない。



目的のない行動はあり得ないから、目的のない思考、あるひは目的のない感覚に生きて
ゐる人たちは行動といふものを忌みきらひ、これをおそれて身をよける。思想や論理が
ある目的を持つて動き出すときには、最終的にはことばや言論ではなくて、肉体行動に
帰着しなければならないことは当然なのである。



行動は一瞬に火花のやうに炸裂しながら、長い人生を要約するふしぎな力を持つてゐる。


真に有効な行動とは、自分の一身を犠牲にして、最も極端な効果をねらつたテロリズム以外には
なくなるであらう。

三島由紀夫「行動学入門」より

487:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/12 11:30:31 k0Msp0dq
死の向ふ側にわれわれは自分の個人の効果といふものを、あるひは個人の利得といふものを
考へることはできないのであるから、政治的効果といふものは初めから超個人的なところに
求められなければならない。



超個人的な効果をねらつて個人が自己犠牲を払ふといふところにしか、政治的効果がない。



われわれは全く無効だと覚悟した行動にしか真の政治的有効性といふものを発見しないの
かもしれない。



無効性に徹することによつてはじめて有効性が生じるといふところに、純粋行動の本質があり、
そこに正義運動の反政治性があり、「政治」との真の断絶があるべきだ、と私は考へる。

三島由紀夫「行動学入門」より

488:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/12 11:33:11 k0Msp0dq
賭けとは全身全霊の行為であるが、百万円持つてゐた人間が、百万円を賭け切るときにしか、
賭けの真価はあらはれない。なしくづしに賭けてゐつたのでは、賭けではない。



行動がことばでないと同様に、待機もことばではない。それはただ濃密な平板な、人生で
最も苦しい時間なのである。



自分の美しさが決して感じられない状況においてだけ、美がその本来の純粋な形をとる。



二度と繰り返されぬところにしか行動の美がないならば、それは花火と同じである。
しかしこのはかない人生に、そもそも花火以上に永遠の瞬間を、誰が持つことができやうか。

三島由紀夫「行動学入門」より

489:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/12 11:34:22 k0Msp0dq
どんな変革も、個人の心の中に初めてともつた火から広がつていくものだ。



すべてのものに始めと終りがあるやうに、行動も一度幕を開けたらば幕を閉じなければならない。
行動は、たびたび繰り返したやうに、瞬時に終るものであるから、その正否の判断は
なかなかつかない。歴史の中に埋もれたまま、長い年月がたつても正当化されない行為は
たくさんある。



行動はことばで表現できないからこそ行動なのであり、論じても論じても、論じ尽くせない
からこそ行動なのである。

三島由紀夫「行動学入門」より

490:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/13 01:28:10 wJRvJOgk
国家総動員体制の確立には、極左のみならず極右も斬らねばならぬといふのは、政治的
鉄則であるやうに思はれる。そして一時的に中道政治を装つて、国民を安心させて、
一気にベルト・コンベアーに載せてしまふのである。



ヒットラーは政治的天才であつたが、英雄ではなかつた。英雄といふものに必要な、
爽やかさ、晴れやかさが、彼には徹底的に欠けてゐた。
ヒットラーは、二十世紀そのもののやうに暗い。

三島由紀夫「『わが友ヒットラー』覚書」より

491:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/14 12:18:16 51Ol56Ko
どんな不キリョウな犬でも、飼ひ馴れれば、可愛くなる。



幸福といふものは、どうしてこんなに不安なのだらう!



誰も他人に忠告なんて与へられやしないよ。だから法律が、結局、人間生活のすべてなんだ。



はじめ思想や主義を作るのは男の人でせうね。何しろ男はヒマだから。
でもその思想や主義をもちつづけるのは女なねよ。女はものもちがいいんですもの。



人間には憎んだり、戦つたり、勝つたり、さういふ原始的な感情がどうしても必要なんだ。

三島由紀夫「永すぎた春」より

492:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/14 12:18:31 51Ol56Ko
美しい身なりをして、美しい顔で町を歩くことは、一種の都市美化運動だ。



現実といふものは、袋小路かと思ふと、また妙な具合にひらけてくる。



他人の心のわかりすぎる人間は、小説なんか書かない。



建設よりも破壊のはうが、ずつと自分の力の証拠を目のあたり見せてくれるものだつた。


皆が等分に幸福になる解決なんて、お伽噺にしかないんですもの。
三島由紀夫「永すぎた春」より

493:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/14 12:18:46 51Ol56Ko
あつちには病人がをり、こつちにはもう数週間で結婚する二人がゐる。人生つてさうしたもんさ。
さうして朝は、誰にとつても朝なんだ。



他人のことを考へることが、私たちのことを考へることでもある。


幸福つて、素直に、ありがたく、腕いつぱいにもらつていいものなのね。

三島由紀夫「永すぎた春」より

494:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/14 13:00:34 51Ol56Ko
いろんな感情の中に、同時にあたくしが居ます。いろんな存在の中に、同時にあたくしが
居たつて、ふしぎではないでせう。



高飛車な物言ひをするとき、女はいちばん誇りを失くしてゐるんです。女が女王さまに
憧れるのは、失くすことのできる誇りを、女王さまはいちばん沢山持つてゐるからだわ。
三島由紀夫「葵上」より

495:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/14 13:01:18 51Ol56Ko
不満といふものはね、お嬢さん、この世の掟を引つくりかへし、自分の幸福をめちやめちやに
してしまふ毒薬ですよ。



自然と戦つて、勝つことなんかできやしないのだ。

三島由紀夫「道成寺」より

496:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/14 13:01:57 51Ol56Ko
ねえ、人間つて、待つたり待たせたりして生きてゆくものぢやない?



愛はみんな怖しいんですよ。愛には法則がありませんから。

三島由紀夫「班女」より


あまりに強度の愛が、実在の恋人を超えてしまふといふことはありうる。

三島由紀夫「班女について」より

497:& ◆l5UNs6LqZ./n
10/07/14 14:07:19 zW+gW5o5
太多??的?言无法??真?的梦,?望的?候又??希望的曙光,矛盾的心?在??去之后?始??

498:& ◆l5UNs6LqZ./n
10/07/14 14:08:58 zW+gW5o5
有人能看?中文??我是中国的

499:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/14 23:44:41 51Ol56Ko
人間の性の世界は広大無辺であり、一筋縄では行かないものだ。
性の世界では、万人向きの幸福といふものはないのである。



音楽といふ観念が音楽自体を消すのである。


嘘つきの常習犯ほど却つて、自分の喋つてゐることが嘘か本当か知らないのではあるまいか?



一瞬の直感から、女が攻撃態勢をとるときには、男の論理なんかほとんど役に立たないと
言つていい。

三島由紀夫「音楽」より

500:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/14 23:45:04 51Ol56Ko
いくら成人式をやつたつて、二十代はまだ人生や人間に対して盲らなのさ。大人が
しつかりした判断で決めてやつたはうが、結局当人の倖せになるんだ。むかしは、お婿さんの
顔も知らずに嫁入りした娘が一杯ゐるのに、それで結構愛し合つて幸福にやつて行けたもんだ。



たしかなことは、不幸が不幸を見分け、欠如が欠如を嗅ぎ分けるといふことである。
いや、いつもそのやうにして、人間同士は出会ふのだ。

三島由紀夫「音楽」より

501:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/14 23:45:30 51Ol56Ko
精神分析学は、日本の伝統的文化を破壊するものである。欲求不満(フラストレーション)
などといふ陰性な仮定は、素朴なよき日本人の精神生活を冒涜するものである。人の心に
立入りすぎることを、日本文化のつつましさは忌避して来たのに、すべての人の行動に
性的原因を探し出して、それによつて抑圧を解放してやるなどといふ不潔で下品な教理は、
西洋のもつとも堕落した下賤な頭から生まれた思想である。



「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」といふ諺が、実は誤訳であつて、原典のローマ詩人
ユウェナーリスの句は、「健全なる肉体には健全なる精神よ宿れかし」といふ願望の意を
秘めたものであることは、まことに意味が深いと言はねばならない。



精神分析学者には文学に関する豊富な知識も必要だ。

三島由紀夫「音楽」より

502:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/14 23:45:54 51Ol56Ko
人間は、どんなバカでも『お前を盲らにしてやるぞ』と言はれれば反撥する程度の自尊心は
あるから、テレビのコマーシャルをきらふけれど、『お前の目をさまさせてやる』と
言はれて不安にならぬほどの自尊心は持たないから、精神分析を歓迎するわけですね。



男性の不能の治療は、無意識のものを意識化するといふ作業よりも、過度に意識的なものを
除去して、正常な反射神経の機能を回復するといふ作業のはうが、より重要であり、
より効果的である。



見かけは恵まれた金持の息子でありながら、人生は貧乏人さへ知らない奇怪な不幸を
与へることがある。

三島由紀夫「音楽」より

503:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/14 23:46:16 51Ol56Ko
女の肉体はいろんな点で大都会に似てゐる。とりわけ夜の、灯火燦然とした大都会に似てゐる。
私はアメリカへ行つて羽田へ夜かへつてくるたびに、この不細工な東京といふ大都会も、
夜の天空から眺めれば、ものうげに横たはる女体に他ならないことを知つた。体全体に
きらめく汗の滴を宿した……。
目の前に横たはる麗子の姿が、私にはどうしてもそんな風に見える。そこにはあらゆる美徳、
あらゆる悪徳が蔵されてゐる。そして一人一人の男はそれについて部分的に探りを入れる
ことはできるだらう。しかしつひにその全貌と、その真の秘密を知ることはできないのだ。

三島由紀夫「音楽」より

504:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/14 23:58:18 51Ol56Ko
われわれは誰が何と言はうと、愛が人間の心にひらめかす稲妻と、瞥見させる夜の青空とを、
知つてをり、見てゐるのである。



どんな不まじめな嘘の裏にも、怖ろしい人間性の問題が顔をのぞかせてゐる。



神聖さと徹底的な猥雑さとは、いづれも「手をふれることができない」といふ意味で似てゐる。



強度のヒステリー性格は、受動的に潜在意識に動かされるだけではなく、無意識のうちに
識閾下の象徴を積極的に利用する。

三島由紀夫「音楽」より

505:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/14 23:58:41 51Ol56Ko
精神分析を待つまでもなく、人間のつく嘘のうちで、「一度も嘘をついたことがない」
といふのは、おそらく最大の嘘である。



ひとたび実存主義的見地に立てば、「正常な」人間の実存も、異常な人間の実存も、
「愛の全体性への到達」の欲求においては等価であるから、フロイトのやうに、一方に
正常の基準を置き、一方に要治療の退行現象を置くやうな、アコギな真似はできない筈である。
つまりそれはあまりにも、科学的実証主義のものわかりのわるさを捨てすぎたのである。

三島由紀夫「音楽」より

506:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/14 23:59:07 51Ol56Ko
社会構造の最下部には、あたかも個人個人の心の無意識の部分のやうに、おもてむきの
社会では決して口に出されることのない欲望が大つぴらに表明され、法律や社会規範に
とらはれない人間のもつとも奔放な夢が、あらはな顔をさし出してゐる。



神聖さとは、ヒステリー患者にとつては、多く、復讐の観念を隠してゐる。

三島由紀夫「音楽」より

507:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/15 17:13:59 B0PA09DC
むかし俗悪でなかつたものはない。時がたてば、又かはつてくる。



どんな美人も年をとると醜女になるとお思ひだらう。ふふ、大まちかひだ。美人は
いつまでも美人だよ。今の私が醜くみえたら、そりやあ醜い美人といふだけだ。



人間は死ぬために生きてるのぢやございません。



僕は又きつと君に会ふだらう、百年もすれば、おんなじところで……。
もう百年!

三島由紀夫「卒塔婆小町」より

508:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/16 11:15:38 Qj9ebQu1
複雑な事情などといふものは、みんなただのお化けなのですわ。本当は世界は単純で
いつもしんとしてゐる場所なのですわ。



私の白い翼が血に汚れたとて、それが何でせう。血も幻、戦ひも幻なのですもの。
私は海ぞひのお寺の美しい屋根の上を歩く鳩のやうに、争ひ事に波立つてゐるお心の上を
平気で歩いて差上げますわ……。



この世の終りが来るときには、人は言葉を失つて、泣き叫ぶばかりなんだ。たしかに僕は
一度きいたことがある。



背広といふ安全無類の制服、毎日毎日のくりかへしの生活に忠実だといふ証文。

三島由紀夫「弱法師」より

509:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/16 11:15:58 Qj9ebQu1
僕の魂は、まつ裸でこの世を歩き廻つてゐるんだよ。四方に放射してゐる光りが見えるでせう。
この光りは人の体も灼くけれど、僕の心にもたえず火傷をつけるんです。ああ、こんな風に
裸かで生きてゐるのは実に骨が折れますよ。実に骨が折れる。僕はあなた方の一億倍も
裸かなんだから。



われわれはみんな恐怖のなかに生きてゐるんだよ。
ただあなた方はその恐怖を意識してゐない。屍のやうに生きてゐる。



形が大切なんですよ。だつてあなたの形はあなたのものぢやなくて、世間のものですもの。

三島由紀夫「弱法師」より

510:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/16 11:16:14 Qj9ebQu1
年齢が何だつて言ふんです! 年齢が! 年齢といふものはね、一筋の暗闇の道なんです。
来し方も見えず、行末も見えない。だからそこには距離もないし、止つてゐるも歩いてゐるも
同じこと、進むのも退くのも同じこと、そこでは目あきも盲らになり、生きてゐる人間も
亡者になり、僕同様杖をたよりに、さぐり足でさまよつてゐるにすぎないんです。
赤ん坊も老人も青年も、つまりは同じ場所で、じつと身を寄せ合つてゐるのにすぎない。
夜の朽木の上にひつそりと群れ集まつてゐる虫のやうに。

三島由紀夫「弱法師」より

511:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/16 11:16:30 Qj9ebQu1
僕はたしかにこの世のをはりを見た。五つのとき、戦争の最後の年、僕の目を炎で灼いた
その最後の炎までも見た。それ以来、いつも僕の目の前には、この世のをはりの焔が
燃えさかつてゐるんです。何度か僕もあなたのやうに、それを静かな入日の景色だと
思はうとした。でもだめなんだ。僕の見たものはたしかにこの世界が火に包まれてゐる
姿なんだから。
(中略)
世界はばかに静かだつた。静かだつたけれど、お寺の鐘のうちらのやうに、一つの唸りが
反響して、四方からこだまを返した。へんな風の唸りのやうな声、みんなでいつせいに
お経を読んでゐるやうな声、あれは何だと思ふ?何だと思ふ?あれは言葉じゃない、
歌でもない、あれが人間の阿鼻叫喚といふ奴なんだ。
僕はあんななつかしい声をきいたことがない。あんな真率な声をきいたことがない。
この世のをはりの時にしか、人間はあんな正直な声をきかせないのだ。

三島由紀夫「弱法師」より

512:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/19 12:27:43 m/HcQQRG
骨肉の情愛といふものは、一度その道を曲げられると、おそろしい憎悪に変はつてしまふ。
理解の通はぬ親子の間柄、兄弟の間柄は他人よりも遠くなる。



この世には人間の信頼にまさる化物はないのだ。



政治の要請はかうだ。いいかね。政治には真理といふものはない。真理のないといふことを
政治は知つてをる。だから政治は真理の模造品を作らねばならんのだ。

三島由紀夫「鹿鳴館」より

513:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/20 11:17:01 cymluypi
不在といふものは、存在よりももつと精妙な原料から、もつと精選された素材から成立つて
ゐるやうに思はれる。楠といざ顔をつき合はせてみると、郁子は今までの自分の不安も、
遊び友達が一人来ないので歌留多あそびをはじめることができずにゐる子供の寂しさに
すぎなかつたのではないかと疑つた。



凡庸な人間といふものは喋り方一つで哲学者に見えるものだ。



どこかひどく凡庸なところがないと哲学者にはなれない。



若さといふものは笑ひでさへ真摯な笑ひで、およそ滑稽に見せようとしても見せられない
その真摯さは、ほとんど退屈にちかいものと言つてよろしく、中年よりも老年よりも遥かに
安定度の高い頑固な年齢であつた。

三島由紀夫「純白の夜」より

514:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/20 11:17:21 cymluypi
明治時代にはあだし男の接吻に会つて自殺を選んだ貞淑な夫人があつた。現代ではそんな
女が見当らないのは、人が云ふやうに貞淑の観念の推移ではなくて、快感の絶対量の
推移であるやうに思はれる。ストイックな時代に人々が生れ合はせれば、一度の接吻に
死を賭けることもできるのだが、生憎今日のわれわれはそれほど無上の接吻を経験しえない
だけのことである。どつちが不感症の時代であらうか?



どんな女にも、苦悩に対する共感の趣味があるものだが、それは苦悩といふものが
本来男性的な能力だからである。



秘密は人を多忙にする。怠け者は秘密を持つこともできず、秘密と附合ふこともできない。



秘密を手なづける方法は一つしかない。すなはち膝の上で眠らせてしまふ方法である。

三島由紀夫「純白の夜」より

515:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/20 11:18:01 cymluypi
感情には、だまかしうる傾斜の限度がある。その限度の中では、人はなほ平衡の幻影に身を委す。
といふよりは、傾斜してみえる森や家並の外界に非を鳴らして、自分自身が傾きつつあることに
気がつかない。



粗暴な快楽が純粋でないのは、その快楽が「必要とされてゐる」からであり、別の微妙な快楽は、
不必要なだけに純粋なのだ。



貞淑といふものは、頑癬(たむし)のやうな安心感だ。彼女は手紙といいあひびきといい、
あれほどにも惑乱を露はにした一連の行動を、あとで顧みて、何一つ疾(や)ましいところはないのだと
是認するのであつた。

三島由紀夫「純白の夜」より

516:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/20 11:18:18 cymluypi
不安はむしろ勝利者の所有(もの)だ。連戦連勝の拳闘選手の頭からは、敗北といふ一個の
新鮮な観念が片時も離れない。彼は敗北を生活してゐるのである。羅馬(ローマ)の格闘士は、
こんな風にして、死を生活したことであらう。



恋愛とは、勿論、仏蘭西(フランス)の詩人が言つたやうに一つの拷問である。どちらが
より多く相手を苦しめることができるか試してみませう、とメリメエがその女友達へ
出した手紙のなかで書いてゐる。

三島由紀夫「純白の夜」より

517:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/20 17:00:03 cymluypi
ああ、誰のあとをついて行つても、愛のために命を賭けたり、死の危険を冒したりすることは
ないんだわ。男の人たちは二言目には時代がわるいの社会がわるいのとこぼしてゐるけれど、
自分の目のなかに情熱をもたないことが、いちばん悪いことだとは気づいてゐない。



退屈する人は、どこか退屈に己惚れてゐるやうなところがあるわ。



夫婦と同様に、清浄な恋人同志にも、倦怠期といふものはあるものだつた。



狩人は義士ぢやございません。狩人のねらふのは獣であつて、仇ではございません。
獲物であつて、相手の悪意ではございません。熊に悪意を想像したら、私共は容易に
射てなくなります。ただの獣だと思へばこそ、追ひもし、射てもするのです。昆虫採集家は
害虫だからといふ理由で昆虫を、つかまへはいたしますまい。

三島由紀夫「夏子の冒険」より

518:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/23 11:58:18 D7I+yGV1
青年の苦悩は、隠されるときもつとも美しい。



精神的な崇高と、蛮勇を含んだ壮烈さといふこの二種のものの結合は、前者に傾けば
若々しさを失ひ、後者に傾けば気品を失ふむつかしい画材であり、現実の青年は、
目にもとまらぬ一瞬の行動のうちに、その理想的な結合を成就することがある。

三島由紀夫「青年像」より

519:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/23 11:59:51 D7I+yGV1
絶望を語ることはたやすい。しかし希望を語ることは危険である。わけてもその希望が
一つ一つ裏切られてゆくやうな状況裡に、たえず希望を語ることは、後世に対して、
自尊心と羞恥心を賭けることだと云つてもよい。



決して後悔しないといふことは、何はともあれ、男性に通有の論理的特質に照らして、
男性的な美徳である。

三島由紀夫「『道義的革命』の論理―磯部一等主計の遺稿について」より

520:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/23 12:00:13 D7I+yGV1
事実(ファクト)が一歩一歩われらを死へ追ひつめるとき、人間の弱さと強さの弁別は混乱する。
弱さとはそのファクトから目をそむけ、ファクトを認めまいとすることなのか? 
もしさうだとすれば、強さとはファクトを容認した諦念に他ならぬことになり、単なる
ファクトを宿命にまで持ち上げてしまふことになる。私には、事態が最悪の状況に
立ち至つたとき、人間に残されたものは想像力による抵抗だけであり、それこそは
「最後の楽天主義」の英雄的根拠だと思はれる。そのとき単なる希望も一つの行為になり、
つひには実在となる。なぜなら、悔恨を勘定に入れる余地のない希望とは、人間精神の
最後の自由の証左だからだ。

三島由紀夫「『道義的革命』の論理―磯部一等主計の遺稿について」より

521:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/23 12:13:09 D7I+yGV1
常套句を口にする男は馬鹿に見えるだけだが、女の場合、それは年齢よりももつと美を損なふのだ。



われわれ男性は、男のピアニストがどんなに偉くなり、男の政治家がどんなに成功しやうと
放置つておくが、ただ同性だからといふ理由で、女の社会的進出をむやみと擁護したり
尻押ししたりする婦人たちがゐる。フランスの或る女流作家が、現代社会では、男性が、
男及び人間といふ二つの領域に采配をふるつてゐるのに、女性は、女といふ領域だけしか、
自分のものにしてゐないと云つてゐるのは正しい。



惚れない限り女には謎はないので、作為的な謎を使つて惚れさせようといふつもりなら、
原因と結果を取違へたものと言はなくてはならない。



外国にゐて日本人の男女が演ずる熱情には、何か郷愁とはちがつた場ちがひな、
いたましいものがある。

三島由紀夫「不満な女たち」より

522:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/23 12:13:47 D7I+yGV1
高位の貴婦人であらうと、女である以上、愛されるといふことを抜きにしたいかなる権力も徒である。



女には、世を捨てると云つたところで、自分のもつてゐるものを捨てることなど出来はしない。
男だけが、自分の現にもつてゐるものを捨てることができるのである。

三島由紀夫「志賀寺上人の恋」より


健康で油ぎつた皮膚の人間には、みんな蠅のやうなところがある。蠅は腐敗を好むほど健康なのだ。

三島由紀夫「水音」より

523:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/25 10:25:12 nTQdoaJV
他者との距離、それから彼は遁れえない。距離がまづそこにある。そこから彼は始まるから。
距離とは世にも玄妙なものである。梅の香はあやない闇のなかにひろがる。薫こそは
距離なのである。しづかな昼を熟れてゆく果実は距離である。なぜなら熟れるとは距離だから。
年少であることは何といふ厳しい恩寵であらう。まして熟し得る機能を信ずるくらい、
宇宙的な、生命の苦しみがあらうか。



一つの薔薇が花咲くことは輪廻の大きな慰めである。これのみによつて殺人者は耐へる。
彼は未知へと飛ばぬ。彼の胸のところで、いつも何かが、その跳躍をさまたげる。
その跳躍を支へてゐる。やさしくまた無情に。恰かも花のさかりにも澄み切つた青さを
すてないあの蕚(うてな)のやうに。それは支へてゐる。花々が胡蝶のやうに飛び立たぬために。


三島由紀夫「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃」より

524:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/26 13:02:40 5U27zdAm
ものを書くことと農耕とは、いかによく似てゐることであらう。嵐にも霜にも、精神は
一刻の油断もゆるさず、たえず畑を見張り、詩と夢想の果てしない耕作のあげくに、
どんな豊饒がもたらされるか、自ら占ふことができない。書かれた書物は自分の身を離れ、
もはや自分の心の糧となることはなく、未来への鞭にしかならぬ。どれだけ烈しい夜、
どれだけ絶望的な時間がこれらの書物に費やされたか、もしその記憶が累積されてゐたら、
気が狂ふにちがひない。

三島由紀夫「書物の河(三島由紀夫展)」より

525:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/26 13:03:16 5U27zdAm
にせものの血が流れる絢爛たる舞台は、もしかすると、人生の経験よりも強い深い経験で、
人々を動かし富ますかもしれない。音楽や建築に似た戯曲といふものの抽象的論理的構造の
美しさは、やはり私の心の奥底にある「芸術の理想」の雛型であることをやめないのだ。

三島由紀夫「舞台の河(三島由紀夫展)」より


私の肉体はいはば私のマイ・カーだつた。この河は、マイ・カーのドライヴへ私を誘ひ、
今まで見なかつた景色が私の体験を富ませた。しかし肉体には、機械と同じやうに、
衰亡といふ宿命がある。私はこの宿命を容認しない。

三島由紀夫「肉体の河(三島由紀夫展)」より

526:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/26 13:03:41 5U27zdAm
いくら「文武両道」などと云つてみても、本当の文武両道が成立つのは、死の瞬間にしか
ないだらう。しかし、この行動の河には、書物の河の知らぬ涙があり血があり汗がある。
言葉を介しない魂の触れ合ひがある。それだけにもつとも危険な河はこの河であり、
人々が寄つて来ないのも尤もだ。

三島由紀夫「行動の河(三島由紀夫展)」より


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