◎●○三島由紀夫の名言・格言○●◎at RONGO
◎●○三島由紀夫の名言・格言○●◎ - 暇つぶし2ch100:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/08 12:08:33 PPUiZ97/
戦争といふ奴は、人間の背丈を伸ばしもしなけりやあ縮めもしない

三島由紀夫「青の時代」より


男が金をほしがるのはつまり女が金をほしがるからだといふのは真理だな。

三島由紀夫「青の時代」より

101:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/08 12:09:09 PPUiZ97/
近代が発明したもろもろの幻影のうちで、「社会」といふやつはもつとも人間的な幻影だ。
人間の原型は、もはや個人のなかには求められず社会のなかにしか求められない。
原始人のやうに健康に欲望を追求し、原始人のやうに生き、動き、愛し、眠るのは、
近代においては「社会」なのである。新聞の三面記事が争つて読まれるのは、
この原始人の朝な朝なの生態と消息を知らうとする欲望である。

三島由紀夫「青の時代」より

102:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/08 12:12:05 PPUiZ97/
過度の軽蔑はほとんど恐怖とかはりがない。

三島由紀夫「青の時代」より


小金をもつてゐれば誰でも社長や専務になれ、女は毛皮の外套さへもつてゐればみんな
上流の奥様でとほり、世間はかうした仮装に容易に欺されることを以て一種の仮想の秩序を維持して来たのであつた。
だから演技による瞞著(まんちやく)は今の社会に対する礼法(エチケット)である。

三島由紀夫「青の時代」より

103:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/08 12:12:36 PPUiZ97/
人助けは実に気持のよいものであり、殊に利潤の上る人助けと来たらたまらない。

三島由紀夫「青の時代」より


人間、正道を歩むのは却つて不安なものだ。

三島由紀夫「青の時代」より

104:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/08 12:16:07 PPUiZ97/
すべての人の上に厚意が落ちかゝる日があるやうに、すべての人の上に悪意が落ちかゝる日があるものだ。

三島由紀夫「青の時代」より


人間の弱さは強さと同一のものであり、美点は欠点の別な側面だといふ考へに達するためには、
年をとらなければならない。

三島由紀夫「青の時代」より

105:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/08 12:16:40 PPUiZ97/
人間の存在の意味には、存在の意識によつて存在を亡ぼし、存在の無意識あるひは
無意味によつて存在の使命を果す一種の摂理が働らいてゐるにちがひない。

三島由紀夫「青の時代」より

106:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/08 12:24:22 PPUiZ97/
高飛車な物言ひをするとき、女はいちばん誇りを失くしてゐるんです。女が女王さまに
憧れるのは、失くすことのできる誇りを、女王さまはいちばん沢山持つてゐるからだわ。

三島由紀夫「葵上」より

107:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/08 12:25:24 PPUiZ97/
お嬢さま、色恋は負けるたのしみでございますよ。

三島由紀夫「只ほど高いものはない」より


苦しみを知らない人にかかつたら、どんな苦しみだつて、道化て見えるだけなのよ。

三島由紀夫「只ほど高いものはない」より

108:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/08 12:26:35 PPUiZ97/
不満といふものはね、お嬢さん、この世の掟を引つくりかへし、自分の幸福を
めちやめちやにしてしまふ毒薬ですよ。

三島由紀夫「道成寺」より

109:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/08 12:27:08 PPUiZ97/
「許しませんよ」ああ、それこそ貴婦人の言葉だ。
生れながらのけだかい白い肌の言はせる言葉だ。

三島由紀夫「朝の躑躅」より

110:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/08 12:27:48 PPUiZ97/
世界といふものはね、こぼれやすいお皿に入つてゐるスープなの。
みんなして、それがこぼれないやうに、スープ皿のへりを支へてゐなければなりませんの。

三島由紀夫「薔薇と海賊」より

111:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/08 12:33:11 PPUiZ97/
都会の人間は、言葉については、概して頑固な保守主義者である。

三島由紀夫「小説家の休暇」より


さまざまな自己欺瞞のうちでも、自嘲はもつとも悪質な自己欺瞞である。それは他人に
媚びることである。
他人が私を見てユーモラスだと思ふ場合に、他人の判断に私を売つてはならぬ。
「御人柄」などと云つて世間が喝采する人は、大ていこの種の売淫常習者である。

三島由紀夫「小説家の休暇」より

112:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/08 12:34:37 PPUiZ97/
第一私はこの人の顔がきらひだ。第二にこの人の田舎者のハイカラ趣味がきらひだ。
第三にこの人が、自分に適しない役を演じたのがきらひだ。女と心中したりする小説家は、
もう少し厳粛な風貌をしてゐなければならない。
私とて、作家にとつては、弱点だけが最大の強味となることぐらゐ知つてゐる。
しかし弱点をそのまま強味へもつてゆかうとする操作は、私には自己欺瞞に思われる。(中略)
太宰のもつてゐた性格的欠陥は、少なくともその半分が、冷水摩擦や器械体操や
規則的な生活で治される筈だつた。生活で解決すべきことに芸術を煩はしてはならないのだ。
いささか逆説を弄すると、治りたがらない病人などには本当の病人の資格がない。

三島由紀夫「小説家の休暇」より

113:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/08 12:37:53 PPUiZ97/
私はかつて、真のでくのばうを演じ了せた意識家を見たことがない。

三島由紀夫「小説家の休暇」より


傷つきやすい人間ほど、複雑な鎖帷子(くさりかたびら)を織るものだ。そして往々
この鎖帷子が自分の肌を傷つけてしまふ。しかしこんな傷を他人に見せてはならぬ。
君が見せようと思ふその瞬間に、他人は君のことを「不敵」と呼んでまさに讃(ほ)めようと
してゐるところかもしれないのだ。

三島由紀夫「小説家の休暇」より

114:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/08 12:38:26 PPUiZ97/
われわれが文明の利便として電気洗濯機を利用することと、水爆を設計した精神とは無縁ではない。

三島由紀夫「小説家の休暇」より

115:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/08 12:46:08 PPUiZ97/
恋と犬とはどつちが早く駆けるでせう。さてどつちが早く汚れるでせう。

三島由紀夫「綾の鼓」より


今の世の中で本当の恋を証拠立てるには、きつと足りないんだわ、そのために死んだだけでは。

三島由紀夫「綾の鼓」より

116:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/09 17:01:51 LWub8ftG
悲しい気持の人だけが、きれいな景色を眺める資格があるのではなくて?
幸福な人には景色なんか要らないんです。

三島由紀夫「鹿鳴館」より


政治とは他人の憎悪を理解する能力なんだよ。
この世を動かしてゐる百千百万の憎悪の歯車を利用して、それで世間を動かすことなんだよ。
愛情なんぞに比べれば、憎悪のはうがずつと力強く人間を動かしてゐるんだからね。

三島由紀夫「鹿鳴館」より

117:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/09 17:02:14 LWub8ftG
花作りといふものにはみんな復讐の匂ひがする。
絵描きとか文士とか、芸術といふものはみんなさうだ。ごく力の弱いものの憎悪が育てた
大輪の菊なのさ。

三島由紀夫「鹿鳴館」より


お嬢さん、教へてあげませう。
武器といふものはね、男に論理を与へる一番強力な道具なんですよ。

三島由紀夫「鹿鳴館」より

118:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/09 17:12:00 LWub8ftG
幸福がつかのまだといふ哲学は、不幸な人間も幸福な人間もどちらも好い気持にさせる
力を持つてゐる。

三島由紀夫「スタア」より

119:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/09 17:13:12 LWub8ftG
恋の中のうつろひやすいものは恋ではなく、人が恋ではないと思つてゐるうつろはぬものが
実は恋なのではないでせうか。

三島由紀夫「軽王子と衣通姫」より

別れを辛いものといたしますのも恋ゆゑ、その辛さに耐へてゆけますのも恋ゆゑでございます

三島由紀夫「軽王子と衣通姫」より

120:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/10 10:11:52 vwFNuzK8
鈍感な人たちは、血が流れなければ狼狽しない。
が、血の流れたときは、悲劇は終つてしまつたあとなのである。

三島由紀夫「金閣寺」より


私が人生で最初にぶつかつた難問は、美といふことだつたと言つても過言ではない。

三島由紀夫「金閣寺」より

121:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/10 10:13:03 vwFNuzK8
物質といふものが、いかにわれわれから遠くに存在し、その存在の仕方が、いかにわれわれから
手の届かないものであるかといふことを、死顔ほど如実に語つてくれるものはなかつた。
三島由紀夫「金閣寺」より


美といふことだけを思ひつめると、人間はこの世で最も暗黒な思想にしらずしらず
ぶつかるのである。人間は多分さういふ風に出来てゐるのである。

三島由紀夫「金閣寺」より

122:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/10 10:14:35 vwFNuzK8
肉体上の不具者は美貌の女と同じ不敵な美しさを持つてゐる。不具者も、美貌の女も、
見られることに疲れて、見られる存在であることに飽き果てて、追ひつめられて、
存在そのもので見返してゐる。見たはうが勝なのだ。

三島由紀夫「金閣寺」より


滑稽な外形を持つた男は、まちがつて自分が悲劇的に見えることを賢明に避ける術を知つてゐる。
もし悲劇的に見えたら、人はもはや自分に対して安心して接することがなくなるのを
知つてゐるからだ。自分をみじめに見せないことは、何より他人の魂のために重要だ。

三島由紀夫「金閣寺」より

123:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/10 10:15:54 vwFNuzK8
隈なく美に包まれながら、人生へ手を延ばすことがどうしてできやう。
美の立場からしても、私に断念を要求する権利があつたであらう。一方の手の指で永遠に触れ、
一方の手の指で人生に触れることは不可能である。

三島由紀夫「金閣寺」より




124:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/10 10:17:37 vwFNuzK8
禅は無相を体とするといはれ、自分の心が形も相もないものだと知ることがすなはち
見性だといはれるが、無相をそのまま見るほどの見性の能力は、おそらくまた、形態の
魅力に対して極度に鋭敏でなければならない筈だ。
形や相を無私の鋭敏さで見ることのできない者が、どうして無形や無相をそれほど
ありありと見、ありありと知ることができやう。

三島由紀夫「金閣寺」より


音楽は夢に似てゐる。と同時に、夢とは反対のもの、一段とたしかな覚醒の状態にも似てゐる。

三島由紀夫「金閣寺」より

125:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/10 10:32:35 vwFNuzK8
形こそは、形のない流動する生の鋳型であり、同時に、形のない生の飛翔は、
この世のあらゆる形態の鋳型なのだ。

三島由紀夫「金閣寺」より


金閣を焼かなければならぬ。

三島由紀夫「金閣寺」より


どんな事柄も、終末の側から眺めれば、許しうるものになる。

「金閣寺」より

126:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/10 10:34:06 vwFNuzK8
世界を変貌させるのは決して認識なんかぢやない。
世界を変貌させるのは行為なんだ。それだけしかない。

三島由紀夫「金閣寺」より


認識にとつて美は決して慰藉(いしや)ではない。女であり、妻でもあるだらうが、
慰藉ではない。しかしこの決して慰藉ではないところの美的なものと、認識との結婚からは
何ものかが生れる。はかない、あぶくみたいな、どうしやうもないものだが、何ものかが生れる。
世間で芸術と呼んでゐるのはそれさ。

三島由紀夫「金閣寺」より


美は……美的なものはもう僕にとつては怨敵なんだ。

三島由紀夫「金閣寺」より

127:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/10 17:45:19 vwFNuzK8
人生のいちばんはじめから、人間はずいぶんいろんなものを諦らめる。
生れて来て何を最初に教はるつて、それは「諦らめる」ことよ。そのうちに大人になつて
不幸を幸福だと思ふやうになつたり、何も希まないやうになつてしまふ。

三島由紀夫「夜の向日葵」より


幸福つて、何も感じないことなのよ。幸福つて、もつと鈍感なものよ。
…幸福な人は、自分以外のことなんか夢にも考へないで生きてゆくんですよ。

三島由紀夫「夜の向日葵」より

128:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/10 17:48:22 vwFNuzK8
一分間以上、人間が同じ強さで愛しつづけてゆくことなんか、不可能のやうな気が
あたしにはするの。愛するといふことは息を止めるやうなことだわ。一分間以上も息を
止めてゐてごらんなさい、死んでしまふか、笑ひ出してしまふか、どつちかだわ。

三島由紀夫「夜の向日葵」より


愛するといふことは、息を止めることぢやなくて、息をしてゐるのとおんなじことよ。

三島由紀夫「夜の向日葵」より

129:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/10 17:48:49 vwFNuzK8
恋愛といふやつは、単に熱なんです。脈搏なんです。情熱なんていふ誰も見たことのない
好加減な熱ぢやない、ちやんと体温計にあらはれる熱なんです。

三島由紀夫「夜の向日葵」より


恋愛といふのは、数なんです。それも函数(かんすう)なんです。
五なら五、六なら六だけ生へ近づく、それと同時に、おなじ数だけ死へ近づくといふ、
函数なんです。

三島由紀夫「夜の向日葵」より

130:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/10 17:49:16 vwFNuzK8
あなたらしさつていふものは、あなたの考へてゐるやうに、人が勝手にあなたにつけた
仇名ぢやない。人が勝手にあなたの上に見た夢でもない。あなたらしさつていふものは、
あなたの運命なんだ。のがれるすべもないものなんだ。神さまの与へた役割なんだ。

三島由紀夫「夜の向日葵」より

131:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/10 17:49:52 vwFNuzK8
もしあたくしが豚だつたら、真珠に嫉妬なんか感じはしないでせう。
でも、人造真珠が自分を硝子にすぎないとしぢゆう思つてゐることは、豚が時たま
自分のことを豚だと思つたりするのとは比べものにはならないの。

三島由紀夫「夜の向日葵」より


大丈夫よ、自分を本当の真珠だと信じてゐれば、硝子もいつかは真珠になるのよ。

三島由紀夫「夜の向日葵」より

132:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/12 00:28:40 +DmTpNAV
ひとたび叛心を抱いた者の胸を吹き抜ける風のものさびしさは、千三百年後の今日の
われわれの胸にも直ちに通ふのだ。この凄涼たる風がひとたび胸中に起つた以上、
人は最終的実行を以てしか、つひにこれを癒やす術を知らぬ。

三島由紀夫「日本文学小史 第四章 懐風藻」より

133:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/12 00:29:05 +DmTpNAV
正しい狂気といふものがあるのだ。

三島由紀夫「小説家の休暇」より

134:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/12 11:04:59 +DmTpNAV
青年の苦悩は、隠されるときもつとも美しい

三島由紀夫「青年像」より

135:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/12 11:05:32 +DmTpNAV
巧くなつて不正直になるのは堕落といふもので、巧くなつてもなほ正直といふところが尊いのだ

三島由紀夫「原田・メデル戦」より

136:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/13 01:36:11 hhmqhTH3
こんなにがんばって考えて考えていた
三島由紀夫氏は
どうして切腹?ハラキリィーをしたんだお
全然意味不わかんないお;;

137:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/13 10:49:59 TtnRAYGP
いやに澄んだ高い声の、中性的なアナウンサーの乙リキにすました軽薄な「客観性」、
これこそ、ジャーナリズムのいはゆる「良心的客観性」の空虚ないやらしさを象徴してゐる。

三島由紀夫「日録(昭和42年)」より

138:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/13 10:50:30 TtnRAYGP
この日本刀で人を斬れる時代が、早くやつて来ないかなあ。

三島由紀夫「日録(昭和42年)」より

139:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/13 10:50:53 TtnRAYGP
私は外国でウサギの肉を食べたことがあるが、柔らかくて、わりに旨い。独特のクサ味を
調味料で除去すれば、うまいはうの肉に入る。ウサギにしろ、ニワトリにしろ、豚にしろ、
さらに牛にしろ、概して大人しい動物の肉はうまい部類に入る。
肉をまづくしよう。少なくとも俺一人の肉はまづくしてやらう。と私は断乎たる決意を
固めたのである。

三島由紀夫「日録(昭和42年)」より

140:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/13 14:46:09 TtnRAYGP
極端に自分の感情を秘密にしたがる性格の持主は、一見どこまでも傷つかぬ第三者として
身を全うすることができるかとみえる。ところがかういふ人物の心の中にこそ、
現代の綺譚と神秘が住み、思ひがけない古風な悲劇へとそれらが彼を連れ込むのである。

三島由紀夫「盗賊」より


男には屡々(しばしば)見るが女にはきはめて稀なのが偽悪者である。
と同時に真の偽善者も亦、女の中にこれを見出だすのはむつかしい。
女は自分以外のものにはなれないのである。といふより実にお手軽に「自分自身」になりきるのだ。
宗教が女性を収攬しやすい理由は茲(ここ)にある。

三島由紀夫「盗賊」より

141:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/13 14:46:40 TtnRAYGP
女の心に全く無智な者として振舞ひながらその心に触れてゆくやり方は青年の特権である

三島由紀夫「盗賊」より


嫉妬こそ生きる力だ。
だが魂が未熟なままに生ひ育つた人のなかには、苦しむことを知つて嫉妬することを
知らない人が往々ある。
彼は嫉妬といふ見かけは危険でその実安全な感情を、もつと微妙で高尚な、それだけ、
はるかに、危険な感情と好んですりかへてしまふのだ。

三島由紀夫「盗賊」より

142:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/13 14:50:43 TtnRAYGP
死を人は生の絵具を以てしか描きだすことができない。

三島由紀夫「盗賊」より


たとひ自殺の決心がどのやうな強固なものであらうと、人は生前に、一刹那でも死者の眼で
この地上を見ることはできぬ筈だつた。どんなに厳密に死のためにのみ計画された行為であつても、
それは生の範疇をのがれることができぬ筈だつた。してみれば、自殺とは錬金術のやうに、
生といふ鉛から死といふ黄金を作り出さうとねがふ徒(あだ)なのぞみであらうか。
かつて世界に、本当の意味での自殺に成功した人間があるだらうか。われわれの科学は
まだ生命をつくりだすことができない。従つてまた死をつくりだすこともできないわけだ。
生ばかりを材料にして死を造らうとは、麻布や穀物やチーズをまぜて三週間醗酵させれば
鼠が出来ると考へた中世の学者にも、をさをさ劣らぬ頭のよさだ。

三島由紀夫「盗賊」より

143:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/13 14:51:35 TtnRAYGP
人は死を自らの手で選ぶことの他に、自己自身を選ぶ方法を持たないのである。
生を選ばうとして、人は夥しい「他」をしかつかまないではないか。

三島由紀夫「盗賊」より


自殺しようとする人間は往々死を不真面目に考へてゐるやうにみられる。否、彼は死を
自分の理解しうる幅で割切つてしまふことに熟練するのだ。かかる浅墓さは不真面目とは
紙一重の差であらう。しかし紙一重であれ、混同してはならない差別だ。
―生きてゆかうとする常人は、自己の理解しうる限界にαを加へたものとして死を了解する。
このαは単なる安全弁にすぎないのだが、彼はそこに正に深淵が介在するのだと思つてゐる。
むしろ深淵は、自殺しようとする人間の思考の浮薄さと浅墓さにこそ潜むものかもしれないのに。

三島由紀夫「盗賊」より

144:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/13 14:52:02 hhmqhTH3
138  まじで?
早々に自分で試したのかお;;

145:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/13 14:54:59 TtnRAYGP
死といふことは生の浪費ではありませんわね。死は倹(つま)しいものです。

三島由紀夫「盗賊」より


何のために生きてゐるかわからないから生きてゐられるんだわ。

三島由紀夫「盗賊」より

146:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/13 14:55:38 TtnRAYGP
決して生をのがれまいとする生き方は、自ら死へ歩み入る他はないのだらうか。
生への媚態なしにわれわれは生きえぬのだらうか。
丁度眠りをとらぬこと七日に及べば死が訪れると謂はれてゐるやうに、たえざる生の覚醒と
生の意識とは早晩人を死へ送り込まずには措かぬものだらうか。

三島由紀夫「盗賊」より


莫迦げ切つた目的のために死ぬことが出来るのも若さの一つの特権である。

三島由紀夫「盗賊」より

147:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/14 11:49:11 /3WvYEUo
私の言ひたいことは、口に日本文化や日本的伝統を軽蔑しながら、お茶漬の味とは
縁の切れない、さういふ中途半端な日本人はもう沢山だといふことであり、日本の未来の
若者にのぞむことは、ハンバーガーをパクつきながら、日本のユニークな精神的価値を、
おのれの誇りとしてくれることである。

三島由紀夫「お茶漬ナショナリズム」より

148:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/14 11:49:55 /3WvYEUo
エロティックといふのは、ふつうの人間が日常のなかでは自然と思つてゐる行為が、
外に現はれて人の目にふれるときエロティックと感じる。

三島由紀夫「古典芸能の方法による政治状況と性」より

149:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/14 17:09:44 /3WvYEUo
日本人本来の精神構造の中においては、エロース(愛)とアガペー(神の愛)は一直線に
つながつてゐる。もし女あるひは若衆に対する愛が、純一無垢なものになるときは、
それは主君に対する忠と何ら変はりない。

三島由紀夫「葉隠入門」より


男の世界は思ひやりの世界である。男の社会的な能力とは思ひやりの能力である。
武士道の世界は、一見荒々しい世界のやうに見えながら、現代よりももつと緻密な
人間同士の思ひやりのうへに、精密に運営されてゐた。

三島由紀夫「葉隠入門」より

150:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/14 17:11:29 /3WvYEUo
忠告は無料である。われわれは人に百円の金を貸すのも惜しむかはりに、無料の忠告なら
湯水のごとくそそいで惜しまない。しかも忠告が社会生活の潤滑油となることはめつたになく、
人の面目をつぶし、人の気力を阻喪させ、恨みをかふことに終はるのが十中八、九である。

三島由紀夫「葉隠入門」より


思想は覚悟である。覚悟は長年にわたつて日々確かめられなければならない。

三島由紀夫「葉隠入門」より

151:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/14 17:12:33 /3WvYEUo
長い準備があればこそ決断は早い。そして決断の行為そのものは自分で選べるが、
時期はかならずしも選ぶことができない。それは向かうからふりかかり、おそつてくるのである。
そして生きるといふことは向かうから、あるひは運命から、自分が選ばれてある瞬間のために
準備することではあるまいか。

三島由紀夫「葉隠入門」より


「強み」とは何か。知恵に流されぬことである。分別に溺れないことである。

三島由紀夫「葉隠入門」より

152:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/14 17:15:18 /3WvYEUo
エゴティズムはエゴイズムとは違ふ。
自尊の心が内にあつて、もしみづから持すること高ければ、人の言行などはもはや
問題ではない。人の悪口をいふにも及ばず、またとりたてて人をほめて歩くこともない。
そんな始末におへぬ人間の姿は、同時に「葉隠」の理想とする姿であつた。

三島由紀夫「葉隠入門」より


もし、われわれが生の尊厳をそれほど重んじるならば、どうして死の尊厳をも重んじない
わけにいくだらうか。いかなる死も、それを犬死と呼ぶことはできないのである。

三島由紀夫「葉隠入門」より

153:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/14 17:27:04 /3WvYEUo
今日只今の平和な日常生活の中にも、間接侵略の下拵(したごしら)へは着々と進められてゐる

三島由紀夫「祖国防衛隊はなぜ必要か?」より


不退転の決意とは何か?すなはち、国民自らが一朝あれば剣を執つて、国の歴史と伝統を
守る決意であり、自ら国を守らんとする気魄(きはく)であります。

三島由紀夫「祖国防衛隊はなぜ必要か?」より

154:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/17 10:55:36 mZf87n+t
妹の死後、私はたびたび妹の夢を見た。
時がたつにつれて死者の記憶は薄れてゆくものであるのに、夢はひとつの習慣になつて、
今日まで規則正しくつづいてゐる。

三島由紀夫「朝顔」より

155:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/17 10:58:27 mZf87n+t
われらの死後も朝な朝な東方から日が昇つて、われらの知悉してゐる世界を照らすといふ確信は、
幸福な確信である。しかしそれを確実だと信じる理由がわれわれにあるのか?

三島由紀夫「旅の墓碑銘」より


認識の中にぬくぬくと坐つてゐる人たちは、いつも認識によつて世界を所有し、世界を
確信してゐる。しかし芸術家は見なければならぬ。認識する代りに、ただ、見なければならぬ。
一度見てしまつたが最後、存在の不確かさは彼を囲繞(いによう)するのだ。

三島由紀夫「旅の墓碑銘」より

156:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/17 10:59:12 mZf87n+t
僕は生れてからただの一度も退屈したことがないんだ。それだけが僕の猛烈な幸運なんだ。

三島由紀夫「旅の墓碑銘」より


自分の名前は他人の所有物だ。

三島由紀夫「旅の墓碑銘」より

157:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/17 11:00:12 mZf87n+t
言葉によつて表現されたものは、もうすでに、厳密には僕のものぢやない。
僕はその瞬間に、他人とその思想を共有してゐるんだからね。

三島由紀夫「旅の墓碑銘」より


個性といふものは決して存在しないんだ。

三島由紀夫「旅の墓碑銘」より

158:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/17 11:01:54 mZf87n+t
肉体には類型があるだけだ。神はそれだけ肉体を大事にして、与へるべき自由を節約したんだ。
自由といふやつは精神にくれてやつた。こいつが精神の愛用する手ごろの玩具さ。
……肉体は一定の位置をいつも占めてゐる。世界の旅でいつも僕を愕(おどろ)かせたのは、
肉体が占めることを忘れないこの位置のふしぎさだつた。たとへば僕は夢にまで見た
希臘(ギリシャ)の廃墟に立つてゐた。そのとき僕の肉体が占めてゐたほどの確乎たる
僕の空間を僕の精神はかつて占めたことがなかつたんだ。

三島由紀夫「旅の墓碑銘」より

159:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/17 11:03:08 mZf87n+t
生命は指で触れるもんぢやない。生命は生命で触れるものだ。
丁度物質と物質が触れ合ふやうにね。

三島由紀夫「旅の墓碑銘」より


旅の思ひ出といふものは、情交の思ひ出とよく似てゐる。
事前の欲望を辿ることはもうできない代りに、その欲望は微妙に変質してまた目前にあるので、
思ひ出の行為があたかも遡りうるやうな錯覚を与へる。

三島由紀夫「旅の墓碑銘」より

160:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/17 11:03:55 mZf87n+t
どうしても理解できないといふことが人間同士をつなぐ唯一の橋だ。

三島由紀夫「旅の墓碑銘」より


本当の若者といふものは、かれら自身こそ春なのだから、季節の春なぞには目もくれないで
ゐるべきなのだ。

三島由紀夫「旅の墓碑銘」より

161:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/17 11:05:04 mZf87n+t
戦争時代の思ひ出つて全く妙だね。他人が一人もいなかつた。
他人らしい清潔な表情をしてゐるのは、路傍にころがつた焼死死体だけだつた。

三島由紀夫「旅の墓碑銘」より

162:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/17 11:55:08 mZf87n+t
何か、極く小さな、どんなありきたりな希望でもよい。それがなくては、人は明日のはうへ
生き延びることができない。明日にのこつてゐる繕ひものとか、明日立つことになつてゐる
旅行の切符とか、明日飲むことにしてある罎ののこりの僅かな酒とか、さういふものを
人は明日のために喜捨する。そして夜明けを迎へることを許される。

三島由紀夫「愛の渇き」より

163:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/17 11:56:50 mZf87n+t
われわれが人間の目を持つかぎり、どのやうに眺め変へても、所詮は同じ答が出るだけだ。

三島由紀夫「愛の渇き」より


苟(いやしく)も仕事をしようとすれば、命を賭けずに本当の仕事ができるものではない。

三島由紀夫「愛の渇き」より

164:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/17 11:57:38 mZf87n+t
生れのよい人間は滅多に風流になんぞ染つたりはせぬものだ。

三島由紀夫「愛の渇き」より


われわれはむしろ、自分が待ちのぞんでゐたものに裏切られるよりも、力(つと)めて
軽んじてゐたものに裏切られることで、より深く傷つくものだ。
それは背中から刺された匕首(あいくち)だ。

三島由紀夫「愛の渇き」より

165:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/17 11:59:53 mZf87n+t
人生が生きるに値ひしないと考へることは容易いが、それだけにまた、生きるに値ひしない
といふことを考へないでゐることは、多少とも鋭敏な感受性をもつた人には困難である。

三島由紀夫「愛の渇き」より


この世の情熱は希望によつてのみ腐蝕される。

三島由紀夫「愛の渇き」より

166:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/17 12:01:25 mZf87n+t
ある人たちにとつては生きることがいかにも容易であり、ある人にとつてはいかにも困難である。
人種的差別よりももつと甚だしいこの不公平。

三島由紀夫「愛の渇き」より

167:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/17 12:07:24 mZf87n+t
生きることが難しいなどといふことは何も自慢になどなりはしないのだ。
わたしたちが生の内にあらゆる困難を見出す能力は、ある意味ではわたしたちの生を
人並に容易にするために役立つてゐる能力なのだ。なぜといつて、この能力がなかつたら、
わたしたちにとつての生は、困難でも容易でもないつるつるした足がかりのない
真空の球になつてしまふ。
この能力は生がさう見られることを遮(さまた)げる能力であり、生が決してそんな風に
見えては来ない容易な人種の、あづかり知らぬ能力であるとはいへ、それは何ら格別な
能力ではなく、ただの日常必需品にすぎないのだ。
人生の秤をごまかして、必要以上に重く見せた人は、地獄で罰を受ける。
そんなごまかしをしなくつても、生は衣服のやうに意識されない重みであつて、
外套を着て肩が凝るのは病人なのだ。

三島由紀夫「愛の渇き」より

168:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/17 12:09:32 mZf87n+t
下から上を見たときも、上から下を見たときも、階級意識といふものは嫉妬の代替物に
なりうるのだ。

三島由紀夫「愛の渇き」より


人生には何事も可能であるかのやうに信じられる瞬間が幾度かあり、この瞬間に
おそらく人は普段の目が見ることのできない多くのものを瞥見し、それらが一度
忘却の底に横たはつたのちも、折にふれては蘇つて、世界の苦痛と歓喜のおどろくべき
豊饒さを、再びわれわれに向つて暗示するのである。

三島由紀夫「愛の渇き」より

169:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/17 12:10:30 mZf87n+t
あまりに永い苦悩は人を愚かにする。
苦悩によつて愚かにされた人は、もう歓喜を疑ふことができない。

三島由紀夫「愛の渇き」より


嫉妬の情熱は事実上の証拠で動かされぬ点においては、むしろ理想主義者の情熱に
近づくのである。

三島由紀夫「愛の渇き」より

170:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/17 12:11:19 mZf87n+t
衝動によつて美しくされ、熱望によつて眩ゆくされた若者の表情ほどに、美しいものが
この世にあらうか。

三島由紀夫「愛の渇き」より

171:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/17 23:39:31 mZf87n+t
女といふものは、自分を莫迦だと知る瞬間に、それがわかるくらい自分は利巧な女だといふ
循環論法に陥るのですね。

三島由紀夫「魔群の通過」より


下手な絵描きに限つて絵描きらしく見えることを好むものである。

三島由紀夫「魔群の通過」より

172:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/17 23:40:30 mZf87n+t
魔はやさしい面持でわれわれに誘ひをかける。

三島由紀夫「魔群の通過」より


中年の女といふものは若い女を見るのに苛酷な道学者の目しか持たぬ点に於て
女学校の修身の先生も奔放な生活を送つてゐる富裕な有閑マダムもかはりない。

三島由紀夫「魔群の通過」より

173:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/17 23:41:36 mZf87n+t
『時』は私たちの生きてゐることの徒(あだ)な所以をいひきかせるために
流れてゐるのであらうか?

三島由紀夫「花山院」より

174:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/17 23:42:42 mZf87n+t
寡黙な人間は、寡黙な秘密を持つものである。

三島由紀夫「日曜日」より


恋人同士といふものは仕馴れた役者のやうに、予め手順を考へた舞台装置の上で
愛し合ふものである。

三島由紀夫「日曜日」より


善意も、無心も、十分人を殺すことのできる刃物である。

三島由紀夫「日曜日」より

175:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/17 23:45:20 mZf87n+t
不安は奇体に人の顔つきを若々しくする。

三島由紀夫「毒薬の社会的効用について」より

176:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/18 11:00:44 q/Mhkef/
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177:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/18 11:00:59 uzqA9bQD
まことに海も山も時であつた。
人の目に映つたこの世のさまざまな事象は、一旦記憶の世界へ投げ込まれるや、時の秩序に
組み入れられた存在に他ならぬ。そこにあるものは、時の海、時の山脈に他ならぬ。
波はもはや浜辺に打ち寄せてゐる青い海水ではない。時の水に充たされた海には、
時の潮が時のつきせぬ波を波立ててゐるにすぎない。そのとき海が却つてその本質を、
その流転の本質を露(あら)はにするのである。
人間もまた時間の形をしてゐる。これだけが人間のほぼ確実な信頼するに足る外形である。

三島由紀夫「偉大な姉妹」より

178:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/18 11:01:36 uzqA9bQD
この世には自分の形を忘れることのできる人とできない人との二つの種族がある。

三島由紀夫「偉大な姉妹」より

179:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/18 11:03:57 uzqA9bQD
歌舞伎役者の顔こそ偉大でなければならない。
大首物の役者絵は、悉く奇怪な偉大さを持つた顔を描いてゐる。その偉大さには一種の
不均衡と過剰がある。
拡大された感情、誇張された悲哀を包むその輪廓は、均斉を保たうがためにこの悲哀や
歓喜の内容に戦ひを挑んでゐる。美の伝達力として重んぜられたこの偉大さは、
歌舞伎が考へたやうな美の必然的な形式なのである。
そこでは美と偉大の結婚は世にも自然であつた。美が一個の犠牲の観念であり、偉大が
一個の宗教的観念となることによつて、この婚姻が成り立つた。大首物の錦絵の顔は、
偉大に蝕まれた美のあらはな病患を語つてゐる。

三島由紀夫「偉大な姉妹」より

180:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/18 11:04:18 uzqA9bQD
もし罪といふものがあるなら、それは罪の行為が飛び去つたあとの真白な空白にすぎぬだらう。
罪ほど清浄な観念はないだらう。

三島由紀夫「偉大な姉妹」より

181:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/18 11:06:38 uzqA9bQD
『奇蹟』は何と日常的な面構へをしてゐたらう!

三島由紀夫「ラディゲの死」より


神がかりの人間は、神が去つたあとで、おそろしい疲労に襲はれるんださうだ。
それはまるでいやな、嘔吐を催ほすやうな疲労で、眠りもならない。
神を見た人間は、視力の極致まで、人間能力の極致まで行つてかへつて来る。
ほんの一瞬間でも、そのために心霊の莫大なエネルギーを費つてしまふ。

三島由紀夫「ラディゲの死」より

182:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/18 11:08:11 uzqA9bQD
僕が『天の手袋』と呼んでゐるものを君は識つてゐる筈だ。
天は、手を汚さずに僕等に触れる為めに、手袋をはめることが間々あるのだ。
レイモン・ラディゲは天の手袋だつた。彼の形は手袋のやうにぴつたりと天に合ふのだつた。
天が手を抜くと、それは死だ。

三島由紀夫「ラディゲの死」より


生きてゐるといふことは一種の綱渡りだ。

三島由紀夫「ラディゲの死」より

183:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/18 11:13:14 uzqA9bQD
小説家における人間的なものは、細菌学者における細菌に似てゐる。
感染しないやうに、ピンセットで扱はねばならぬ。言葉といふピンセットで。……しかし
本当に細菌の秘密を知るには、いつかそれに感染しなければならぬのかもしれないのだ。
そして私は感染を、つまり幸福になることを、怖れた。

三島由紀夫「施餓鬼舟」より


青年の文学的な思ひ込みなどは下らんものだ。

三島由紀夫「施餓鬼舟」より

184:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/18 11:14:22 uzqA9bQD
俺の美は、何といふひつそりとした速度で、何といふ不気味なのろさで、俺の指の間から
辷り落ちてしまつたことだらう。俺は一体何の罪を犯してかうなつたのか。
自分も知らない罪といふものがあるのだらうか。たとへば、さめると同時に忘れられる、
夢のなかの罪のほかには。

三島由紀夫「孔雀」より

185:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/18 11:16:38 uzqA9bQD
嫉妬は透視する力だ。

三島由紀夫「獅子」より


愛の問題ではないのです。女には事実のはうがもつと大切です。

三島由紀夫「獅子」より

186:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/18 11:17:31 uzqA9bQD
皮肉は何といふ美味なつまみものであらう。殊に酒精分の強い洋酒の場合は。

三島由紀夫「獅子」より


凡て悪への悲しげな意慾が完全に欠如してゐるこのやうな人間、(それこそ悪それ自体)が
地上から滅び去るとはどんなによいことであらう。さういふ善意が滅びることは、
どれほど地上の明るさを増すことだらう。

三島由紀夫「獅子」より

187:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/18 11:18:05 uzqA9bQD
この世に戦争をもたらし、悪しき希望を、偽物の明日を、夜鳴き鶏を、残虐きはまる侵略を
もたらすものこそ「幸福」の思考なのである。

三島由紀夫「獅子」より

188:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/18 11:22:06 uzqA9bQD
一寸ばかり芸術的な、一寸ばかり良心的な……。要するに、一寸ばかり、といふことは
何てけがらはしいんだ。

三島由紀夫「急停車」より


体力の旺盛な青年は、戦争の中に自殺の機会を見出だし、知的な虚弱な青年は、抵抗し、
生き延びたいと感じた。まことに自然である。
平和な時代であつても、スポーツは青春の過剰なエネルギーの自殺の演技であるし、
知的な目ざめは、つかのまの解放へ急がうとする自分の若い肉体に対する抵抗なのだ。
それぞれの資質に応じ、抵抗が勝つか、自殺が勝つかである。

三島由紀夫「急停車」より

189:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/18 11:23:20 uzqA9bQD
人間の歴史は、青春の過剰なエネルギーの徹底的なあますところのない活用の方途としては、
まだ戦争以外のものを発明してはいない。

三島由紀夫「急停車」より


一刻のちには死ぬかもしれない。しかも今は健康で若くて全的に生きてゐる。かう感じることの、
目くるめくやうな感じは、何て甘かつたらう!あれはまるで阿片だ。悪習だ。
一度あの味を知ると、ほかのあらゆる生活が耐へがたくなつてしまふんだ。

三島由紀夫「急停車」より

190:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/19 02:20:12 1wIKGylF
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191:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/19 09:30:07 1wIKGylF
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192:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/19 23:56:48 9Jzf5sEY
女が生活に介入してくることによつて、人は煩瑣(はんさ)を愛するやうになる。
男女関係は或る意味では極めて事務的なたのしみだ。

三島由紀夫「慈善」より


男を事務的な目附で眺めることができるのは既婚の女の特権である。
公私混同には持つてこいの特権だ。

三島由紀夫「慈善」より

193:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/19 23:58:31 9Jzf5sEY
幸福の話題は罪のやうに人を疲らせる。

三島由紀夫「慈善」より


悪徳の虚栄心が悪徳そのものの邪魔立てをする。
「魂の純潔」なるものを保たせようとするならば、少くとも青年には、美徳の虚栄心よりも
悪徳の虚栄心の方が有効なのである。

三島由紀夫「慈善」より

194:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/19 23:59:35 9Jzf5sEY
曇つた空を見てゐると、人間の習慣とか因襲とか規則とかいふものはあそこから落ちて
来たのではないかと思はれるのである。曇つた日は曇つた他の日と寸分ちがはない。
何が似てゐると云つて、人間の世界にはこれほど似てゐるものはない。
人はこんな残酷な相似に耐へられたものではない。

三島由紀夫「慈善」より

195:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/20 00:01:31 vQqH3BME
戦争が道徳を失はせたといふのは嘘だ。道徳はいつどこにでもころがつてゐる。
しかし運動をするものに運動神経が必要とされるやうに、道徳的な神経がなくては
道徳はつかまらない。戦争が失はせたのは道徳的神経だ。この神経なしには人は道徳的な
行為をすることができぬ。従つてまた真の意味の不徳に到達することもできぬ筈だつた。

三島由紀夫「慈善」より

196:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/20 11:35:17 vQqH3BME
罪といふものの謙遜な性質を人は容易に恕(ゆる)すが、秘密といふものの尊大な性質を
人は恕さない。

三島由紀夫「果実」より

197:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/20 11:36:25 vQqH3BME
風景もまた音楽のやうなものである。一度その中へ足を踏み入れると、それはもはや
透明で複雑な奥行を持つた一個の純粋な体験に化するのである。

三島由紀夫「死の島」より


形式とは、僕にとつては残酷さの決心だつた。しかしあの島の形式の優美なことは、
およそ僕の決心と似ても似つかない。ああ、あの島は形式の美徳で僕を負かす。
あれは僕の内部へ優雅な行幸(みゆき)のやうに入つて来る。……

三島由紀夫「死の島」より

198:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/20 11:37:03 vQqH3BME
占領時代は屈辱の時代である。虚偽の時代である。面従背反と、肉体的および精神的売淫と、
策謀と譎詐の時代である。

三島由紀夫「江口初女覚書」より

199:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/20 11:43:54 vQqH3BME
蘭陵王は必ずしも自分の優にやさしい顔立ちを恥じてはゐなかつたにちがいない。
むしろ自らひそかにそれを矜つてゐたかもしれない。
しかし戦ひが、是非なく獰猛な仮面を着けることを強ひたのである。しかし又、蘭陵王は
それを少しも悲しまなかつたかもしれない。或ひは心ひそかに喜びとしてゐたかもしれない。
なぜなら敵の畏怖は、仮面と武勇にかかはり、それだけ彼のやさしい美しい顔は、
傷一つ負はずに永遠に護られることになつたからである。

三島由紀夫「蘭陵王」より


私は、横笛の音楽が、何一つ発展せずに流れるのを知つた。何ら発展しないこと、これが重要だ。
音楽が真に生の持続に忠実であるならば、(笛がこれほど人間の息に忠実であるやうに!)
決して発展しないといふこと以上に純粋なことがあるだらうか。

三島由紀夫「蘭陵王」より

200:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/21 00:02:22 HxwWKeyj
私がいつもふしぎに思ふのは、小説家がしたり気な回答者として、新聞雑誌の人生相談の欄に
招かれることである。それはあたかも、オレンヂ・ジュースしか呑んだことのない人間が、
オレンヂの樹の栽培について答へてゐるやうなものだ。

三島由紀夫「小説とは何か」より

201:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/21 00:04:04 HxwWKeyj
女が男にだまされることなんぞ、一度だつて起りはいたしません。

三島由紀夫「サド侯爵夫人」より


想像できないものを蔑む力は、世間一般にはびこつて、その吊床の上で人々はお昼寝を
たのしみます。そしていつしか真鍮の胸、真鍮のお乳房、真鍮のお腹を持つやうになるのです、
磨き立ててぴかぴかに光った。
あなた方は薔薇を見れば美しいと仰言り、蛇を見れば気味がわるいと仰言る。あなた方は
御存知ないんです。薔薇と蛇が親しい友達で、夜になればお互ひに姿を変へ、蛇が頬を赤らめ、
薔薇が鱗を光らす世界を。

三島由紀夫「サド侯爵夫人」より

202:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/21 00:05:18 HxwWKeyj
どんな時代にならうと、権力のもつとも深い実質は若者の筋肉だ。

三島由紀夫「わが友ヒットラー」より


灼熱した不定形なものこそ、あらゆる形をして形たらしめる、形の内側の焔なのだ。
雪花石膏(アラバスター)のやうに白い美しい人間の肉体も、内側にその焔を分ち持ち、
焔を透かして見せることによつてはじめて美しい。

三島由紀夫「わが友ヒットラー」より

203:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/21 00:06:17 HxwWKeyj
個人が組織を倒す、といふのは善である。

三島由紀夫「個人が組織を倒す道徳―『サムライ』について」より

204:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/21 00:07:57 HxwWKeyj
論敵同士などといふものは卑小な関係であり、言葉の上の敵味方なんて、女学生の寄宿舎の
そねみ合ひと大差がありません。

三島由紀夫「野口武彦氏への公開状」より


剣のことを、世間ではイデオロギーとか何とか言つてゐるやうですが、それは使ふ刀の
研師のちがひほどの問題で、剣が二つあれば、二人の男がこれを執つて、戦つて、
殺し合ふのは当然のことです。

三島由紀夫「野口武彦氏への公開状」より

205:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/21 16:49:21 HxwWKeyj
悲しみといふものを喜劇によそほはうとするのは人間の特権だ。

三島由紀夫「彩絵硝子」より

206:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/21 16:50:06 HxwWKeyj
無秩序もまた、その人を魅する力において一個の法則である。

三島由紀夫「鍵のかかる部屋」より


本当に男を尊厳できるのは、劣等感を持つた女だけだ。

三島由紀夫「鍵のかかる部屋」より

207:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/21 16:50:43 HxwWKeyj
女を抱くとき、われわれは大抵、顔か乳房か局部か太腿かをバラバラに抱いてゐるのだ。
それを総括する「肉体」といふ観念の下(もと)に。

三島由紀夫「鍵のかかる部屋」より


この世には無害な道楽なんて存在しないと考えたはうが賢明だ。

三島由紀夫「鍵のかかる部屋」より

208:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/21 16:51:50 HxwWKeyj
地位を持つた男たちといふものは、少女みたいな感受性を持つてゐる。
いつもでは困るが、一寸した息抜きに、何でもない男から肩を叩かれると嬉しくなるのだ。

三島由紀夫「鍵のかかる部屋」より


歌うたひにはみんな白痴的な素質がある。
歌をうたふといふことは、何か内面的なものの凝固を妨げるのだらう。或る流露感だけに
涵(ひた)つて生きる。そんなら何も人間の形をしてゐる必要はないのだ。

三島由紀夫「鍵のかかる部屋」より

209:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/22 11:10:59 s1DoX82X
>>206の訂正

尊厳 → 尊敬

210:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/22 11:40:02 s1DoX82X
同情といふ感情は一種の恐怖心で、自分に大して関係のないものが関係をもちさうになるのを
惧(おそ)れるあまり、先手を打つて、同情といふ不良導体でつながれた関係をもたうとする感情だ。

三島由紀夫「親切な機械」より


事件といふものが一種の古典的性格をもつてゐることは、古典といふものが年月の経過と共に
一種の事件的性格を帯びるのと似通つてゐる。
事件も古典と同じやうに、さまざまの語り変へが可能である。

三島由紀夫「親切な機械」より

211:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/22 11:41:50 s1DoX82X
表現によつて、われわれは生へ還つてゆく。芸術家が死のあとまでも生きのこるのはそのためだ。
しかも表現といふ行為は、芸術家の生活は、何といふ緩慢な死だらう。精神が肉体を模倣し、
肉体が自然を模倣する。つまり自然を―死を模倣する。自然は死だ。そのとき芸術家は
死の限りなく近くに、言ひかへれば、表現された生の限りなく近くにゐるのだなあ。
芸術家にとつては、だから絶望は無意味だ。絶望する暇があつたら、表現しなければならぬ。
なぜかといつて、どんな絶望も、生を前にして表現が感じなければならぬこの自己の無力感、
おのれの非力を隅々まで感じるこの壮麗な歓喜と比べれば何ほどのことがあらう。

三島由紀夫「火山の休暇」より

212:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/22 11:43:34 s1DoX82X
人生経験は多くの場合恋愛に一定の理論を与へるが、人は自分の立てた理論を他人に
強ひこそすれ、自分は又してもその理論に背いて躓(つまづ)くのを承知で行動する。

三島由紀夫「牝犬」より


生活とは凡庸な発見である。いつもすでに誰かが先にしてしまつた発見である。

三島由紀夫「牝犬」より

213:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/22 11:44:42 s1DoX82X
理想的な「他人」はこの世にはないのだ。滑稽なことだが、屍体にならなければ、
人は「親密な他人」になれない。

三島由紀夫「牝犬」より


吝嗇といふものは一種の見張りであり、陰謀であり、結社であり、油断のならない正義の
熱情である。

三島由紀夫「牝犬」より


浪費癖にくらべると、吝嗇は実に無我で謙遜である。

三島由紀夫「牝犬」より

214:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/22 11:45:19 s1DoX82X
愛とは目的をもたない神秘的な洞察力がわれわれを居たたまれなくさせる感情のやうにも思はれ、
一個の想像力のやうにも思はれ、本質的に一つの「解釈」にすぎないやうにも思はれる。

三島由紀夫「椅子」より

215:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/22 11:45:48 s1DoX82X
女には、世を捨てると云つたところで、自分のもつてゐるものを捨てることなど出来はしない。
男だけが、自分の現にもつてゐるものを捨てることができるのである。

三島由紀夫「志賀寺上人の恋」より

216:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/24 13:13:02 Q1hOIpEn
女はあらゆる価値を感性の泥沼に引きづり下ろしてしまふ。
女は主義といふものを全く理解しない。『何々主義的』といふところまではわかるが、
『何々主義』といふものはわからない。主義ばかりではない。独創性がないから、
雰囲気をさへ理解しない。わかるのは匂ひだけだ。

三島由紀夫「禁色」より


女のもつ性的魅力、媚態の本能、あらゆる性的牽引の才能は、女の無用であることの証拠である。
有用なものは媚態を要しない。男が女に惹かれねばならぬことは何といふ損失であらう。
男の精神性に加へられた何といふ汚辱であらう。

三島由紀夫「禁色」より

217:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/24 13:16:01 Q1hOIpEn
あらゆる文体は形容詞の部分から古くなると謂はれてゐる。つまり形容詞は肉体なのである。
青春なのである。

三島由紀夫「禁色」より


絶望は安息の一種である。

三島由紀夫「禁色」より


窓の外から眺める他人の不幸は、窓の中で見るそれよりも美しい。
不幸はめつたに窓枠をこへてまでわれわれにとびかかつてくるものではないからである。

三島由紀夫「禁色」より

218:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/24 13:17:00 Q1hOIpEn
本当の美とは人を黙らせるものであります。

三島由紀夫「禁色」より


美といふものは手を触れたら火傷をするやうなものだ。

三島由紀夫「禁色」より


思想を抱いてゐる男は、女の目にはもともと神秘的に見えるものである。
女は死んでも「青大将は俺の大好物だ」なんぞと言へないやうに出来てゐるからである。

三島由紀夫「禁色」より

219:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/24 13:19:10 Q1hOIpEn
家庭といふものはどこかに必ず何らかの不幸を孕んでゐるものだ。
帆船を航路の上に押しすすめる順風は、それを破滅にみちびく暴風と本質的には同じ風である。
家庭や家族は順風のやうな中和された不幸に押されて動いてゆくもので、家族をゑがいた
多くの名画には、華押のやうに、ひそんだ不幸が手落ちなく一隅に書き込まれてゐる。

三島由紀夫「禁色」より


人の不幸は何程かわれわれの幸福である。
激しい恋愛の時々刻々の移りゆきではこの公式が一等純粋な形をとる。

三島由紀夫「禁色」より


感情の或る種の詭計(きけい)の告白に当つて、女が示す放恣な陶酔の涙ほど、
人の心をうごかすものはない。

三島由紀夫「禁色」より

220:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/24 13:28:41 Q1hOIpEn
様式は芸術の生れながらの宿命である。作品による内的経験と人生経験とは、様式の
有無によつて次元を異にしてゐるものと考へなくてはならぬ。
しかし人生経験のうちで作品による内的経験にもつともちかいものが唯一つある。
それは何かといふと、死の与へる感動である。
われわれは死を経験することができない。しかしその感動はしばしば経験する。死の想念、
家族の死、愛する者の死において経験する。つまり死とは生の唯一の様式なのである。
芸術作品の感動がわれわれにあのやうに強く生を意識させるのは、それが死の感動だから
ではあるまいか。

三島由紀夫「禁色」より

221:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/24 13:29:49 Q1hOIpEn
表現といふ行為は、現実にまたがつて、そいつに止(とど)めを刺し、その息の根を止める行為だ。

三島由紀夫「禁色」より


女が髭を持つてゐないやうに、彼は年齢を持つてゐなかつた。

三島由紀夫「禁色」より

222:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/24 13:32:38 Q1hOIpEn
自殺はどんな高尚なそれも低級なそれも、思考それ自体の自殺行為であり、およそ
考へすぎなかつた自殺といふものは存在しない。

三島由紀夫「禁色」より


愛さないで体を委すといふことが、男にはあんなに易しいのに、女にはどうして難しいのだらう。
なぜそれを知ることが、娼婦だけにゆるされてゐるのだらう。

三島由紀夫「禁色」より

223:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/24 13:35:03 Q1hOIpEn
どんな思想も観念も、肉感をもたないものは、人を感動させない。

三島由紀夫「禁色」より


『君は僕が好きだ。僕も僕が好きだ。仲良くしませう』―これはエゴイストの愛情の
公理である。同時に、相思相愛の唯一の事例である。

三島由紀夫「禁色」より

224:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/24 23:36:55 Q1hOIpEn
しかしいつも勝利は凡庸さの側にある。

三島由紀夫「禁色」より


褒められた女は、精神的に、ほとんど売淫の当為を感じる。

三島由紀夫「禁色」より


女は決して征服されない。決して!男が女に対する崇敬の念から凌辱を敢てする場合が
ままあるやうに、この上ない侮蔑の証しとして、女が男に身を任す場合もあるのだ。

三島由紀夫「禁色」より


愛する者はいつも寛大で、愛される者はいつも残酷さ。

三島由紀夫「禁色」より

225:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/24 23:37:51 Q1hOIpEn
醒めることは、更に一層深い迷ひではないのか。どこへ向つて、何のために、われらは
醒めようと望むのか。人生が一つの迷妄である以上、この錯雑した始末に負へない迷妄のうちに、
よく秩序立ち論理づけられた人工的な迷妄を築くことこそ、もつとも賢明な覚醒ではないのか。

三島由紀夫「禁色」より

226:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/24 23:38:59 Q1hOIpEn
愛は絶望からしか生まれない。
精神対自然、かういふ了解不可能なものへの精神の運動が愛なのだ。

三島由紀夫「禁色」より


精神はたえず疑問を作り出し、疑問を蓄えてゐなければならぬ。精神の創造力とは疑問を
創造する力なんだ。かうして精神の創造の究極の目標は、疑問そのもの、つまり自然を
創造することになる。それは不可能だ。しかし不可能へむかつていつも進むのが精神の方法なのだ。
精神は、……まあいはば、零を無限に集積して一に達しようとする衝動だといへるだらう。

三島由紀夫「禁色」より

227:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/24 23:43:26 Q1hOIpEn
美とは到達できない此岸(しがん)なのだ。さうではないか?宗教はいつも彼岸(ひがん)を、
来世を距離の彼方に置く。しかし距離とは、人間的概念では、畢竟するに、到達の可能性なのだ。
科学と宗教とは距離の差にすぎない。六十八万光年の彼方にある大星雲は、やはり、到達の
可能性なのだよ。宗教は到達の幻影だし、科学は到達の技術だ。
美は、これに反して、いつも此岸にある。この世にあり、現前してをり、確乎として
手に触れることができる。われわれの官能が、それを味はひうるといふことが、美の前提条件だ。
官能はかくて重要だ。それは美をたしかめる。しかし美に到達することは決して出来ない。
なぜなら官能による感受が何よりも先にそれへの到達を遮(さまた)げるから。
希臘人が彫刻でもつて美を表現したのは、賢明な方法だつた。

三島由紀夫「禁色」より

228:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/24 23:44:03 Q1hOIpEn
此岸にあつて到達すべからざるもの。かう言へば、君にもよく納得がゆくだらう。
美とは人間における自然、人間的条件の下に置かれた自然なんだ。人間の中にあつて
最も深く人間を規制し、人間に反抗するものが美なのだ。精神は、この美のおかげで、
片時も安眠できない。……

三島由紀夫「禁色」より

229:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/24 23:45:30 Q1hOIpEn
この世には最高の瞬間といふものがある。この世における精神と自然との和解、
精神と自然との交合の瞬間だ。
その表現は、生きてゐるあひだの人間には不可能といふ他はない。生ける人間は、その瞬間を
おそらく味はふかもしれない。しかし表現することはできない。それは人間の能力をこえてゐる。
『人間はかくて超人間的なものを表現できない』と君は言ふのか?それはまちがひだ。
人間は真に人間的な究極の状態を表現できないのだ。人間が人間になる最高の瞬間を
表現できないのだ。
芸術家は万能ではないし、表現もまた万能ではない。表現はいつも二者択一を迫られてゐる。
表現か、行為か。愛の行為でも、人は行為を以てしか人を愛しえない。そしてあとから
それを表現する。

三島由紀夫「禁色」より

230:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/24 23:46:15 Q1hOIpEn
しかし真の重要な問題は、表現と行為との同時性が可能かといふことだ。それについては
人間は一つだけ知つてゐる。それは死なのだ。
死は行為だが、これほど一回的な究極的な行為はない。

三島由紀夫「禁色」より

231:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/24 23:47:33 Q1hOIpEn
死は事実にすぎぬ。行為の死は、自殺と言ひ直すべきだらう。人は自分の意志によつて
生れることはできぬが、意志によつて死ぬことはできる。これが古来のあらゆる自然哲学の
根本命題だ。しかし、死において、自殺といふ行為と、生の全的な表現との同時性が
可能であることは疑ひを容れない。最高の瞬間の表現は死に俟たねばならない。
これには逆証明が可能だと思はれる。
生者の表現の最高のものは、たかだか、最高の瞬間の次位に位するもの、生の全的な姿から
αを差引いたものなのだ。この表現に生のαが加はつて、それによつて生が完成されてゐる。
なぜかといへば、表現しつつも人は生きてをり、否定しえざるその生は表現から除外されてをり、
表現者は仮死を装つてゐるだけなのだ。

三島由紀夫「禁色」より

232:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/24 23:52:56 Q1hOIpEn
このα、これを人はいかに夢みたらう。芸術家の夢はいつもそこにかかつてゐる。
生が表現を稀(うす)めること、表現の真の的確さを奪ふこと、このことには誰しも
気がついてゐる。生者の考へる的確さは一つの的確さにすぎぬ。死者にとつては、
われわれが青いと思つてゐる空も、緑いろに煌めいてゐるかもしれないのだ。
ふしぎなことだ。かうして表現に絶望した生者を、又しても救ひに駆けつけて来るのは美なのだ。
生の不的確に断乎として踏みとどまらねばならぬ、と教へてくれる者は美なのだ。
ここにいたつて、美が官能性に、生に、縛られてをり、官能性の正確さをしか信奉しないことを
人に教へるといふ点で、その点でこそ正に、美が人間にとつて倫理的だといふことがわかるだらう。

三島由紀夫「禁色」より

233:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/24 23:58:32 Q1hOIpEn
最早私には動かすことのできない不思議な満足があつた。
水泳は覚えずにかへつて来てしまつたものの、人間が容易に人に伝へ得ないあの一つの真実、
後年私がそれを求めてさすらひ、おそらくそれとひきかへでなら、命さへ惜しまぬであらう
一つの真実を、私は覚えて来たからである。

三島由紀夫「岬にての物語」より

234:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/25 10:47:21 bnHpOIqZ
蓋をあけることは何らかの意味でひとつの解放だ。蓋のなかみをとりだすことよりも
なかみを蔵つておくことの方が本来だと人はおもつてゐるのだが、蓋にしてみれば
あけられた時の方がありのままの姿でなくてはならない。蓋の希みがそれをあけたとき
迸しるだらう。

三島由紀夫「苧菟と瑪耶」より

235:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/25 10:47:42 bnHpOIqZ
星をみてゐるとき、人の心のなかではにはかに香り高い夜風がわき立つだらう。
しづかに森や湖や街のうへを移つてゆく夜の雲がただよひだすだらう。そのとき星ははじめて、
すべてのものへ露のやうにしとどに降りてくるだらう。あのみえない神の縄につながれた
絵図のあひだから、ひとつひとつの星座が、こよなく雅やかにつぎつぎと崩れだすだらう。
星はその日から人々のあらゆる胸に住まふだらう。かつて人々が神のやうにうつくしく
やさしかつた日が、そんな風にしてふたゝび還つてくるかもしれない。

三島由紀夫「苧菟と瑪耶」より

236:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/25 11:19:14 bnHpOIqZ
女にとつて優雅であることは、立派に美の代用をなすものである。なぜなら男が憧れるのは、
裏長屋の美女よりも、それほど美しくなくても、優雅な女のはうであるから。

三島由紀夫「美徳のよろめき」より


あふれるばかりの精力を事業や理想の実現に向けてゐる肥つた醜い男などは何といふ
滑稽な代物でだらう。みすぼらしい風采の世界的学者などは何といふ珍物であらう。
仕事に熱中してゐる男は美しく見えるとよく云はれるが、もともと美しくもない男が
仕事に熱中したつて何になるだらう。

三島由紀夫「美徳のよろめき」より

237:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/25 11:20:36 bnHpOIqZ
女に友情がないといふのは嘘であつて、女は恋愛のやうに、友情をもひた隠しにして
しまふのである。その結果、女の友情は必ず共犯関係をひそめてゐる。

三島由紀夫「美徳のよろめき」より


どんな邪悪な心も心にとどまる限りは、美徳の領域に属してゐる

三島由紀夫「美徳のよろめき」より


どんな驚天動地の大計画も、一旦心が決り準備が整ふと、それにとりかかる前に、
或る休息に似た気持が来るものである。

三島由紀夫「美徳のよろめき」より

238:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/25 11:24:57 bnHpOIqZ
個性を愛することのできるのはむしろ友情の特権だ

三島由紀夫「美徳のよろめき」より


嫉妬の孤立感、その焦燥、そのあてどもない怒りを鎮める方法は一つしかなく、それは
嫉妬の当の対象、憎しみの当面の敵にむかつて、哀訴の手をさしのべることなのである。
…自分に傷を与へる敵の剣にすがつて、薬餌を求めるほかはないのである。

三島由紀夫「美徳のよろめき」より


われわれが未来を怖れるのは、概して過去の堆積に照らして怖れるのである。
恋が本当に自由になるのは、たとへ一瞬でも思ひ出の絆から脱したときだ

三島由紀夫「美徳のよろめき」より

239:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/25 11:28:04 bnHpOIqZ
道徳は、習慣からの逃避もみとめないが、同時に、習慣への逃避も、それ以上にみとめて
ゐないのだ。
道徳とは、人間と世界のこの悪循環を絶ち切つて、すべてのもの、あらゆる瞬間を、
決してくりかへされない一回きりのものにしようとする力なのだ。

三島由紀夫「美徳のよろめき」より


肉体の仕業はみんな嘘だと思つてしまへば簡単だが、それが習慣になつてしまへば、
習慣といふものには嘘も本当もない。
精神を凌駕することのできるのは習慣といふ怪物だけなのだ。

三島由紀夫「美徳のよろめき」より

240:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/25 11:31:51 bnHpOIqZ
自然の物理的法則からすつかり身を背けることが大切なのだ。自然の法則になまじ目移りして、
人間は人間であることを忘れ、習慣の奴隷になるか逃避の王者になるかしてしまふ。
自然はくりかへしてゐる。一回きりといふのは、人間の唯一の特権なのだ。

三島由紀夫「美徳のよろめき」より


明日を怖れてゐる快楽などは、贋物でもあり、恥づべきものではないだらうか。

三島由紀夫「美徳のよろめき」より

241:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/25 11:32:46 bnHpOIqZ
習慣からのがれようとする思案は、陰惨で、人を卑屈にするばかりだが、快楽を
捨てようとする意志は、人の矜りに媚び、自尊心に受け容れられやすい。

三島由紀夫「美徳のよろめき」より


男は、一度高い精神の領域へ飛び去つてしまふと、もう存在であることをやめてしまえる!

三島由紀夫「美徳のよろめき」より

242:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/25 11:36:14 bnHpOIqZ
女が一等惚れる羽目になるのは、自分に一等苦手な男相手でございますね。
あなたばかりではありません。誰もさうしたものです。そのおかげで私たちは自分の欠点、
自分といふ人間の足りないところを、よくよく知るやうになるのです。
女は女の鑑(かがみ)にはなれません。いつも殿方が女の鑑になつてくれるのですね。
それもつれない殿方が。

三島由紀夫「美徳のよろめき」より


情に負けるといふことが、結局女の最後の武器、もつとも手強い武器になります。
情に逆らつてはなりません。ことさら理を立てようとしてはなりません。情に負け、
情に溺れて、もう死ぬほかないと思ふときに、はじめて女には本来の智恵が湧いてまゐります。

三島由紀夫「美徳のよろめき」より

243:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/25 11:38:10 bnHpOIqZ
女は恋に敗れた女に同情しながら、さういふ敗北者の噂をひろげるのが大そう好きで、
恋に勝つてばかりゐる女のことは、『不道徳な人』といふ一言で片附けるだけなのでございます。
いはば、さういふ勝利者は抽象的な不名誉だけで事がすみ、細目にわたる具体的な不名誉は、
お気の毒にも、不幸な敗北者の女が蒙ることになるのです。

三島由紀夫「美徳のよろめき」より


世間を味方につけるといふことは奥様、とりもなおさず、世間に決して同情の涙を
求めないといふことなのです。

三島由紀夫「美徳のよろめき」より


惚れすぎて苦しくなり、相手をむりにも軽蔑することで、その恋から逃げようとするのは、
拙ない初歩のやり方です。万に一つも巧くはまゐりません。
ひたすらその方をうやまひ、尊敬するやうになさいまし。お相手がどんなに卑劣な振舞をしても、
なほかつ尊敬するやうになさいまし。さうしてゐれば、とたんにお相手はあなたの目に、
つまらない人物に見えてまゐります。

三島由紀夫「美徳のよろめき」より

244:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/25 11:40:26 bnHpOIqZ
苦痛の明晰さには、何か魂に有益なものがある。
どんな思想も、またどんな感覚も、烈しい苦痛ほどの明晰さに達することはできない。
よかれあしかれ、それは世界を直視させる。

三島由紀夫「美徳のよろめき」より

245:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/25 11:46:21 bnHpOIqZ
外人の男たちの、鶏みたいな、半透明な血の色の透けてみえる、ひどく老化の早い、汚ならしい肌

三島由紀夫「肉体の学校」より


西洋人より、日本の若い男のはうが、ずつと動物的な美しさを持つてゐる。
つまり動物的なしなやかさと、弾力と、無表情な美しさとを。

三島由紀夫「肉体の学校」より


男にしろ、女にしろ、肉体上の男らしさ女らしさとは、肉体そのものの性のかがやき、
存在全体のかがやきから生れる筈のものである。
それは部分的な機能上の、見栄坊な男らしさとは何の関係もない。

三島由紀夫「肉体の学校」より

246:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/25 14:06:02 G1C7lLFw

【民主党】の実績(たった8カ月でこれだけ実現)
●国家公務員の天下りあっせんを全面禁止
●子供手当支給
●生活保護の母子加算復活
●記者会見オープン化
●父子家庭に児童扶養手当支給
●公立高校生授業料無償化
●密約解明
●私立高校生年12~25万円助成
●社会保障費年2200億円削減方針撤回
●基礎的自治体に事務事業の権限と財源を大幅に移譲
●医師不足に悩む救急や外科、産婦人科、小児科医などの診療報酬引き上げ
●国と地方の協議の場を設置
●全ての国直轄事業における負担金制度を廃止
●非正規労働者の雇用保険への適用条件を緩和
●原則として製造現場への派遣を禁止
●先進国では常識の農家へ戸別所得補償制度実施
●バリアフリー改修、省エネ改修工事などを支援
●分娩の公的助成
●肝炎患者のインターフェロン治療の自己負担限度額を月7万円→1万円
●マグロ規制問題で、欧米を敵に回し歴史的大勝利
●口蹄疫の発生に対して政府一丸となって対処
  自衛隊を早期に投入して蔓延拡大の防止
●事業仕分けで無駄の削減
●シーシェパード船長を逮捕拘束。
 →ちなみに麻生政権では、侵入者に天麩羅ご馳走して無罪放免w
●豪州政府との間で物品役務相互提供協定(ACSA)を締結。
  アジア、オセアニアの安全保障に大いなる貢献


247:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/26 12:08:40 RNVvtogC
革命は行動である。行動は死と隣り合はせになることが多いから、ひとたび書斎の
思索を離れて行動の世界に入るときに、人が死を前にしたニヒリズムと偶然の僥倖を頼む
ミスティシズムとの虜にならざるを得ないのは人間性の自然である。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

248:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/26 12:09:35 RNVvtogC
「帰太虚」とは太虚に帰するの意であるが、大塩(平八郎)は太虚といふものこそ
万物創造の源であり、また善と悪とを良知によつて弁別し得る最後のものであり、
ここに至つて人々の行動は生死を超越した正義そのものに帰着すると主張した。
彼は一つの譬喩を持ち出して、たとへば壷が毀(こは)されると壷を満たしてゐた空虚は
そのまま太虚に帰するやうなものである、といつた。壷を人間の肉体とすれば、
壷の中の空虚、すなはち肉体に包まれた思想がもし良知に至つて真の太虚に達してゐるならば、
その壷すなはち肉体が毀されようと、瞬間にして永遠に偏在する太虚に帰することが
できるのである。
その太虚はさつきも言つたやうに良知の極致と考へられてゐるが、現代風にいへば
能動的ニヒリズムの根元と考へてよいだらう。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

249:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/26 12:10:14 RNVvtogC
仏教の空観と陽明学の太虚を比べると、万物が涅槃の中に溶け込む空と、その万物の創造の
母体であり行動の源泉である空虚とは、一見反対のやうであるが、いつたん悟達に達して
また現世へ戻つてきて衆生済度の行動に出なければならぬと教へる大乗仏教の教へには
この仏教の空観と陽明学の太虚をつなぐものがおぼろげに暗示されてゐる。
ベトナムにおける抗議僧の焼身自殺は大乗仏教から説明されるが、また陽明学的な行動とも
いふことができるのである。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

250:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/26 12:10:40 RNVvtogC
陽明学には、アポロン的な理性の持ち主には理解しがたいデモーニッシュな要素がある。
ラショナリズムに立てこもらうとする人は、この狂熱を避けて通る。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

251:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/26 12:11:21 RNVvtogC
われわれは天といへば青空のことだと思つてゐるが、こればかりが天ではなくて、石の間に
ひそむ空虚、あるひは生えてゐる竹の中にひそんでゐる空虚もまつたく同じ天であり、
太虚の一つである。この太虚は植物、無機物ばかりではなく、人間の肉体の中にも
口や耳を通じてひそんでゐる。
われわれが持つてゐる小さな虚も、聖人の持つてゐる虚と異なるところはない。
もし、誰であつても心から欲を打ち払つて太虚に帰すれば、天がすでにその心に
宿つてゐるのである。誰でも聖人の地位に達しようと欲して達し得ないことはない。
「聖人は即ち言あるの太虚にして、太虚は即ち言はざるの聖人なり」

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

252:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/26 12:16:42 RNVvtogC
太虚に帰すべき方法としては、真心をつくし誠をつくして情欲を一掃し、そこへ入つていく
ほかはない。形のあるものはすべて滅び、すべて動揺する。大きな山でさへ地震によつて
ゆすぶられる。何故なら形があるからである。しかし、地震は太虚を動かすことはできない。
これでわかるやうに心が太虚に帰するときに、初めて真の「不動」を語ることができるのである。
すなはち、太虚は永遠不滅であり不動である。心がすでに太虚に帰するときは、いかなる
行動も善悪を超脱して真の良知に達し、天の正義と一致するのである。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

253:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/26 12:17:11 RNVvtogC
その太虚とは何であるか。人の心は太虚と同じであり、心と太虚とは二つのものではない。
また、心の外にある虚は、すなはちわが心の本体である。かくて、その太虚は世界の実在である。
この説は世界の実在はすなはちわれであるといふ点で、ウパニシャッドのアートマンと
はなはだ相近づいてくる。
大塩平八郎はその「洗心洞剳記」にもいふやうに、「身の死するを恨みずして心の死するを恨む」
といふことをつねに主張してゐた。この主張から大塩の過激な行動が一直線に出てきたと
思はれるのである。心がすでに太虚に帰すれば、肉体は死んでも滅びないものがある。
だから、肉体の死ぬのを恐れず心の死ぬのを恐れるのである。心が本当に死なないことを
知つてゐるならば、この世に恐ろしいものは何一つない。決心が動揺することは絶対ない。
そのときわれわれは天命を知るのだ、と大塩は言つた。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

254:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/26 12:18:29 RNVvtogC
われわれは心の死にやすい時代に生きてゐる。しかも平均年齢は年々延びていき、
ともすると日本には、平八郎とは反対に、「心の死するを恐れず、ただただ身の死するを恐れる」
といふ人が無数にふえていくことが想像される。肉体の延命は精神の延命と同一に
論じられないのである。われわれの戦後民主主義が立脚してゐる人命尊重のヒューマニズムは、
ひたすら肉体の安全無事を主張して、魂や精神の生死を問はないのである。
社会は肉体の安全を保障するが、魂の安全を保障しはしない。心の死ぬことを恐れず、
肉体の死ぬことばかり恐れてゐる人で日本中が占められてゐるならば、無事安泰であり
平和である。しかし、そこに肉体の生死をものともせず、ただ心の死んでいくことを
恐れる人があるからこそ、この社会には緊張が生じ、革新の意欲が底流することになるのである。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

255:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/26 12:18:49 RNVvtogC
死を恐れるのは生まれてからのちに生ずる情であつて、肉体があればこそ死を恐れるの
心が生じる。そして死を恐れないのは生まれる前の性質であつて、肉体を離れるとき初めて
この死の性質をみることができる。したがつて、人は死を恐れるといふ気持のうちに
死を恐れないといふ真理を発見しなければならない。それは人間がその生前の本性に
帰ることである。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

256:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/26 12:24:16 RNVvtogC
ひたすら聖人に及ばざることのみを考へてゐるところからは、決して行動のエネルギーは
湧いてはこない。同一化とは、自分の中の空虚を巨人の中の空虚と同一視することであり、
自分の得たニヒリズムをもつと巨大なニヒリズムと同一化することである。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より


何故日本人はムダを承知の政治行動をやるのであるか。しかし、もし真にニヒリズムを
経過した行動ならば、その行動の効果がムダであつてももはや驚くに足りない。
陽明学的な行動原理が日本人の心の中に潜む限り、これから先も、西欧人にはまつたく
うかがひ知られぬやうな不思議な政治的事象が、日本に次々と起ることは予言してもよい。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

257:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/26 12:24:50 RNVvtogC
日本が貿易立国によつて進まねばならない島国といふ特性を有しながらも、アジアの
一環に属することによつて西欧化に対する最後の抵抗を試みるならば、それは精神による
抵抗でなければならないはずである。
精神の抵抗は反体制運動であると否とを問はず、日本の中に浸潤してゐる西欧化の弊害を
革正することによつてしか、最終的に成就されない道である。そのとき革新思想が
どのやうな形で西欧化に妥協するかによつて、無限にその政治的有効性の方向に
引きずられていくことは、戦後の歴史が無惨に証明した如くである。われわれは
この陽明学といふ忘れられた行動哲学にかへることによつて、もう一度、精神と政治の
対立状況における精神の闘ひの方法を、深く探究しなほす必要があるのではあるまいか。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

258:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/28 12:20:41 j58kaA8+
少年期の特長は残酷さです。どんなにセンチメンタルにみえる少年にも、植物的な残酷さが
そなはつてゐる。
少女も残酷です。やさしさといふものは、大人のずるさと一緒にしか成長しないものです。

三島由紀夫「不道徳教育講座 教師を内心バカにすべし」より

259:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/28 12:22:13 j58kaA8+
世間で謙遜な人とほめられてゐるのはたいてい犠牲者です。

三島由紀夫「不道徳教育講座 できるだけ己惚れよ」より


己惚れ屋にとつては、他人はみんな、自分の己惚れのための餌なのです。

三島由紀夫「不道徳教育講座 できるだけ己惚れよ」より

260:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/28 12:23:02 j58kaA8+
どうでもいいことは流行に従ふべきで、流行とは、「どうでもいいものだ」ともいへませう。

三島由紀夫「不道徳教育講座 流行に従ふべし」より


流行は無邪気なほどよく、「考へない」流行ほど本当の流行なのです。
白痴的、痴呆的流行ほど、あとになつて、その時代の、美しい色彩となつて残るのである。

三島由紀夫「不道徳教育講座 流行に従ふべし」より

261:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/28 12:23:47 j58kaA8+
洋食作法を知つてゐたつて、別段品性や思想が向上するわけはないのです。

三島由紀夫「不道徳教育講座 スープは音を立てて吸ふべし」より


エチケットなどといふものは、俗の俗なるもので、その人の偉さとは何の関係もないのである。

三島由紀夫「不道徳教育講座 スープは音を立てて吸ふべし」より

262:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/28 12:24:27 j58kaA8+
全く自力でやつたと思つたことでも、自らそれと知らずに誰かを利用して成功したのであり、
誰にも身を売らないつもりでも、それと知らずに身を売つてゐるのが、現代社会といふものです。

三島由紀夫「不道徳教育講座 美人の妹を利用すべし」より

263:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/28 12:26:21 j58kaA8+
男といふものは、もし相手の女が、彼の肉体だけを求めてゐたのだとわかると、
一等自尊心を鼓舞されて、大得意になるといふ妙なケダモノであります。

三島由紀夫「不道徳教育講座 痴漢を歓迎すべし」より


女の人が自分の体に対して抱いてゐる考へは、男とはよほどちがふらしい。その乳房、
そのウェイスト、その脚の魅力は、すべて「女たること」の展覧会みたいなものである。
美しければ美しいほど、彼女はそれを自分個人に属するものと考へず、何かますます
普遍的な、女一般に属するものと考へる。この点で、どんなに化粧に身をやつし、
どんなに鏡を眺めて暮しても、女は本質的にナルシスにはならない。
ギリシアのナルシスは男であります。

三島由紀夫「不道徳教育講座 痴漢を歓迎すべし」より

264:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/28 12:27:24 j58kaA8+
人に恩を施すときは、小川に花を流すやうに施すべきで、施されたはうも、淡々と
忘れるべきである。これこそ君子(くんし)の交はりといふものだ。

三島由紀夫「不道徳教育講座 人の恩は忘れるべし」より


若い人といふものは、殊に喧嘩の話が好きです。若いくせにひたすら平和主義に沈潜したり
してゐるのは、たいてい失恋常習者である。

三島由紀夫「不道徳教育講座 喧嘩の自慢をすべし」より

265:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/28 12:29:02 j58kaA8+
「洗練された紳士」といふ種族は、必ず不道徳でありますから、お世辞の大家であつて、
「人間の真実」とか「人生の真相」とかいふものは、めつたに持ち出してはいけないものだ、
といふことを知つてゐます。ダイアモンドの首飾などを持つてゐる貴婦人は、そのオリジナルは
銀行にあづけ、寸分たがはぬ硝子玉のコピイを首にかけて出かけるのが慣例です。
人生の真実もこれと同じで、本物が必要になるのは十年にいつぺんか二十年にいつぺんぐらい。
あとはニセモノで通用するのです。それが世の中といふもので、しよつちゆう火の玉を抱いて
突進してゐては、自分がヤケドするばかりである。

三島由紀夫「不道徳教育講座 空お世話を並べるべし」より

266:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/28 12:30:42 j58kaA8+
男と女の一等厄介なちがひは、男にとつては精神と肉体がはつきり区別して意識されてゐるのに、
女にとつては精神と肉体がどこまで行つてもまざり合つてゐることである。
女性の最も高い精神も、最も低い精神も、いづれも肉体と不即不離の関係に立つ点で、
男の精神とはつきりちがつてゐる。いや、精神だの肉体だのといふ区別は、男だけの
問題なのであつて、女にとつては、それは一つものなのだ。

三島由紀夫「不道徳教育講座 いはゆる『よろめき』について」より


五百人の男と交はつた女は、心をも切り売りした哀れな娼婦になり、五百人の女と交はつた男は、
単なる放蕩者に止(とど)まつて、精神の領域では立派な尊敬すべき男であるといふ
事態も起り得る。

三島由紀夫「不道徳教育講座 いはゆる『よろめき』について」より

267:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/28 12:31:50 j58kaA8+
精神と肉体をどうしても分けることのできない女性の特有そのものを、仮に「罪」と
呼んだと考へればよい。そして一等厄介なことは、女性の最高の美徳も、最低の悪徳も、
この同じ宿命、同じ罪、同じ根から出てゐて、結局同じ形式をとるといふことです。
崇高な母性愛も、良人に対する献身的な美しい愛も、……それから「よろめき」も、
御用聞きとの高笑いも、……みんな同じ宿命から出てゐるといふところに、女性の
女性たる所以があります。

三島由紀夫「不道徳教育講座 いはゆる『よろめき』について」より

268:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/29 03:00:06 WicbCXkI
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269:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/29 14:15:52 L8V2KaOw
死者に対する賞賛には、何か冷酷な非人間的なものがあります。死者に対する悪口は、
これに反して、いかにも人間的です。悪口は死者の思ひ出を、いつまでも生きてゐる人間の
間に温めておくからです。

三島由紀夫「不道徳教育講座 死後に悪口を言ふべし」より


ケチな人と附合つて安心なのは、かういふ人には、まづ、やたらと友だちに「金を貸してくれ」
などと持ちかけるダラシのないヤカラはゐないことです。

三島由紀夫「不道徳教育講座 ケチをモットーにすべし」より

270:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/29 14:18:04 L8V2KaOw
利口であらうとすることも人生のワナなら、バカであらうとすることも人生のワナであります。
そんな風に人間は「何かであらう」とすることなど、本当は出来るものではないらしい。
利口であらうとすればバカのワナに落ち込み、バカであらうとすれば利口のワナに落ち込み、
果てしもない堂々めぐりをかうしてくりかへすのが、多分人生なのでありませう。

三島由紀夫「不道徳教育講座 馬鹿は死ななきや……」より

271:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/29 14:19:58 L8V2KaOw
告白癖のある友人ほどうるさいものはない。もてた話、失恋した話を長々ときかせる。

三島由紀夫「不道徳教育講座 告白するなかれ」より


やたらと人に弱味をさらけ出す人間のことを、私は躊躇なく「無礼者」と呼びます。
それは社会的無礼であつて、われわれは自分の弱さをいやがる気持から人の長所をみとめるのに、
人も同じやうに弱いといふことを証明してくれるのは、無礼千万なのであります。

三島由紀夫「不道徳教育講座 告白するなかれ」より


どんなに醜悪であらうと、自分の真実の姿を告白して、それによつて真実の姿をみとめてもらひ、
あはよくば真実の姿のままで愛してもらはうと考へるのは、甘い考へで、人生をなめて
かかつた考へです。

三島由紀夫「不道徳教育講座 告白するなかれ」より

272:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/29 14:22:05 L8V2KaOw
北欧諸国で老人の自殺が多いのは何が原因かね。社会保障が行き届きすぎて、老人が何も
することがなくなつて、希望を失つて自殺するのである。

三島由紀夫「不道徳教育講座 日本及び日本人をほめるべし」より


青年男女の自殺といふのはママゴトのやうなもので、一種のオッチョコチョイであり、
人生に関する無智から来る。

三島由紀夫「不道徳教育講座 日本及び日本人をほめるべし」より


大体、男女といふものは、色事以外は、別種類の動物であつて、興味の持ち方から何から
ちがふし、トコトンまでわかり合ふといふわけには行かないのであるから、どこへも
男女同伴夫婦同伴などといふのは、人間心理をわきまへぬ野蛮人の風習である。

三島由紀夫「不道徳教育講座 日本及び日本人をほめるべし」より

273:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/29 14:23:45 L8V2KaOw
どんな功利主義者も、策謀家も、自分に何の利害関係もない他人の失敗を笑ふ瞬間には、
ひどく無邪気になり、純真になります。誰でも人の好さが丸出しになり、目は子供つぽい
光りに充たされます。

三島由紀夫「不道徳教育講座 人の失敗を笑ふべし」より


友情はすべて嘲り合ひから生れる。

三島由紀夫「不道徳教育講座 人の失敗を笑ふべし」より

274:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/29 14:25:14 L8V2KaOw
三千人と恋愛をした人が、一人と恋愛をした人に比べて、より多くについて知つてゐるとは
いへないのが、人生の面白味ですが、同時に、小説家のはうが読者より人生をよく知つてゐて、
人に道標を与へることができる、などといふのも完全な迷信です。
小説家自身が人生にアップアップしてゐるのであつて、それから木片につかまつて、
一息ついてゐる姿が、すなはち彼の小説を書いてゐる姿です。

三島由紀夫「不道徳教育講座 小説家を尊敬するなかれ」より


神経が疲労してゐるとき病的に性欲が昂進するのは、われわれが、経験上よく知つてゐる
ことである。これを「強烈な原始的性欲」とか、「本能の嵐」とかに見まちがへる人がゐたら、
よつぽどどうかしてゐるのである。これはむしろ本能から一等遠い状態です。

三島由紀夫「不道徳教育講座 性的ノイローゼ」より

275:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/29 14:27:20 L8V2KaOw
怪力乱神は、どうもどこかに実在するらしい、といふのが私のカンである。
仕事をしてゐるときでも、ふと自分が怪力乱神の虜になつてゐると感じることがある。
しかしこの世に知性で割り切れぬことがあるのは、少しも知性の恥ではない。

三島由紀夫「不道徳教育講座 お化けの季節」

276:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/29 14:28:47 L8V2KaOw
人間対人間では、いつも勝つのは、情熱を持たない側の人間です。
あるひは、より少なく情熱を持つ側の人間です。

三島由紀夫「不道徳教育講座 人を待たせるべし」より


セールスマンの秘訣は決して売りたがらぬことだと言はれてゐる。人が押売りからものを
買ひたがらぬのは、人間の本能で、敗北者に対して、敗北者の売る物に対して、
魅力を感じないからであります。

三島由紀夫「不道徳教育講座 人を待たせるべし」より


人を待たせる立場の人は、勝利者であり成功者だが、必ずしも幸福な人間とはいへない。
駅の前の待ち人たちは、欠乏による幸福といふ人間の姿を、一等よくあらはしてゐると
いへませう。

三島由紀夫「不道徳教育講座 人を待たせるべし」より

277:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/29 14:30:21 L8V2KaOw
いくら禿頭でも、独身の男といふものは、女性にとつて、或る可能性の権化にみえるらしい。
男にとつていかに独身のはうがトクであるかは、言ふを俟ちません。かく言ふ私でも、
結婚したとたんに、女性の読者からの手紙が激減してしまひました。これは大いに私を
意気沮喪させる現象でありました。

三島由紀夫「不道徳教育講座 子持ちを隠すべし」より


孤独感こそ男のディグニティーの根源であつて、これを失くしたら男ではないと言つてもいい。
子供が十人あらうが、女房が三人あらうが、いや、それならばますます、男は身辺に
孤独感を漂はしてゐなければならん。

三島由紀夫「不道徳教育講座 子持ちを隠すべし」より

278:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/29 14:32:30 L8V2KaOw
男はどこかに、孤独な岩みたいなところを持つてゐなくてはならない。

三島由紀夫「不道徳教育講座 子持ちを隠すべし」より


このごろは、ベタベタ自分の子供の自慢をする若い男がふえて来たが、かういふのはどうも
不潔でやりきれない。アメリカ人の風習の影響だらうが、誰にでも、やたらむしやうに
自分の子供の写真を見せたがる。かういふ男を見ると、私は、こいつは何だつて男性の
威厳を自ら失つて、人間生活に首までドップリひたつてやがるのか、と思つて腹立たしくなる。
「自分の子供が可愛い」などといふ感情はワイセツな感情であつて、人に示すべきものでは
ないらしい。

三島由紀夫「不道徳教育講座 子持ちを隠すべし」より

279:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/29 14:34:18 L8V2KaOw
日本も三等国か四等国か知らないが、そんなに、「どうせ私なんぞ」式外交ばかりやらないで、
たまにはゴテてみたらどうだらう。さうすることによつて、自分の何ほどかの力が
確認されるといふものであります。

三島由紀夫「不道徳教育講座 何かにつけてゴテるべし」より


現代は一方から他方を見ればみんなキチガヒであり、他方から、一方を見ればみんな
キチガヒである。これが現代の特性だ。

三島由紀夫「不道徳教育講座 痴呆症と赤シャツ」より


男が持つてゐる癒やしがたいセンチメンタリズムは、いつも自分の港を持つてゐたいといふことです。
世界中の港をほつつき歩いても最後に帰つて身心を休める港は、故里の港一つしかない。

三島由紀夫「不道徳教育講座 恋人を交換すべし」より

280:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/29 14:45:24 L8V2KaOw
私は自分のものの考へ方には頑固であつても、相手の思想に対して不遜であつたことはない
といふ自信がある。これが自由といふものの源泉だと私には思はれる。

三島由紀夫「『尚武のこころ』あとがき」より

281:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/30 11:03:41 O2B6zJaL
追憶は「現在」のもつとも清純な証なのだ。
愛だとかそれから献身だとか、そんな現実におくためにはあまりに清純すぎるやうな感情は、
追憶なしにはそれを占つたり、それに正しい意味を索めたりすることはできはしないのだ。
それは落葉をかきわけてさがした泉が、はじめて青空をうつすやうなものである。
泉のうへにおちちらばつてゐたところで、落葉たちは決して空を映すことはできないのだから。

三島由紀夫「花ざかりの森」より


祖先はしばしば、ふしぎな方法でわれわれと邂逅する。ひとはそれを疑ふかもしれない。
だがそれは真実なのだ。

三島由紀夫「花ざかりの森」より

282:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/30 11:04:42 O2B6zJaL
今日、祖先たちはわたしどもの心臓があまりにさまざまのもので囲まれてゐるので、
そのなかに住ひを索めることができない。かれらはかなしさうに、そはそはと時計のやうに
そのまはりをまはつてゐる。

三島由紀夫「花ざかりの森」より


美は秀麗な奔馬である。

三島由紀夫「花ざかりの森」より

283:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/30 11:09:33 O2B6zJaL
わたしはわたしの憧れの在処を知つてゐる。憧れはちやうど川のやうなものだ。
川のどの部分が川なのではない。なぜなら川はながれるから。きのふ川であつたものは
けふ川ではない。だが川は永遠にある。
ひとはそれを指呼することができる。それについて語ることはできない。
わたしの憧れもちやうどこのやうなものだ。

三島由紀夫「花ざかりの森」より

284:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/30 11:10:34 O2B6zJaL
ああ、あの川。わたしにはそれが解る。祖先たちからわたしにつづいたこのひとつの黙契。
その憧れはあるところでひそみ或るところで隠れてゐる。だが、死んでゐるのではない。
古い籬(まがき)の薔薇が、けふ尚生きてゐるやうに。
祖母と母において、川は地下をながれた。父において、それはせせらぎになつた。
わたしにおいて、―ああそれが滔々とした大川にならないでなににならう、綾織るものゝやうに、
神の祝唄のやうに、神の祝唄(ほぎうた)のやうに。

三島由紀夫「花ざかりの森」より

285:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/30 11:11:29 O2B6zJaL
老婦人は毅然としてゐた。白髪がこころもちたゆたうてゐる。おだやかな銀いろの縁をかがつて。
じつとだまつてたつたまま、……ああ涙ぐんでゐるのか。祈つてゐるのか。それすらわからない。……
まらうどはふとふりむいて、風にゆれさわぐ樫の高みが、さあーつと退いてゆく際に、
眩ゆくのぞかれるまつ白な空をながめた。なぜともしれぬいらだたしい不安に胸がせまつて。
「死」にとなりあはせのやうにまらうどは感じたかもしれない、生(いのち)がきはまつて
独楽(こま)の澄むやうな静謐、いはば死に似た静謐ととなりあはせに。……

三島由紀夫「花ざかりの森」より

286:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/30 11:14:56 O2B6zJaL
愛の奥処には、寸分たがはず相手に似たいといふ不可能な熱望が流れてゐはしないだらうか?
この熱望が人を駆つて、不可能を反対の極から可能にしようとねがふあの悲劇的な離反に
みちびくのではなからうか?

三島由紀夫「仮面の告白」より


抵抗を感じない想像力といふものは、たとひそれがどんなに冷酷な相貌を帯びやうと、
心の冷たさとは無縁のものである。それは怠惰ななまぬるい精神の一つのあらはれにすぎなかつた。

三島由紀夫「仮面の告白」より

287:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/30 11:15:56 O2B6zJaL
ロマネスクな性格といふものには、精神の作用に対する微妙な不信がはびこつてゐて、
それが往々夢想といふ一種の不倫な行為へみちびくのである。夢想は、人の考へてゐるやうに
精神の作用であるのではない。それはむしろ精神からの逃避である。

三島由紀夫「仮面の告白」より


処女だけに似つかはしい種類の淫蕩さといふものがある。それは成熟した女の淫蕩とは
ことかはり、微風のやうに人を酔はせる。それは可愛らしい悪趣味の一種である。
たとへば赤ん坊をくすぐるのが大好きだと謂つたたぐひの。

三島由紀夫「仮面の告白」より

288:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/30 11:17:59 O2B6zJaL
傷を負つた人間は間に合はせの繃帯が必ずしも清潔であることを要求しない。

三島由紀夫「仮面の告白」より


潔癖さといふものは、欲望の命ずる一種のわがままだ。

三島由紀夫「仮面の告白」より

289:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/30 19:20:39 peEljbRm
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290:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/31 08:50:10 vHRtvPPr
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291:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/31 10:31:27 U5zLhs3t
正義を行へ、弱きを護れ。

三島由紀夫「につぽん製」より


自分が若いころ闊歩できなかつた街は、何だか一生よそよそしいものである。

三島由紀夫「につぽん製」より


とにかく人生は柔道のやうには行かないものである。
人生といふやつは、まるで人絹の柔道着を着てゐるやうで、ツルツルすべつて、
なかなか業(わざ)がきかないのであつた。

三島由紀夫「につぽん製」より

292:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/31 11:06:58 U5zLhs3t
期待してゐる人間の表情といふものは美しいものだ。そのとき人間はいちばん正直な表情を
してゐる。自分のすべてを未来に委ね、白紙に還つてゐる表情である。

三島由紀夫「恋の都」より


羞恥がなくて、汚濁もない少女の顔ほど、少年を戸惑はせるものはない。

三島由紀夫「恋の都」より


自分の尊敬する人の話をすることは、いはば初心(うぶ)なフランスの少年が女の子の前で
ナポレオンの話をするのと同様に、持つて廻つた敬虔な愛の告白でもあるのだ。

三島由紀夫「恋の都」より

293:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/31 11:14:05 U5zLhs3t
本当のヤクザといふものは、チンピラとちがつて、チャチな凄味を利かせたりしないものである。
映画に出てくる親分は大抵、へんな髭を生やして、妙に鋭い目つきをして、キザな仕立の
背広を着て、ニヤけたバカ丁寧な物の言ひ方をして、それでヤクザをカモフラージュした
つもりでゐるが、本当のヤクザのカモフラージュはもつとずつと巧い。
旧左翼の人に、却つて、如才のない人が多いのと同じことである。

三島由紀夫「恋の都」より


自分の最初の判断、最初のねがひごと、そいつがいちばん正しいつてね。
なまじ大人になつていろいろひねくりまはして考へると、却つて判断をあやまるもんだ。
婿えらびをする能力といふものは、もしかしたら、三十五歳の女より、十六歳の少女のはうが、
ずつと豊富にもつてゐるのかもしれないんだぜ。

三島由紀夫「恋の都」より


後悔ほどやりきれないものはこの世の中にないだらう。

三島由紀夫「恋の都」より

294:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/01 08:10:08 2B7ZFach
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295:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/01 11:29:53 jQMcFBIS
美しい女と二人きりで歩いてゐる男は頼もしげにみえるのだが、女二人にはさまれて
歩いてゐる男は道化じみる。

三島由紀夫「春子」より

296:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/01 11:30:24 jQMcFBIS
事件といふものは見事な秩序をもつてゐるものである。日常生活よりもはるかに見事な。

三島由紀夫「サーカス」より

297:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/01 11:31:36 jQMcFBIS
相似といふものは一種甘美なものだ。ただ似てゐるといふだけで、その相似たものの
あひだには、無言の諒解(りようかい)や、口に出さなくても通ふ思ひや、静かな信頼が
存在してゐるやうに思はれる。

三島由紀夫「翼」より


模倣が少女の愛の形式であり、これが中年女の愛し方ともつとも差異の顕著な点である。

三島由紀夫「翼」より


翼は地上を歩くのには適してゐない。

三島由紀夫「翼」より

298:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/01 11:35:27 jQMcFBIS
人間の野心といふものは衆にぬきん出ようとする欲望だが、幸福といふものは皆と
同じになりたいといふ欲求だ。

三島由紀夫「クロスワード・パズル」より

299:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/01 12:02:17 jQMcFBIS
死の近い病人が無意識に死の予感にかられて、自分を愛してくれる人たちを別れ易くして
やるために、殊更自分を嫌われ者にする、といふ言ひつたへには、たしかに或る種の真実がある。
病苦や焦燥のためだけではなくて、病人のつのる我儘には、生への執着以外の別の動機が
ひそんでゐるやうに思はれる。

三島由紀夫「貴顕」より

300:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/01 12:02:52 jQMcFBIS
この世界の愚劣を癒やすためには、まづ、何か、愚劣の洗滌が要るのだ。
藷たちが愚劣と考へることの、一生けんめいの聖化が要るのだ。あいつらの信条、
あいつらの商人的な一生けんめいさをさへ真似をして。

三島由紀夫「葡萄パン」より

301:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/01 12:03:48 jQMcFBIS
大噴柱は、水の作り成した彫塑のやうに、きちんと身じまいを正して、静止してゐるかの
やうである。しかし目を凝らすと、その柱のなかに、たえず下方から上方へ馳せ昇つてゆく
透明な運動の霊が見える。それは一つの棒状の空間を、下から上へ凄い速度で順々に
充たしてゆき、一瞬毎に、今欠けたものを補つて、たえず同じ充実を保つてゐる。
それは結局天の高みで挫折することがわかつてゐるのだが、こんなにたえまのない挫折を
支へてゐる力の持続は、すばらしい。

三島由紀夫「雨のなかの噴水」より

302:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/01 12:29:48 jQMcFBIS
どんか死でもあれ、死は一種の事務的な手続である。

三島由紀夫「真夏の死」より


一人死んでも、十人死んでも、同じ涙を流すほかに術がないのは不合理ではあるまいか?
涙を流すことが、泣くことが、何の感情の表現の目安になるといふのか?

三島由紀夫「真夏の死」より

303:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/01 12:30:42 jQMcFBIS
われわれには死者に対してまだなすべき多くのことが残つてゐる。悔恨は愚行であり、
ああもできた、かうも出来たと思ひ煩らふのは詮ないことであるが、それは死者に対する
最後の人力の奉仕である。われわれは少しでも永いあひだ、死を人間的な事件、
人間的な劇の範囲に引止めておきたいと希(ねが)ふのである。

三島由紀夫「真夏の死」より


記憶はわれわれの意識の上に、時間をしばしば並行させ重複させる。

三島由紀夫「真夏の死」より

304:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/01 12:31:26 jQMcFBIS
悲嘆の博愛を信じろと云つても困難である。悲しみは最もエゴイスティックな感情だからである。

三島由紀夫「真夏の死」より


生きてゐるといふことは、何といふ残酷さだ。
…残酷な生の実感には、深い、気も遠くなるほどの安堵があつた。

三島由紀夫「真夏の死」より

305:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/01 12:33:17 jQMcFBIS
われらを狂気から救ふものは何ものなのか? 生命力なのか? エゴイズムなのか?
狡さなのか? 人間の感受性の限界なのか? 狂気に対するわれわれの理解の不可能が、
われわれを狂気から救つてゐる唯一の力なのか? それともまた、人間には個人的な不幸しか
与へられず、生に対するどんな烈しい懲罰も、あらかじめ個人的な生の耐へうる度合に於て、
与へられてゐるのであらうか? すべては試煉にすぎないのであらうか?
しかしただ理解の錯誤がこの個人的な不幸のうちにも、しばしば理解を絶したものを
空想するにすぎないのであらうか?

三島由紀夫「真夏の死」より


事件に直面して、直面しながら、理解することは困難である。理解は概ね後から来て、
そのときの感動を解析し、さらに演繹して、自分にむかつて説明しようとする。

三島由紀夫「真夏の死」より

306:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/01 12:34:25 jQMcFBIS
われわれの生には覚醒させる力だけがあるのではない。生は時には人を睡(ねむ)らせる。
よく生きる人はいつも目ざめてゐる人ではない。時には決然と眠ることのできる人である。
死が凍死せんとする人に抵抗しがたい眠りを与へるやうに、生も同じ処方を生きようとする人に
与へることがある。さういふとき生きようとする意志は、はからずもその意志の死によつて生きる。

三島由紀夫「真夏の死」より


死もわれわれの生の一事件にすぎないといふ残酷な前提…

三島由紀夫「真夏の死」より


男性は通例その移り気に於て女性よりも感傷的なものである。

三島由紀夫「真夏の死」より

307:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/02 10:20:42 Ga30QBhs
なぜなら、すべて神聖なものは夢や思ひ出と同じ要素から成立ち、時間や空間によつて
われわれと隔てられてゐるものが、現前してゐることの奇蹟だからです。
しかしそれら三つは、いづれも手で触れることのできない点で共通してゐます。
手で触れることのできたものから、一歩遠ざかると、もうそれは神聖なものになり、
奇蹟になり、ありえないやうな美しいものになる。事物にはすべて神聖さが具はつてゐるのに、
われわれの指が触れるから、それは汚濁になつてしまふ。われわれ人間はふしぎな存在ですね。
指で触れるかぎりのものを涜(けが)し、しかも自分のなかには、神聖なものになりうる
素質を持つてゐるんですから。

三島由紀夫「春の雪」より

308:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/02 10:21:38 Ga30QBhs
歴史はいつも崩壊する。又次の徒(あだ)な結晶を準備するために。
歴史の形成と崩壊とは同じ意味をしか持たないかのやうだ。

三島由紀夫「春の雪」より


優雅といふものは禁を犯すものだ。それも至高の禁を。

三島由紀夫「春の雪」より

309:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/02 10:23:44 Ga30QBhs
われわれは恋しい人を目の前にしてさへ、その姿形と心とをばらばらに考へるほど
愚かなのだから、今僕は彼女の実在と離れてゐても、逢つてゐるときよりも却つて一つの
結晶を成した月光姫を見てゐるのかもしれないのだ。
別れてゐることが苦痛なら、逢つてゐることも苦痛でありうるし、逢つてゐることが歓びならば、
別れてゐることも歓びであつてならぬといふ道理はない。

三島由紀夫「春の雪」より


……海はすぐその目の前で終る。
波の果てを見てゐれば、それがいかに長いはてしない努力の末に、今そこであへなく
終つたかがわかる。
そこで世界をめぐる全海洋的規模の、一つの雄大きはまる企図が徒労に終るのだ。

三島由紀夫「春の雪」より

310:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/02 10:27:31 Ga30QBhs
肉体が連続しなくても、妄念が連続するなら、同じ個体と考へて差支へがありません。
個体と云はずに、『一つの生の流れ』と呼んだらいいかもしれない。

三島由紀夫「春の雪」より


どんな夢にもをはりがあり、永遠なものは何もないのに、それを自分の権利と思ふのは
愚かではございませんか。私はあの『新しき女』などとはちがひます。……でも、もし
永遠があるとすれば、それは今だけなのでございますわ。

三島由紀夫「春の雪」より


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