10/03/31 19:05:35 d7CHYOam
↓これなど、韓国籍の記者が書いた記事ですか?
(渡部昇一氏いわく、「98%の真実に2%の嘘を織り込む巧妙なやり方で…」)
今日付 読売夕刊
見聞録2010 日韓 きずなの旅 3
釜山から、最高時速300㌔を誇る韓国高速鉄道(KTX)に乗り、ソウルに向かった。
ソウル中心部で、日本の若者たちに人気の「新大元旅館」を目指す。路地裏の韓国伝統家屋を改造した安宿は日本の学生たちであふれていた。
朝、中庭のサロン。「そりゃ市場で買い物よ」「本場の韓国料理」「ドラマの名シーンのロケ地を回ろ」。わいわいと予定を検討する。
「韓国って、遅れて日本を追いかけてるイメージだったけれど、来てみて違った。インターネットもすごく速いし」。
女子学生の一人が、そばにある宿泊者共用のパソコンを指さす。
華やぐ輪の中で、「きょうは何の日」と聞いてみた。
「3月1日。えーと、なんの日だっけ」「うーん、独立運動記念日って聞いたような。日本が植民地にしたことあったって」「えーっ」「行ってみようかな」。
初めて訪韓した大学2年、鎌田藍里さん(21)を誘って、日本統治下の91年前、1919年のこの日、「3・1独立宣言」が読み上げられたタコプル公園に出かけた。
献花式典が終わり閑散とした記念碑の前に氷雨が降りしきる。
「ここに人々が日本の統治に抗議して集まりました。弾圧に死を覚悟して」。
通訳の語りに、鎌田さんの表情が厳しくなった。「そんな時代が……あったんですね。理解してたつもりだったけれど、もっと歴史を知らなくちゃいけないと思う」
加害者として、思い出したくない歴史を忘れようとする日本人。被害者として、歴史の痛みをいつまでも反芻する韓国人。
たしかに映画、ドラマ、歌を通じ両国の若者の相互理解は深まった。それだけで、不幸な歴史を越えられるのか。
歴史の現場を追って江華島に足を延ばした。
1875年9月、島と本土間の水域に日本軍艦が侵入し、攘夷方針の朝鮮(当時)側から砲撃を受け、交戦となった。その処理をめぐり翌年、両国は日朝修好条規を結ぶ。
朝鮮は開国したが、関税など開港条件で不利な不平等条約だった。
これを足場に日本は、日清日露の両戦争を経て朝鮮(のち大韓帝国)の保護国化を進め、1910年の日韓併合に至る。