10/04/30 23:16:57 apJPdG1y0
>>664
芝に関しても埋もれただけで、意外と影響はあったのではないか
理由は以下
交流元年というとライデンリーダーが有名だけど、他にもハシノタイユウやベッスルキングがいた
ハシノタイユウはブライアンズタイムでベッスルキングはトニービン
前年に北関東の3歳で活躍したブライアンズロマン、カルラネイチャーもブライアンズタイム
のちに御三家と呼ばれるようになった種牡馬の初期産駒だな
当時は偉大な種牡馬としての評価ではなかったから地方にも良駒が入ったわけだが…
それであっても、このクラスの種牡馬の良駒が地方に入る事はありえないだろう
これと似た理由と思われるのが、ミルジョージの初期の代表産駒は南関デビューであること
地方に馬が多く入る地区で繁用された結果(by山野浩一)だそうだが
これも今では地方ではなかな手に入らないレベルの馬が普通に南関に入った事になる
芝馬が地方に行った、という直接の論拠にはならないが
結果論とは言え、今では考えられない血統や能力水準の馬が地方入りしていたという事で
芝にも影響は全くなかった事は考えにくいのではないかと