14/01/22 20:00:06.23 0
>>168
意味不明
孟達は宜都郡(孟達が太守)からおそらくキシ郡(の山中を通って房陵・上庸を攻め取ってる。
資治通鑑を信じるなら、その兵力は4000。少なくはないが、多くもない。
(この4000という数は劉璋が「遣法正将四千人迎先主,前後賂遺以巨億計」劉備の益州入りにあたって荊州に差し向けた兵の数と一致するので正確だろう)
これで二郡を完全制圧するなんて大したものだ。
劉封は漢中攻めに参加しているので、漢中占領後におそらく手勢を持たず(漢中に軍用の船などないし、漢中から上庸への兵站計画も存在しえない)孟達軍に「上から落下傘」している。
なのでこの時点で「漢水の連携」など存在しない。
上庸と房陵は「漢水沿い」だし、その延長線上に漢中も存在する。
おそらく計画では時間をかけて整備していくつもりだったのであろう。
しかし、219年にこれらの拠点はリンクしていない。物理的に無理。