フランス革命at WHIS
フランス革命 - 暇つぶし2ch765:世界@名無史さん
14/10/15 18:01:23.08 0
ちなみに、9月虐殺までロベスピエールの原因だとか言う人間もいるので、
この点は訂正されるべきです。

当時のパリ市場はペティヨンです。ロベスピエールとは3部会以来の友人ですが、
9月虐殺についてはロベスピーエルは明確に批判しています。これが二人の仲を裂く原因になりました。

ロベスピエールは9月虐殺に関わっていないし、それには賛意を示していません。

766:世界@名無史さん
14/10/15 18:07:11.42 0
パリ市場 ×
パリ市長 ○

9月虐殺については、むしろ法相のダントンやパリ市長のペティヨンの責任です。
彼らもよいとは思っていなかったが、何もせずに虐殺を放置しました。ロベスピエールはこの点について
ペティヨンを痛烈に批判し、両者の中は修復不可能になった(『シャルロット・ロベスピエールの回顧録』)。

767:世界@名無史さん
14/10/15 20:25:47.73 0
侍従クレリーの回想録に出てたな。
暴徒がタンプルの外までランバル夫人の首を持ってきたのは。
アントワネットは、そのことを聞いて首を見る前に気を失った。

768:世界@名無史さん
14/10/15 20:56:31.48 0
回想録は、所詮回想で、脚色は可能だからね。

769:世界@名無史さん
14/10/15 22:16:50.89 0
>ロベスピエールはこの点についてペティヨンを痛烈に批判し

そんなポーズよりも、ロベースピエールは虐殺の下手人を捕まえて罰するよう公会で主張すべきだろう。
殺人犯を放置するようじゃ、理性の支配でも法の支配でもない。暴力の支配でしかない。

770:世界@名無史さん
14/10/15 22:29:31.06 0
9月虐殺は1792年9月2日、3日に行われました。
1792年9月というのは立法議会の時期です。当時ロベスピエールは立法議会の議員ではなく、
たんなる一般人です(『憲法の擁護者』という新聞を発刊していたジャーナリストにすぎない)。

立憲議会=国民議会で議員を務めた人間は立法議会の議員になることはできませんでした(「自制法」といってロベスピエール自身が
国民議会で提案したものです)。よって、ロベスピエールには権力は全くありません(一般人なんだから当然)。

The National Constituent Assembly dissolved itself on 30 September 1791.
Upon Robespierre's motion it had decreed that none of its members would be eligible to the next legislature.

何が言いたいかわかりますか?ロベスピエールには9月虐殺を止める権力も、処罰する権力もなかったわけ。
その権力を持っていたのがダントンやペティヨンです。

9月21日に国民公会が開かれますが、共和制が宣言されるが、
当時のロベスピエールには権力などありません。彼が公安委員会独裁という形で
若干の独裁権力をもったのは1794年5月から7月までの1か月半ほどです。

ロベスピーエル=ヒットラーのような独裁者というレッテルは歴史的な事実ではありません。

771:世界@名無史さん
14/10/15 22:41:06.47 0
それではロベルピエールは権力を握ってから、なぜ虐殺者を捕まえようとしなかったのかな?
普通の理解では、彼自身が同じように無実の人間を次々にギロチンにかけていたから。
自分と同じことをしている人間を罰するのは、政治的に自殺行為だからね。

772:世界@名無史さん
14/10/15 22:49:40.00 0
まずは歴史的事実を確認しましょう

そもそも、ロベスピエールというのはフランス革命を通じて常に少数派に身を置いています。
むろん、ジャコバン派内でも常に少数派です。立法議会時代に至ってはたんなる一般人です(91年9月から93年9月までは一般人)。
自分から「自制法」を提案し、議員特権を手放した人間がロベスピエールなんです(>>770)。

国民公会時代でも同じです。前半はジロンド派が主導、ジロンド派追放後(1793年6月以降)は、平原派(中間派=沼派)が多数派で、
ジャコバン派は少数派です(これはテルミドールまで変わりません)。その中でもロベスピエール派はダントン派やエベール派よりも少数派です。

その証拠に、ジロンド憲法に変えて新しい憲法を制定する段階でも、ロベスピーエルの憲法草案は国民公会で参道を得られず、
エロード・セシェル(ダントン派)の1793年憲法が採択されています(党内融和からロベスピエールは自分の憲法を進んで取り下げ、93年憲法への忠誠を誓っている)。

773:世界@名無史さん
14/10/15 22:53:46.82 0
754パねえな
たかが2ちゃんで気合い入れすぎだろ

774:世界@名無史さん
14/10/15 23:00:16.98 0
1793年10月10日に「革命政府」が樹立(サン・ジュストのいう「平和の到来まで革命は続く」)しますが、
その中でもロベスピエールに独裁的権力はない。公安委員会自身が12人の集団指導体制であり、ロベスピエールはone of themにすぎない。
エベール派の台頭でフランス革命が無秩序化(自己崩壊)の危機に瀕し、エベール派の粛清が行われるが、
これも公安委員会や保安委員会の指導下で行われたものであり、ロベスピエールの意思も同一であるとはいえ、
ロベスピエールの独裁ですべてが運ばれたわけではありません(むしろダントン派の力がこの段階では支配的)。

エベール派の粛清後、ダントン派はインド会社などの汚職案件で自滅します。ダントンやデムーランはロベスピーエルの同志です(とくにデムーランは
ルイ・ル・グラン校の同級生で家族ぐるみの付き合いがあった)。ダントン派の処刑を決めたのも公安委員会および革命裁判所であり、
ロベスピエールの一存ではありません。むしろ、ダントンの処刑についてはロベスピエールを説得するのは極めて困難を極めた
とされています(トムソン『ロベスピエールとフランス革命』、岩波書店)。

ダントンの処刑命令に対する著名はロベスピエールの名前は最後にあり、小さな字で書かれている。
ロベスピエールにとってこの二人の処刑は断腸の思いがありました。

775:世界@名無史さん
14/10/15 23:01:08.96 0
結局、ランバル公妃の首串刺しが無かったと主張している奴は、
一体何を根拠に書いているんだろ。

776:世界@名無史さん
14/10/15 23:01:47.60 0
ロベピーマンセーか。なついねw

777:世界@名無史さん
14/10/15 23:08:02.16 0
かりにロベスピエールを「独裁者」というとすれば、ダントン派粛清後の1794年6月の草月法制定から
7月のテルミドール反動までの短期間でしょう。この短期間のあいだに最高存在の式典が行われ、パリの処刑数が格段に増大します。
この時期のロベスピエールをどう理解すればよいのか、歴史的にも難しい問題です。「地に飢えたテロリスト」という形容がかりに正しいとすれば、
この1か月半の間の彼は間違いなくそうでしょう。「キレタ」という言葉が当たっているかもしれません。

長レス失礼しました。

778:世界@名無史さん
14/10/15 23:10:42.51 0
歴史的に正しいロベスピエール像を提示されて困る人間がたくさんいることは
知っています。だからこそ、ロベスピエールを救済する必要がある。

>>776のようなクズから救う必要はとくにあるでしょうね

779:世界@名無史さん
14/10/15 23:18:08.37 0
興味深い
ロベスピエールがいつの間にか指導者になってたのを前から不思議に思ってたから、ちょっと腑に落ちたわ

780:世界@名無史さん
14/10/15 23:26:47.19 0
>>776
ポーランド厨
ロベピー厨
ネトウヨ
遺伝子厨
陰謀厨

構造的にわきやすいんだろうね。

781:世界@名無史さん
14/10/16 02:05:18.70 0
生き残りが自分に都合の良いように歴史を書くわけだから
そこは行間を見ないといけないだろうね。

782:世界@名無史さん
14/10/17 22:04:34.24 0
ランバル夫人が話題になっているので、ちょっとフランス語版のWikipediaを覗いてみた。
・・・想像していた3倍ぐらいスプラッタで後悔した(泣)

URLリンク(fr.wikipedia.org)

783:世界@名無史さん
14/10/17 22:54:26.74 0
基本、大げさな情報が集約されるからね。信憑性不明で。

784:世界@名無史さん
14/10/18 00:03:35.99 0
信憑性不明なのは>>783の書き込みw

785:世界@名無史さん
14/10/21 22:49:33.44 0
【フランス大内戦】最高存在の祭典ってw【中二病w】
スレリンク(whis板)

なんか変なスレ立ってるけど
これは一体何厨なんだろう。


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