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國分功一郎@lethal_notion
ドゥルーズは、自らが、やもすれば熱狂的とも言われかねぬ程度に
自らが支持した社会党政権のことを念頭に置いていたのかもしれない。
彼は友人のフーコーとは正反対に、ミッテラン政権に絶大な支持を表明していたのだった。
2011年1月20日
1968年以後、デリダは1970年代から80年代にかけて哲学教育運動を展開する。
1968年の五月革命以降、当局は時間数を削減したり、必須制を自由選択制にしたり、教員数を削減するなど
哲学教育を抑圧(弾圧)し、産業社会の要求にそう実用的な教育政策方針をとった。
これに対してデリダら教員と学生あわせて30名ほどで1974年4月、この問題に対処するための
「哲学教育研究グループ」(Groupe de Recherches sur l’Enseignement PHilosophique・GREPH)を結成した。
1979年6月、ソルボンヌで公開討論会「哲学の三部会」が開かれ、
委員の中には、デリダ、ドゥルーズ、リクール、ジャンケレヴィッチ、シャトレ、ナンシー、ラクー=ラバルトらがいた。
1981年に成立したミッテラン政権はこの運動を支持し、1983年、「国際哲学学院が創設された。
デリダは初代院長に就任、フランソワ・シャトレらとともに運営を行う。翌年、J-F.リオタールが院長に就任。
こうしたデリダの教育運動はのち『哲学への権利について/法から哲学へ』(1990年)にまとめられた。