千葉雅也 17at PHILO
千葉雅也 17 - 暇つぶし2ch28:考える名無しさん
14/10/19 10:21:03.83 0
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■竹内氏による記述の洗練を踏まえていえば、文化資本を独占する知的階層の頂点は、どこの国でもリベラルです。
なぜなら、反リベラルの立場をとると自動的に、政治資本や経済資本を持つ者への権力シフトを来すからです。
だから、知的階層の頂点は、リベラルであることで自らの権力源泉を増やそうとします。
だからこそ、ウダツの上がらぬ知的階層の底辺は、横にズレて政治権力や経済権力と手を結ぼうとするというわけです。

■これが、大正・昭和のモダニズムを凋落させた、国士館大学教授・蓑田胸喜的なルサンチマンだというのが丸山の分析です。
竹内氏は露骨に言いませんが、読めば分かるように同じ図式を丸山自身に適用する。
即ち、丸山の影響力を台無しにさせたのは、『諸君』『正論』や「新しい歴史教科書をつくる会」に集うような三流学者どものルサンチマンだと言うのです。
アカデミズムで三流以下の扱いの藤岡信勝とか八木秀次などです。

■要は、文化資本から見放された田吾作たちが、代替的な地位獲得を目指して政治権力者や経済権力者と結託し、
リベラル・バッシングによってアカデミック・ハイアラーキーの頂点を叩くという図式です。
丸山によれば、戦前の蓑田胸喜による一連の活動がそうしたものの典型です。
そして竹内洋によれば、ブント的噴き上がりを田吾作の心情倫理に過ぎぬと断じた丸山も、元ブントを含めた田吾作らによって同じ図式で葬られます。

■これは、日本的な現象でもあります。というのは、各論で紹介する通り、亜インテリのポジションは、必ずしもインテリにとって逆機能的に働くとは限らないからです。
逆に言えば、1960年代までの日本では確かにマンハイム的な[知識人/大衆」図式が機能するように見えましたが、それは欧州で機能してきたのとは文脈が違うということです。
簡単に言えば、日本では欧州にあるような意味での知識人へのリスペクトが、ない。


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