14/09/23 23:49:44.33 0
眼鏡パンダ
URLリンク(twitter.com)
3:考える名無しさん
14/09/24 00:20:38.91 0
>>2
余所でやれっつってるだろ粘着野郎
4:考える名無しさん
14/09/25 04:37:48.78 0
読書会やってよー
5:考える名無しさん
14/09/25 12:01:08.78 0
眼鏡パンダとこういうおっさんはやりあってほしい
1000 名前: 考える名無しさん Mail: sage 投稿日: 2014/09/25(木) 11:46:47.46 [ 0 ]
>>999
自立と温室は思考停止じゃなくて、思考の始まりだよ。
それがわからないから、温室育ち。
6:考える名無しさん
14/09/25 12:58:28.67 0
>>5
眼鏡パンダって誰?
誰でもいいけど、そういう風に他人事にしたがるのが温室育ちになりたいやつの特徴だね。
7:考える名無しさん
14/09/25 13:04:46.98 0
温室外で思索積んだその成果を見せてくれ。
8:考える名無しさん
14/09/25 13:07:00.19 0
ファシズムもどきは見てて疲れるのよ。
9:考える名無しさん
14/09/25 13:07:23.89 0
>>7
いいとも。
テーマを決めるために、まず君の「温室効果」から書いてみてくれ。
10:考える名無しさん
14/09/25 13:10:24.37 0
専門性に閉じこもる事かな。
そうする事によって自己のアイデンテティを強固にする態度。
11:10
14/09/25 13:11:21.30 0
自分主導で価値提示したいんなら、演説くらいキチンとしろって事よ。
12:考える名無しさん
14/09/25 13:12:52.18 0
>>10
>>9に対する回答?
レスが重なることも多いから、アンカーをつけてよ。
13:考える名無しさん
14/09/25 13:13:39.84 0
よく知らないけど、眼鏡パンダとかいう人、ユリイカの論考を
眺めても、バタイユのどこに魅かれて研究してるのか不明だね。
単に世間の耳目を集めるために、世間の常識を外れた素材が欲しい
だけに見える。育ちや生活環境でバタイユに親近感を
抱いているような人間ではないだろうしね。表向きラディカル
に見える表現を扱うことで、現実の言論空間の狭さ、不自由さ
を意図的に隠蔽しようとしているようにも見える。
14:考える名無しさん
14/09/25 13:14:56.42 0
>>11
君もどのレスに対する感想かはっきりさせなさいね。
自分のいいたいことは相手にもわかるだろう、なんていうのはまさに温室効果なんだから。
15:10
14/09/25 13:15:14.18 0
>>10は>>9への回答。
専門領域の閉鎖性を利用した、アイデンテティ補強の効果が温室効果と思う。
16:10
14/09/25 13:20:30.24 0
>>14[
あなたの「温室効果」とはどういうものですか?
17:考える名無しさん
14/09/25 13:25:19.29 0
温室育ちかどうかは知らないが、表現を駆り立てているものが感じられない。
ドライブがかかっていないというのか、表面を整えているだけ。表現の必要性に迫られていない。
18:考える名無しさん
14/09/25 13:27:30.18 0
>>15
>>11もあわせてレスしとこう。
「温室効果」とかぎカッコつきで書いたのは、言葉の意味を要求したんじゃなくて、君の温室に入りたい姿勢の結果の思考を書いてみてよってこと。
だから、>>9にはテーマを決めるためにと書いといた。
でも、君の温室効果の言葉の説明は面白かったし、異論はないよ。
自分主導で価値観、云々というのは少し違う。
もともと、>>7がなにかを書けといったことに対して、ではテーマを決めよう、と書いただけだから。
19:10
14/09/25 13:57:42.96 0
二日でもサボると駄目だ。
20:10
14/09/25 14:04:56.49 0
クズ過ぎる。
21:考える名無しさん
14/09/25 14:52:27.33 0
>>13
どんな育ちや生活環境だったらバタイユに親近感わくんだよ。
バタイユに親近感わきますなんて、そんなやつ、完全にヤバイだろ。
22:考える名無しさん
14/09/25 14:58:44.79 0
バタイユは、既婚の友人の家を訪ねては、その友人と一緒に売春宿に行って
遊んでいたので、友人の奥さんからは心底嫌われてたって話だけど、そういう
友人はやっぱりバタイユに親近感もってただろ。そういう環境で暮らしている
人は、いまの世の中でもいくらでもいるよ。
23:考える名無しさん
14/09/25 15:06:55.09 0
>>22 へえー、サンクス。そんなやつがバタイユ研究やってたら、確かに味わい深そうだな。
しかし、研究対象と育ちや生活環境の上で共感しなくとも、憧れや興味から研究対象を選ぶことだってよくあることだと思うが。
24:考える名無しさん
14/09/25 15:16:31.54 0
前スレ995の解答、よくわからないが
誰とでも話さなきゃだめだってことか?
まあ、そういう立場もありかもしれないが、学問板では板違いじゃないか?
やっぱ学問っていう限り検証可能性とか反証可能性がないと
そういう基本的な姿勢というのも重要かとも思うけど
25:考える名無しさん
14/09/25 16:18:09.77 0
>>24
>誰とでも話さなきゃだめだってことか?
その日本語の理解力で、「学問板」w にいることの方が、自分で不思議だと思わないのかい?
もっとも、学問にはオタク系とヨワタリ系があるから、オタク系ならコミュ障でもなんとかなるかも知れない。
自分がどっち系なのか、「そういう基本的な姿勢」を知っておくことが大切だ。
26:考える名無しさん
14/09/25 17:12:45.76 0
[学問にはオタク系とヨワタリ系があるから]
27:考える名無しさん
14/09/25 17:12:46.62 0
>>25
すまん。恐らく吉本とか柄谷とかの評論文化にいる人なんだろうけど、
そういう文化に居ないから、背景の前提知識がないんで、あれじゃそのぐらいしか分からんはw
あと、自分の文を誤解されて説明せずに相手の理解力とか、他者のせいにするヤツはヤバイと思うは
要するに対話する気がないってよく分かる
いや~、オイラにはそういう評論文化の人がヴィッセンシャフトとかサイエンスの意味での学問板に居る方が可笑しいと思うけど、2ちゃんだから理解はできるけどなw
28:考える名無しさん
14/09/25 17:13:29.67 0
「2ちゃんだから」
29:考える名無しさん
14/09/25 17:14:00.75 0
「学問」
30:考える名無しさん
14/09/25 17:14:57.74 0
ああ、こういう言い方のが分かるか
サブカル人の学問人への怨念が香り立つ
31:考える名無しさん
14/09/25 17:14:58.65 0
これ以下というのが悲しい
32:考える名無しさん
14/09/25 17:17:21.28 0
マジで存在価値ないわ
33:考える名無しさん
14/09/25 17:19:02.32 0
吉本はどんな奴の話でも聞いた、とかいう舐めた吉本ファンもいれば、
吉本を小ばかにして学問を背負ったつもりの親父もいる
その足元にも及ばない自分が悔しい
34:考える名無しさん
14/09/25 17:19:54.62 0
ヴィッセンシャフトwと笑ってばかりもいられない
35:考える名無しさん
14/09/25 17:25:29.56 0
しかし俺はこれ以下かと思うとマジで消えたくなる
36:考える名無しさん
14/09/25 17:47:36.58 0
俺ファシズム気質があるかもしれない
37:考える名無しさん
14/09/25 17:50:06.04 0
しかしいかんせん自分の存在価値がついていかない
38:考える名無しさん
14/09/25 18:10:35.91 0
哲学におけるトーラーの重要性について熊野先生はどのような見解をお持ちなんですか?
39:考える名無しさん
14/09/25 18:14:45.86 0
進歩しねえな
40:考える名無しさん
14/09/25 18:32:58.45 0
ファッショ器質という訳ではなさそうだ
適当なカウンターしか出来ない自分が嫌だ
41:考える名無しさん
14/09/25 19:03:16.03 0
>>27
>あれじゃそのぐらいしか分からんはw
>他者のせいにするヤツはヤバイと思うは
>いや~、オイラには
>ヴィッセンシャフトとかサイエンスの意味での学問板
こういう文を書く人間が、学問とか書いてるのは、なかなか微笑ましいものがある。
熊野氏周辺の人ではないことを祈るばかりだ。
42:考える名無しさん
14/09/25 20:27:28.64 0
>>13
かわいいガール大好きおじさんはモテたいからバタイユをやったって公言してるよ
留学しなかった理由もそこから説明してる
43:考える名無しさん
14/09/25 22:39:42.79 0
848 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2014/09/20(土) 17:52:40.53 0
評論家の本とか翻訳のななめ読みで哲学を論じるスノッブって、
AVを見てセックスを語る童貞みたいなものだと思うけど、
そんな人たちが熊野純彦に絡んでくるのが謎すぎるな。
まあ熊野がそういう意味でイケメンのヤリチンすぎるから?
2ちゃんみたいな場所で童貞に妬まれるのも仕方ないのかもしれないけど、
端的に言って住んでる世界が違うんだから気にしなきゃいいのにな。
860 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2014/09/20(土) 20:11:51.47 0
>>848
巧い譬えだな~
原典読解がsex 評論がAV 学者がリア充
スノッブがAVでsex に妄想抱いた童貞くん
巧い、童貞くん評論で妄想膨らませず、
地道に原典読解して経験積もう
語るのは、それからだ
44:考える名無しさん
14/09/25 23:02:16.79 0
熊野は解説と翻訳しかしてないから
語るべき事があまりない気がする
45:考える名無しさん
14/09/25 23:22:52.79 0
駒場(千葉雅也)と本郷(かわいいガールおっさん)、どうして差がついたのか…慢心、環境の違い
46:考える名無しさん
14/09/25 23:28:38.44 0
>>43
いい考えだ。
1日1ページ、週一。
存在と時間が10年で読める。
学時代から定年までに、5冊ぐらいは読めるな。
47:考える名無しさん
14/09/26 07:14:00.16 0
>>46
意味わかんね
集中すれば、すぐ読めるよ
48:考える名無しさん
14/09/26 07:53:27.34 I
サラッと読もうと思えば読めるが、存在と時間はノートに書き込みながら読まないと
頭に入ってこない。用語説明がめちゃくちゃ多いからな
49:考える名無しさん
14/09/26 08:45:52.60 0
>>48
いや、もちろん原典諸訳諸註や根拠確認したりしてだけど
50:考える名無しさん
14/09/26 10:22:54.96 0
ハイデガーは道具性へのこだわりすぎて躓き、
熊野先生は、ハイデガーの道具性へのこだわりを無視することで躓いた感じ。
熊野先生は、レヴィナスのトーラーへのこだわりにも
こだわらないようだし、熊野先生自身のこだわりはどこにあるのだろう。
51:考える名無しさん
14/09/26 10:24:03.30 0
×道具性へのこだわりすぎて→○道具性にこだわりすぎて
52:考える名無しさん
14/09/26 10:41:19.79 0
>>49
みんなで輪読1日1ページ、君じゃなかったのか?
ま、どうでもいいけど、教師目指してがんばれよ。
53:考える名無しさん
14/09/26 11:33:01.63 0
「差異と隔たり」を問題にするなら、「可食性」はとても重要だと思うんだけど、
「可食性」を問題にする哲学者はあまり見当たらないね。
同じものを同じように食べるか否かは、差異を知り、自他の隔たりを
措定する際のとても重要な基準なのにね。
54:考える名無しさん
14/09/26 11:36:02.35 0
自分が食べ物とは見なさないものを他人が食べているのを見るときの
「気持ちの悪さ」は、まさに「現存在」の構造をよく表していると思う。
55:考える名無しさん
14/09/26 15:08:33.02 0
>>52
ども~、いやもう老齢なんでそれはない
分野も違い過ぎるしw
あと輪読は完結しなくても一年ぐらいやれば意味があると思う
いかに誤読するか気づける人が出ると思う
56:考える名無しさん
14/09/26 16:59:45.28 0
>>55
完結しない輪読なんて、2chと変わらないだろw
57:考える名無しさん
14/09/26 20:26:47.22 0
>>56
いや、一年もつづけられれば充分意味あると思うよ
もちろん完結した方がいいに決まってるけど
58:考える名無しさん
14/09/26 20:47:13.22 0
>>57
では、その意味のある結果を提示してくれ。
なにを輪読して、どういう解釈にいたり、それは人間や社会にどういう意味を持つのか、といった程度でいいから。
59:考える名無しさん
14/09/27 03:35:12.85 0
立て直していこう
60:考える名無しさん
14/09/27 06:22:04.62 0
>>58
そりゃ単に訓練されてない読みが如何に妄想や予見に支配されているということに気づける
そして妄想や予見に気づいて、より妥当な読みを探求できるようになるってこと
あと、誰もがなれるわけじゃない。エゴを見据え、それを克服できた人のみが輪読を価値あるものにできると思う。
これは体験からですよ。自分もそうだし、変わった他人も何人も見てきたから
61:考える名無しさん
14/09/27 07:44:16.65 0
訓練すれば妄想や予見を取り除くことができるなんてのは、
修行すれば、悟りを開くことができると信じる宗教と同じ。
陸上競技で訓練すれば、素質のある人間は格段に速く走れる
ようになるが、素質のない人間はたいして変わらないし、
訓練を重ねたところで、その訓練の目的に会うように体の
使い方が方向づけられるだけで、他の目的で体を使うこと
に向かなくなったりもする。
62:考える名無しさん
14/09/27 07:59:29.57 0
妄想を根拠の見当たらない想起とするなら、科学でも哲学でも妄想は
とても重要なもので、排除すべきものではない。予見そのものは
生まれたときからのさまざまな訓練を通して固定化されている。
異なる訓練を経験して異なる予見をもつ他人と交わることで、固定化
された互いの予見を相対化する機会が与えられる。固定化された予見
のためにいままで見えなかった矛盾が見えるようになり、その矛盾に
どう適応するかが新たな訓練となる。「エゴを克服する」などという
のは、「現存在を克服する」というのと変わらない戯言だ。
63:考える名無しさん
14/09/27 08:40:42.64 0
まあ、こういう人は学問とは無縁だと思う
64:考える名無しさん
14/09/27 08:48:14.88 0
幸福の科学
65:考える名無しさん
14/09/27 10:48:20.42 0
真に見られたものや真正に解釈されたものには原理的にある不真理がつきまとっている
ということを理解しようとしないならば、それは哲学することの意味やあらゆる学の
意味に反することになりましょう。(「現象学の根本問題」p.512)
66:考える名無しさん
14/09/27 10:52:42.43 0
ある方法が真正なものであって、対象へと近づけさせてくれるまさにそのときには、
この方法に基づいて遂行される前進やしだいに根源性を増してゆく開示は、これを
得させてくれる当の方法を必ずや古びさせてしまいます。学問や哲学において
唯一真に新しいものは、真正な問いかけとそれに奉仕する物事との格闘だけなのです。
(「現象学の根本問題」p.520)
67:考える名無しさん
14/09/27 11:47:37.11 0
>>60
効用の主張はわかったから結果を提示してよ。
提示がなけりゃ、それが効用であるのか障害であるのかわからないじゃないか。
68:考える名無しさん
14/09/27 11:52:13.77 0
>>67
どうしようもないな
そんなの出しようもがないって分からないかw
ただ古典学系学問をやった人なら、誰でも認めるだろう
そしてその訓練を経て読めるようになったと認められたものが、
基本的に学会で通用するんだが
69:考える名無しさん
14/09/27 12:09:01.38 0
それで国語学の権威である大野博士が、日本語タミル語起源説に没頭したわけですね。
ところが、大野博士の編集した古語辞典ではやたらと朝鮮語が語源として
あげられてるんだよな。あれって根拠あったの?それとも朝鮮語もタミル語
起源って結論に至ったのかな?
70:考える名無しさん
14/09/27 12:13:35.22 0
その2つの主張に排他性ないだろ
馬鹿なの?
71:考える名無しさん
14/09/27 12:14:50.05 0
英語がノルマン・コンクエストの結果、
フランス語由来の単語が多いからとしても、
「英語の起源はフランス語」にはならないっての
72:考える名無しさん
14/09/27 12:21:13.94 0
>>68
誰でも認めるとか、学会で通用するとか、思考停止を前提にした結論は要らないよ。
必要なのは人間や社会にとっての意味。
「古典系の学問」なるものをやりたいなら、オタクに徹することだね。
熊野氏が古典系の学者であり、その解釈を自分のライフワークとしているなら、誰も文句は言わない。
ただ、もしそうなら、誰よりも熊野氏自身が、輪読などしたこともない素人研究者が深く正当な読みをすることがある、ということは熟知しているだろう。
熊野氏ほど経験の深い研究者が、自分のたんなる技術的な訓練の蓄積を、絶対の正当性の根拠とするほど愚かであるはずもない。
73:考える名無しさん
14/09/27 15:16:16.87 0
>>72
大丈夫か?
輪読の意味と熊野さんは別だろ
ほんと評論とか読んでるヤツの妄想力は高いとしか言えない
74:考える名無しさん
14/09/27 15:23:57.55 0
>>73
妄想ってなに?
熊野氏というのは、輪読を積み上げた人(たぶん)の象徴という意味であげたんだよ?
そんなことも読み取れない人が、「より妥当な読みを探求できるように」なろうがなるまいが、他者にも社会にもどうでもいいことだね。
国語の輪読の授業が足りなかったのかな?
75:考える名無しさん
14/09/27 16:46:07.16 0
>>74
ワロタ
76:考える名無しさん
14/09/27 20:47:31.47 0
熊野の最大の業績って学部生のころに広松から「恐るべき子供」って言われたことなんでしょ。
77:考える名無しさん
14/09/27 20:53:59.10 0
それを業績という流石、非学問徒
78:考える名無しさん
14/09/27 21:00:52.64 0
森岡正博にも「東大文献学アカデミーの頂点」と言われてるからな。
79:考える名無しさん
14/09/27 21:42:35.94 0
>>68
>をやった人なら、誰でも認めるだろう
> そしてその訓練を経て読めるようになったと認められたものが、
> 基本的に学会で通用するんだが
熊野ゼミ可愛いガール大好き小父さんは
ほぼ誰からも認められてないし
学会でも通用してない矛盾はどうすんの?
80:考える名無しさん
14/09/27 21:53:28.94 0
>>79
なんでそうなるんだか
81:考える名無しさん
14/09/27 22:02:56.12 0
「差異と隔たり」の第一章を読み終えた。
所有されるものの本質は、良く言われるように希少性でも有用性でもなく、生命にあると言われてる。
漸く生活上の懸案事項が解決されつつあり、何かに集中可能な体制が整ってきて嬉しい。
82:考える名無しさん
14/09/27 22:12:12.97 0
近代社会が引っくり返る。
83:考える名無しさん
14/09/27 22:13:46.27 0
死の先駆では引っくり返らない。
84:考える名無しさん
14/09/27 22:15:08.14 0
死の先駆は恐らくシンプルで無自覚な蓄積欲求に絡め取られるから。
85:考える名無しさん
14/09/27 22:17:10.09 0
日本でバタイユやるなら留学しないと論外なんじゃないの
86:考える名無しさん
14/09/27 22:17:48.33 0
事実上、本来的な実存を引き受ける現存財は、資本制の尖兵になってしまう。
87:考える名無しさん
14/09/27 22:27:27.97 0
「差異と隔たり」ではルーマンの所有概念が批判されてる。
88:考える名無しさん
14/09/27 22:28:55.52 0
アンチモダンコンティジェンティブシステム。
89:考える名無しさん
14/09/27 22:30:06.91 0
盛り上がってきたぜ!!
レッツリッスン「地獄へのハイウェイ」!!
90:考える名無しさん
14/09/27 22:39:00.59 0
I'm on the HIGHWAY TO HELL!
91:考える名無しさん
14/09/27 22:42:32.75 0
俺は在特会を知的に簡単に批判できるのはおかしいと思ってたんだ。
92:考える名無しさん
14/09/27 22:43:28.61 0
特権つぶしは近代の出発点。
93:考える名無しさん
14/09/27 23:13:31.35 0
大風呂敷を広げすぎた。
ケルゼンを読んで来る。
94:考える名無しさん
14/09/27 23:56:51.51 0
哲学業界ではもう知らないひとも知ってる有名人だよ
付き合う女性はAV女優と結婚する物好き男あつかい
ツイッターはバカッター
95:考える名無しさん
14/09/28 08:21:51.80 0
哲学の読みはカテキズムではない。修練によって規範的な解釈を身に付けて
それで終わるようなテキストは死んだテキストであり、生きた人間を相手に
するのであれば、宗教の教典としてすら機能しない。哲学が常に越境を試みる
のは、自らの思考の万能性を信じているからではなく、自らの思考を異質なもの
にぶつけてみることで、自らの思考が囚われているかもしれない予見を知る
機会を得るためだ。
96:考える名無しさん
14/09/28 10:10:04.70 0
人間の暴力はなによりもまず、群れとしての残虐性として発揮される。
群れのなかで評価され、優位に立つことばかりに汲々としている人間が、
どうして暴力を無効化するような倫理を説くことができるだろうか。
97:考える名無しさん
14/09/28 10:27:23.38 0
>>95
それだと哲学は妄想って意味に等しいな
98:考える名無しさん
14/09/28 11:15:22.76 0
>>97
デリダとかドゥルーズは、現実と妄想との境界線を探るためにいろいろ書いてるんじゃないかい?
特にデリダは、妄想と言葉遊びの中に新たな視点を探してるわけだし。
99:考える名無しさん
14/09/28 11:40:30.37 0
>>98
デリダにしろドゥルーズにしろよく知らんけど古典学の教育受けてるよなあ
だから、まあ人に認められるんで読めもしないのに妄想ばっか語るやつを相手してもしかたないだろう
100:考える名無しさん
14/09/28 11:46:41.87 0
ニュートンやライプニッツも自らの研究で後世に業績として広く認められる
ようになったものと、妄想との間の区別はついていなかっただろう。
モナド論なんてどうみてもオカルトの類だけどな。
101:考える名無しさん
14/09/28 11:51:11.82 0
>>99
じいさん、いつまでも悔しがってちゃだめだよ。
自分で自分の勉強するのは勝手だけど、人を貶しちゃいけないよ。
じいさんの勉強の成果はどこにもないんだから。
人を貶してばかりいないで、自分が一つでも成果を出してごらんよ。
102:考える名無しさん
14/09/28 14:37:59.18 0
熊野純彦が後世に認められないわけないだろwwww
103:考える名無しさん
14/09/28 15:35:50.82 0
じゃあ、その後世に認められる熊野純彦の「所有」の概念を説明してみろください。
104:考える名無しさん
14/09/28 16:45:15.76 0
>>101
へ、何も悔しがってないけどな
間違いを正してるつもり
成果も何冊か出てるけど~
105:考える名無しさん
14/09/28 17:09:45.27 0
>>104
それじゃ、その何冊かを教えてくれよ。
そうしないと、その成果がどういうものかわからないじゃないかw
106:考える名無しさん
14/09/28 20:25:40.29 0
>>105
そんな自殺行為するわけね~
まあ、信じなくていいから
107:考える名無しさん
14/09/28 20:29:44.37 0
>>106
信じるも信じないも、見ず知らずのじいさんが成果があるんだよなんて言ったって、どんな成果かわかるわけがないだろ?
じいさん、耄碌しちゃったのかい?
108:考える名無しさん
14/09/28 20:44:12.69 0
はいはい
109:考える名無しさん
14/09/28 20:50:24.36 0
ばいばいw
110:考える名無しさん
14/09/28 21:22:21.04 0
∧_∧ ┌──────
◯( ´∀` )◯ < 僕は、かわいいガールちゃん!
\ / └──────
_/ __ \_
(_/ \_)
111:考える名無しさん
14/09/28 23:35:51.15 0
東大文献学がどうとか言っても、廣松も大森もそんなじゃなかったよな。
煮詰まっているだけ。
112:考える名無しさん
14/09/29 02:54:22.82 0
廣松も大森もそんなじゃなかったなら
一体誰が評価できるのかぜひ教えてほしい
113:考える名無しさん
14/09/29 07:51:53.48 0
渡辺二郎先生とか
114:考える名無しさん
14/09/29 08:33:05.12 0
熊野純彦の文章は巷にあふれる哲学研究書とは一線を画しているな。言うなれば、かなり批評性の高い文章で、一般人にもわかりやすく哲学を伝えられるという強い意思が感じられる。
115:考える名無しさん
14/09/29 08:37:04.57 0
熊野純彦を読むことはワインを飲むことと似ている。甘く、激しく、そして情熱的で、ほろ酔い気分にさせてくれる、そんな文体だ。
116:考える名無しさん
14/09/29 08:38:53.23 0
>>114
>批評性の高い文章
ってどういう部分?
117:考える名無しさん
14/09/29 08:39:52.50 0
>>116
そんなこともわからない奴に読む資格なし
118:考える名無しさん
14/09/29 08:59:38.47 0
>>117
批評性っていう言葉が人によって違うからな
まあ、いうだけで文を出すと色々言われるからなんだろうけど
119:考える名無しさん
14/09/29 09:03:38.93 0
私は、ブレンドして安価にバランスを整えたワインよりも
樽の中で熟成されて過ごした歳月を感じさせるウイスキーの方が好きだ。
120:考える名無しさん
14/09/29 09:05:44.43 0
感受はそれぞれだから
121:考える名無しさん
14/09/29 15:24:47.82 0
URLリンク(wired.jp)
>10,000時間の練習(少なくとも5,000時間、多くて15,000時間)を費やし[マルコム・グラッドウェルは、どんな才能や技量も、10,000時間の練習を続ければ「本物」になるという「法則」を提唱している]、
>12年間の学校生活に耐え、下書きに次ぐ下書きを繰り返さねばならない。近道は存在せず、才能に恵まれた者も、努力を続けなければならない。練習は「選択できるオプション」というものではないのだ。
122:考える名無しさん
14/09/29 17:28:11.92 0
>>121
下層庶民に、君が貧しいのは努力が足りないからだよ、とうそぶく支配者の倫理と同じだな。
こんなことを知の世界に当てはめようとするのは、自分が支配者になりたいからなんだろうw
なにごとも、ある程度の練習が必要なのは当然だ。
知の領域に関していえば、日本は義務教育だけで9年、高校まで含めれば12年は知的環境に浸っている。
1日5時間としても、年900時間、12年で10000時間以上、知の練習をしたことになる。
なにより、知の領域というのは、実はすべての人間の活動の中に含まれているものだ。
自身のすべての活動を知の領域として取り込むことが出来るかどうかが問題なのだ。
狭く、閉じられた世界での共同練習などに知的な活動を求めるのは、生簀で鮪の生態を知ろうとするような愚かな試みに過ぎない。
人は皆、自身の経験を意味づけたがるものだが、それは自己愛の固定化に過ぎないことを知らなければならない。
自己の経験を客観化することが、知への第一歩なのだ。
123:考える名無しさん
14/09/29 19:58:14.04 0
>>122
妄想論理、哲学も語学の訓練か、数理論理学の訓練か、
最低、どちらかがないと無理だべ
124:考える名無しさん
14/09/29 20:19:28.50 0
>>123
まず哲学とはなにかの定義でもしてごらん。
その上で、その哲学のどういうところにどの語学が必要で、そしてなぜ数理論理学が必要なのかを書いてごらん。
125:考える名無しさん
14/09/29 20:41:39.39 0
>>124
アルケーの探求
その過去の探求を辿るためにはギリシャ語からの西洋語、アラビア語、ラテン語などが必要
それとは別の英米哲学だと数理論理学が必須
「ごらん」という上に立ちたい語尾w
126:考える名無しさん
14/09/29 21:59:21.39 0
>>125
なるほどね。
日本の過去は辿らなくてもいいのかい?
まず、数十か国語の古語を自由に読めないといけないのか。
君はできるの?
普通の学者なら、語学の習得だけで一生が終わりそうだ。
エンゲルスみたいな天才ならいいけどね。
数理論理学を使った哲学があるというだけで、数理哲学が必須というなら、世界のすべての哲学を渉猟しなきゃいけないね。
中国語はもちろん、世界各国の語学の習得が必要だ。
君はそんなことを本気で考えてるのかい?
本気で考えてるんなら、君には哲学は無理だな。
上に立って断言するよ。
一度ぐらい、自分の頭を疑ってごらんw
127:考える名無しさん
14/09/29 22:07:20.86 0
>>85
国内の本郷にいれば黄色人種の田舎者と馬鹿にされず 威張ってられるからな
128:考える名無しさん
14/09/30 05:48:05.37 0
>>126
オイラは西哲じゃないから、西洋系古語はそんなにできないが
東洋系古語は結構できるが
自分の頭キタ~、古人の思惟をフォローせずに自分の頭で考えるってのは
本当に希な天才は例外として、単なるステロタイプな、その時代的な常識の追尾、繰り返しにしかならない
そして正に君とか、ここの評論しか読まない派がそう
退屈で忍耐力のいる訓練を経ずに、面白おかしく読みやすい評論を読んでしまう
「面白おかしく読みやすい」ってのはその時代的な常識で書かれてるからで、
それでは時代的な制約を突破できず、本質を探求する、哲学的思惟はできない可能性が極めて高い
それをマルコム・グラッドウェルは別の形で同様のことを表しているように思う
129:考える名無しさん
14/09/30 08:40:42.18 0
横だけど、能書きはいいから、熊野純彦の「所有」の概念を説明してください。
これまでも熊野先生の哲学の実質的な内容についてまったく書き込みがありません。
いばりたいだけなら、便器に向けてお願いします。
ここは便器ではなく、便所の壁です。
130:考える名無しさん
14/09/30 10:29:19.60 0
>>129みたいに自分でテクストを読もうとせずに人から教えてもらおうとばかりするような奴が出てきたのはゆとり教育の弊害か?熊野純彦はそういう人間に向けて本を書いているわけではなかろうに。
131:考える名無しさん
14/09/30 10:42:14.22 0
実質的な議論がなにひとつできないくせに能書きばかり垂れているやつが常駐しているが、
一体何のためにこのスレに居座っているのだろう。
132:考える名無しさん
14/09/30 11:34:52.12 0
>>128
>西洋系古語はそんなにできない
それじゃ、自分は自分が定義した哲学をできない、といってるだけじゃないかw
自分の頭を疑う段階じゃないかも知れないね。
「退屈で忍耐力のいる訓練」なんかで何事かが解決するなら、先進世界からは戦争がなくなってるよ。
人類の愚かさの象徴である戦争を起こしているのは、先進世界とアジアの文明国だよ。
なにより、日本では「退屈で忍耐力のいる訓練」が勉学の基礎だったが、その結果、300万人の日本人が戦争でなくなり、日本の文明は壊滅した。
それが、爺さんたちの「退屈で忍耐力のいる訓練」の成果だよ。
133:考える名無しさん
14/09/30 11:44:10.21 0
>>130
君は日本語も怪しいんだね。
>>129は、「教えてもらおうと」してるんじゃなくて、君が自分ではなにも理解できないくせになんで威張ってるんだ、と非難してるんだよ。
意図的な逸らしであれ、無自覚な読み違いであれ、君のような人間が熊野氏の名前を持ち出したんでは、熊野氏も迷惑だろうw
君は他人の著書の解釈を哲学の基礎としてるんだから、熊野氏の概念をどう把握したのか、説明してごらん。
134:考える名無しさん
14/09/30 11:44:39.79 0
>>132
何言ってんだ。オイラができるとは言ってないだろ
オイラは東洋系のテキスト解読はできるんで、それができないヤツが妄想ばっか語ってるのはよく分かる
それと同様のことが西洋で起きてることも分かる。
なぜなら、訓練受けた人とそうでない簡単に妄想してしまう評論家の文は読めば分かるからだ。
ああ、ここは妄想入れたなと、直ぐ分かる。
>「退屈で忍耐力のいる訓練」なんかで何事かが解決するなら、先進世界からは戦争がなくなってるよ。
>人類の愚かさの象徴である戦争を起こしているのは、先進世界とアジアの文明国だよ。
>
>なにより、日本では「退屈で忍耐力のいる訓練」が勉学の基礎だったが、その結果、300万人の日本人が戦争でなくなり、日本の文明は壊滅した。
>
>それが、爺さんたちの「退屈で忍耐力のいる訓練」の成果だよ。
こういうのが妄想の飛躍に他ならないんだは
135:考える名無しさん
14/09/30 11:45:47.64 0
>>133
他人だが、そんな偉そうに試すヤツに説明するようなヤツはいないは
136:考える名無しさん
14/09/30 11:57:38.91 0
>>134
「同様のことが西洋で起きてることも分かる」というのが妄想で、戦争がおきている、というのが現実だよ。
現実を見ずに妄想に耽るのも自由だが、それでは他人からバカにされるだけだよw
せいぜい、妄想から犯罪に走ったりしないように注意してくれ。
>>135
他人じゃないだろw
137:考える名無しさん
14/09/30 14:04:39.26 0
もう誰が誰なのかよくわからないけど、どっちにしろ熊野信者が何人かいて、誰が一番熊野に対する信仰心が強いかで言い争っているというのはよくわかった。
138:考える名無しさん
14/09/30 14:29:59.81 0
でも、熊野の哲学について説明することや、議論することは拒否するんだよな
熊野の哲学について議論するのが嫌なら、いったいこのスレでなにがやりたいんだろう。
139:考える名無しさん
14/09/30 15:03:18.43 0
つか、評論派で政治的な方向を哲学と勘違いしてる輩と
学問的な輩の対立があるだけ
前者は哲学でもなんでもない、なんつうかよくある文学ヲタでしょ
140:考える名無しさん
14/09/30 15:18:59.68 0
評論派と学問派の両方に読まれる哲学研究者なんてそういないだろうが、熊野としてはそれが狙いなのか?
141:考える名無しさん
14/09/30 15:19:21.07 0
>学問的な輩の対立があるだけ
内容がないよう
142:考える名無しさん
14/09/30 15:20:54.24 0
議論を阻害する手口を長年見てきたから、マンネリなんだよね
そろそろ新しい手口を考えた方がいい
143:考える名無しさん
14/09/30 15:31:34.11 0
何言ってんのよ。
144:考える名無しさん
14/09/30 15:32:04.07 0
熊野の所有概念は、所有されるものの本質を生命に見出すようなものだよ。
145:考える名無しさん
14/09/30 15:38:24.24 0
説明になっていないよ?
146:考える名無しさん
14/09/30 15:46:51.54 0
所有とは、対象についての支配および制御を意味する。
その様な意味で所有されるものの本質とは生命。
支配-制御において漸く可能になる自己同一性を有する物としての生命。
147:考える名無しさん
14/09/30 15:54:17.24 0
ルーマンを批判していると言ったがそれは違った。
ルーマンへの言及で述べられているのは、所有の条件としての希少性というものは偶発的だという事だけだった。
148:考える名無しさん
14/09/30 15:55:14.46 0
上で「際と隔たり」の第一章、主裕の期限において、ルーマンが批判されていると言ったがそれは違った。
そこでのルーマンへの言及で述べられているのは、所有の条件としての希少性というものは偶発的だという事だけだった。
149:考える名無しさん
14/09/30 15:57:19.10 0
ルーマンって酷くね。
使えればなんでも使うみたいな
それじゃ、妄想と同じだと思うんだが
150:考える名無しさん
14/09/30 15:59:49.30 0
「希少性の発生と排他的な占有の成立は同時的であると考える事が出来る。」
希少だから占有されるのではなく、希少と占有は同時成立。つまりは希少性と占有は同時成立であり、互いの根拠を自己自身に負っていて、偶発的に存在する。
151:考える名無しさん
14/09/30 16:04:41.31 0
○互いの根拠を自己自身に負っていて、偶発的に存在する。
相互関係において同時成立し、互いの根拠をその関係としての自己自身に負っていて、それぞれ偶発的に存在する。
152:考える名無しさん
14/09/30 16:05:17.10 0
まだ何を言ってるのかよく分らないけど、その説明にいくらかでも
妥当性があるとするなら、熊野氏の「所有」の概念は、日常的な
所有の概念とは大きくかけ離れていることになるね。日常的な
「所有」の概念で生き物が所有の対象とされる場合、それはほぼ
所有者が自由に処分できる「家畜」に限られるからね。子供や
妻を「所有」しているとは普通、言わないし、ペットなどの動物
にしても、法律的には「所有物」に該当しても、一般的な考え方
では「飼っている」というのが普通。いわば、生命を「預かっている」
だけで、「所有物」として自由に処分したら後ろめたさを感じるし、
周囲から非難されもする。
153:考える名無しさん
14/09/30 16:08:02.86 0
熊野氏は、日常的な「所有」の概念の用法と、自らの「所有」の概念の
用法の大きなギャップをどのように説明または理解しているのだろう?
154:考える名無しさん
14/09/30 16:10:46.48 0
支配-制御と書いたけども、これも不適当だった。
生命は所有者の支配に服しながらもそれに収まりきらない。
この所有者の支配の超越部分こそが野生の剰余で、その剰余があるが故に所有される、とされている。
155:考える名無しさん
14/09/30 16:15:31.68 0
あるものの生命は、それ以外のものの意図を超えて存在する。
この意図の超過部分が剰余で、その剰余があるが故に他者によって所有される。
だから所有の本質は生命なのだ、という事になる。
156:考える名無しさん
14/09/30 16:16:26.72 0
ますます日常の概念とかけ離れていることが明確になってきた。
社員は、企業に雇われていて、命令指揮系統で支配され、制御されているが、
当然、企業が所有している「社畜」ではないし、支配、制御を受けない
個人の生活が「剰余としての「野生」として存在するが故に、所有されている」
などという理屈も成立しない。
157:155
14/09/30 16:18:24.79 0
会社員は、日常的には会社に所有されているとは言えないが、しかし非日常的には、会社に所有されていると見る事もできる。
158:155
14/09/30 16:19:22.77 0
この後者の「所有」を前者によって否定したいのですか?
159:考える名無しさん
14/09/30 16:19:52.41 0
本当にこれが熊野氏の「所有」の概念の妥当な説明だとすると、
熊野氏は社会哲学の基本が極めて弱く、社会哲学としては到底、
批判に耐えうるようなものではないことになる。
160:155
14/09/30 16:21:42.25 0
まだ一章以降も読まないとはっきりとしたことは何も言えないが、
「差異と隔たり」では原初的な所有について論じられていて、その意味での所有とは偶発的で、また物財ではなく生命が所有されるものの本質にあるのだ、と言われている、とまず思う。
161:155
14/09/30 16:24:19.61 0
>>159あなた嫌味だよね。
162:考える名無しさん
14/09/30 16:27:34.21 0
>物財ではなく生命が所有されるものの本質にあるのだ
だとすると、自己は生命のある自分自身を「所有」していると熊野氏は考えているの?
163:考える名無しさん
14/09/30 16:29:42.22 0
「差異と隔たり」の二章の題が「身体と所有」。
自分はまだ読めてない。
164:考える名無しさん
14/09/30 16:32:46.37 0
普通は、所有の概念の一般化が反転して自己が自分の身体を所有している
という考え方が近代の個人主義とともに広まったとされていると思うんだけど、
それをさらに反転する根拠を熊野氏はどこに求めているのだろう。
165:考える名無しさん
14/09/30 17:34:09.86 0
全然駄目だ。上っ面だけ。
166:考える名無しさん
14/09/30 17:34:55.09 0
自分の事。
167:考える名無しさん
14/09/30 18:07:24.63 0
自分の時間を生きるという事。
168:考える名無しさん
14/09/30 19:37:52.37 0
「所有とは、対象についての支配および制御を意味する。
その様な意味で所有されるものの本質とは生命。
支配-制御において漸く可能になる自己同一性を有する物としての生命。」
この一行目の断定がまず完全に見当はずれだった。
「差異と隔たり」とは何の関係もない支離滅裂を書いてしまった。
169:考える名無しさん
14/09/30 19:38:25.52 0
「差異と隔たり」と関係ないし、それ自体としても支離滅裂だった。
170:考える名無しさん
14/09/30 19:39:57.80 0
所有は対象についての支配及び制御を意味する、と突然断定し、次で、その様な意味で所有されるものの本質は生命である、って意味分からんわ。
三行目で少し挽回はできているものの。
171:考える名無しさん
14/09/30 19:47:52.28 0
訂正
個人的には、「差異と隔たり」で提示されている原初的「所有」とは、
人の飢えや渇きといった原初的欠如を満たす為に、その欠如を埋めるものを、
従って後の所有者の実存を越える仕方により自律的に生み出す他なる対象を排他的に、かつ対象の自律性を妨げない最低限の配慮を払って、
しかしその破壊の可能性を身近に留保しつつ、対象を排他的に自己の下に置くときに発生する、と言えると思う。
172:考える名無しさん
14/09/30 19:52:17.25 0
原初的所有とは、自己の原初的欠如を埋めるものを生み出す自己でないものを、その自己でないものの固有のあり方への最低限の配慮をもって、しかし全的破壊の可能性も保ちつつ、自己の意思の下に置く事。
173:考える名無しさん
14/09/30 19:54:32.57 0
ここで原初的欠如とは、人に飢えや渇きといった身体的欲求をもたらすようなもの。
体温調節を行うに当たって、暖かさを生み出す太陽は自己同一性を保ちつつ欠如を埋めるものであるが、その全的破壊の可能性を保持し得ないので所有は出来ない。
174:考える名無しさん
14/09/30 19:55:43.78 0
この全的破壊とはつまり死だ。
175:考える名無しさん
14/09/30 19:56:20.53 0
自己の欠如から見出される他者の死。
176:考える名無しさん
14/09/30 20:03:15.26 0
所有していないものを、所有していない人間が破壊するのは恐らく許されない。
つまり、所有していないものを破壊してはならない、しかしこれは所有が成立すれば、その所有物の破壊は許されてしまう。
あるいは、何者かの本質を毀損するような仕方で関係するならば、それはそのものを幾分か所有しているという事になる。
また、所有は偶発的であり、無根拠である。
177:考える名無しさん
14/09/30 20:04:27.45 0
在特会のヘイターたちは、在日韓国人を幾分か所有してしまっている。
178:考える名無しさん
14/09/30 20:05:49.37 0
ほんとうに熊野氏がそんなイミフなことを書き連ねているのか
179:考える名無しさん
14/09/30 20:06:40.54 0
どこがイミフですか?
180:考える名無しさん
14/09/30 20:08:10.73 0
所有対象は自己の欠如を自律的に生み出すものである、という意味で生命であると言われていると思うのですが。
181:考える名無しさん
14/09/30 20:08:51.94 0
×という意味で生命であると
○他なるものであり、かつ生命であると
182:考える名無しさん
14/09/30 20:13:06.97 0
ここから自己の生命を所有する事は可能かという風になると思うんだな。
自己の欠如を自己の生命が補完する事は可能か。
183:182
14/09/30 20:18:27.62 0
悪いこれは取りけし。
184:182
14/09/30 20:32:04.49 0
所有は対象への愛憎を共に許容する。
185:182
14/09/30 20:52:40.74 0
「所有していないものを、所有していない人間が破壊するのは恐らく許されない。」
こういう事は書かないほうが良かったな。
186:考える名無しさん
14/09/30 21:29:36.82 0
かわいい哲女と知り合いになれる研究会おしえて
ネット読者会なんて出会いがないんだもん意味無いだろ
187:考える名無しさん
14/09/30 22:48:00.97 0
また脱線した。
場当たりで集中力持続力ゼロ。
188:考える名無しさん
14/09/30 23:24:50.63 0
>>186
ハイデッガー研究会があるじゃない。9月は6日に立教大学で研究会
があったらしいよ。あそこは一般参加可能で無料。研究論文をプリント
して配り朗読し討論したり翻訳発表したりしている。
数年前は日にもよるが10人~20人の研究者が少人数土曜日や日曜日
に教室に集まりやっていた。集まっているのはハイデッガー翻訳した
り共同や単独で研究本を出している人ばかりだし翻訳研究者の姿を
間近に見れるし同席するのだから討論参加も無論できる。
専用サイトには12月は13~14日東京ドイツ文化センター図書館
(東京都港区赤坂7-5-56)で講演会/ワークショップを開くと書いて
ある。2014年3月ドイツで刊行されたハイデッガーの謎の哲学手記
について研究発表するらしい。
私も行ったことはあるが女性研究者も数名参加していたよ。
「可愛い哲女」かどうかは見てみれば分かるんじゃない?(笑)
ハイデガー研究会サイト
「ハイデガー研究会は、ハイデガー哲学に関心を持つ人のための共同
の討議の場所です。」
URLリンク(heidegger.exblog.jp)
189:考える名無しさん
14/10/01 09:20:57.22 0
熊野の所有概念がどうとか、差異や隔たりがどういう意味だとかいった学問かぶれな話は好かないな。
大学の哲学が「哲学学」だと揶揄されるように、学問かぶれはまるで重箱の隅をつつくようなことしかしないんだよな。
それよりも熊野純彦の文学性について語った方が有意義だと思う。例えば、熊野と吉本、柄谷との関係とかさ。
190:考える名無しさん
14/10/01 09:43:54.79 0
著者が提起する中心的な考え方について議論するのが、著者に対して最も誠実な姿勢を示すことになる。
191:考える名無しさん
14/10/01 10:02:33.94 0
>>189
板違い
192:考える名無しさん
14/10/01 11:11:05.94 0
>>191
なんで?
193:考える名無しさん
14/10/01 11:41:22.65 0
>>192
学問じゃない文芸評論でしょ。しかも critical でなくエンタメ系の噂話みたいな
それは板違いでしょ
194:考える名無しさん
14/10/01 11:47:16.51 0
>>193
大学哲学への批判は十分に哲学だよ。
哲学研究者の文学性、という話も哲学の範疇。
哲学なんて、そんなに狭いものじゃないだろ?
なにより、熊野氏自身が資本論という経済学の本について語っているくらいなんだからw
195:考える名無しさん
14/10/01 12:06:30.29 0
熊野はアカデミックの外にある言論空間を意識しているとしか思えないんだが。群像新人評論賞の選考委員なんて引き受けたことが何よりの証拠だ。明らかに柄谷の息がかかっている。
196:考える名無しさん
14/10/01 13:11:16.06 0
その是非はともかく、ここで感想とか語られてもなあ
それじゃ、まさに糞壺
197:考える名無しさん
14/10/01 13:22:03.92 0
熊野純彦には、通常の意味で人格があるのかどうかすら疑わしい
法人格を人格とするのなら、熊野純彦にも人格があるのだろうけど。
だから、熊野純彦個人について話題にするより、著作で提示される
考え方を議論する方がいい。
198:考える名無しさん
14/10/01 13:29:06.86 0
>>196-197
人間というのは、世界-内-存在、だぜw
199:考える名無しさん
14/10/01 13:40:50.62 0
熊野純彦は一連の活動に与えられた名称
200:考える名無しさん
14/10/01 15:53:27.34 0
>>199
世界-内-存在、の否定にはならない。
201:考える名無しさん
14/10/01 16:26:14.52 0
熊野純彦には肉体がない
肉体があるのは、熊野純彦のプレゼンター
熊野純彦のプレゼンターには熊野純彦の人格がない
202:考える名無しさん
14/10/01 17:00:42.30 0
>>201
肉体のない言葉はない。
表現された言葉は、誰かの言葉だ。
203:考える名無しさん
14/10/01 20:21:56.78 0
「講壇哲学への対抗」なんていう日本では何の意味ももたない幻想に
自らのアイデンティティを見つけているバカがまだいることに驚かざるを得ない
204:考える名無しさん
14/10/01 20:57:45.53 0
>>203
「講壇哲学」に「自らのアイデンティティを見つけているバカがまだいること」には別に驚かないが、確かに日本的だなw
205:考える名無しさん
14/10/02 01:22:41.29 0
熊野純彦プロジェクトという発想は実に興味深い。プレゼンターは熊野純彦そのものではないにもかかわらず、大学当局はそれを容認したうえで、熊野純彦という人格を認めていることになる。
206:考える名無しさん
14/10/02 10:15:27.38 0
熊野純彦先生を哲学学の範疇に押し止めようとする態度は許せない。先生は最高学府で先陣切ってアカデミズム的な職業哲学に問題提起をなさっておられるのだ。熊野先生は現代のソクラテスと言っても過言ではないな。
207:考える名無しさん
14/10/02 10:23:35.39 0
アカデミズムの中心にいながらアカデミズムを批判する立ち位置にいるという矛盾。しかしこの矛盾を一手に引き受けるという態度は、ヘーゲル的、あるいは西田的であり、驚嘆に値すると言わざるをえない。
208:考える名無しさん
14/10/02 11:07:32.89 0
せっかく熊野純彦氏の著作の内容の議論が始まったのに、すぐに話を逸らそうとする
人間が常駐している。内容の説明に誤りがあるなら、直接に引用して正せばいい
だけなんだし、何ページも大量の内容をコピペするわけじゃあるまいし、内容が
議論されて著作の販売に差し障りがあるはずもない。熊野純彦氏が人格として
実在していようと、していまいと、著作の内容が一般人に公の場で議論される
ことは喜ぶべきことだろうにね。
209:考える名無しさん
14/10/02 11:27:49.86 0
内容の話なんかしてもつまらん。ここは2chなんだし、評論ネタで盛り上がってればいい。
テクスト解釈について真面目に議論したいのであれば、直接大学院にでも入ってそこでやれ。
210:考える名無しさん
14/10/02 11:31:34.33 0
それが哲学徒のとるべき態度ですか?
熊野純彦氏に人格があろうとなかろうと、そのような狭量な人間を
「熊野純彦」と呼ばれる一連の活動が周囲にひきよせるとしたら、
それは悲しむべきことでしょう。
211:考える名無しさん
14/10/02 11:39:38.47 0
>>209
それこそ板違い
テキストに依れ、妄想いらん
212:考える名無しさん
14/10/02 12:26:13.05 0
>>211
テキストの中に哲学がある?
まさかね。
213:考える名無しさん
14/10/02 12:50:37.80 0
>>209
>内容の話なんかしてもつまらん
自分で噂話とか妄想評論しか興味ないって言ってるようにアナタは哲学に興味ないんだよね~
哲学に関するワイドショー、ゴシップネタに興味があるだけで、
それってスポーツ新聞読んでるのと五十歩百歩
214:考える名無しさん
14/10/02 20:52:27.74 0
「特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、(略)組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むべき」
『「国立大学法人の組織及び業務全般の見直しに関する視点」について(案)』国立大学法人評価委員会総会(第48回)H26.8.4
熊野氏は、自分の理念と職場の存続をかけた戦いを構築するのだろうか?
215:考える名無しさん
14/10/02 21:29:28.93 0
>>189
確かに熊野の著作は散文詩の様相を呈することがある。
哲学の実践的公共性を考えると、彼の文学性を考えたほうが
面白いかもしれない。
216:考える名無しさん
14/10/02 23:05:53.69 0
評論なんて言ってる人なんてニューアカブーム時代に青春を謳歌したおっさんなんだからほっとこうぜ。
どうせ昔を懐かしんで暴れてるだけなんだろ。若い俺らはテキスト解釈に勤しむべき。
217:考える名無しさん
14/10/02 23:09:24.28 0
>>216
テキスト解釈なんかやってると、学科自体がなくなっちゃうかも。
社会的要請がないからw
218:考える名無しさん
14/10/02 23:17:12.68 0
テキスト解釈だけやってても東大文学部はなくならないだろう。
評論の類は三流私大に任せておけばいいし。
219:考える名無しさん
14/10/02 23:20:44.44 0
>>218
国立大学の改革だよ?
国立大学は、不人気の文系学科は廃止だってさ。
220:考える名無しさん
14/10/02 23:44:28.86 0
ゴミコラムのどこに文学性だよw
文学わかってないんだな
221:∴ヴォルデモート卿
14/10/02 23:46:29.31 0
>>216 ニューアカとかポストモダンって、ドゥルーズとか
すっ飛ばしてると思うんだよな。。
千プラの日本語訳出たのも、90年代入ってからじゃなかったかな。
222:考える名無しさん
14/10/03 00:22:58.43 0
>>218
こういうやつらが政治力ないからマジで潰されかねないんじゃないか
223:考える名無しさん
14/10/03 00:29:39.22 0
外国の学問は駒場に任せておけばいいんじゃないかな
よめるだけで語学に不自由なサル山専門家は
熊野が最後でいいよ
224:考える名無しさん
14/10/03 09:24:01.00 0
熊野純彦の文章から哲学しようと考えるのはナンセンス。あの文体は哲学者というより文学者のもので、哲学のテクストに含まれているはずの明晰判明さの欠片もない。
225:考える名無しさん
14/10/03 09:44:51.36 0
哲学をする人間はどんな素材からでも哲学するんですよ?
公衆便所の壁の落書きからさえもね。
226:考える名無しさん
14/10/03 11:23:10.56 0
>>224
ドゥルーズとかデリダも、明晰そのものだと読むんだね?
227:考える名無しさん
14/10/03 17:37:44.40 0
熊野氏のハイデガーへの疑問は、おそらくレヴィナスと共にルーマンを踏まえてのもの。
つまり人の生は偶発的で自己言及的なものであり、そこにおける主体性は受動的なものでしかありえない、無と死からのみ生まれる能動性は違う、という疑問。
この疑問を置いた時に、「存在と時間」におけるハイデガーの実存構造の理論はゲーデル的に見てどう評価されるべきか。
228:考える名無しさん
14/10/03 18:02:17.61 0
「自己言及的」の「自己」の範囲の再検討。
229:考える名無しさん
14/10/03 18:04:26.43 0
人の実存の構造は、専ら自己において閉じる自己言及において見られるべきか、、それとも自己の外の何かを仮の始原として含みうる「自己」言及として見られるべきか。
230:考える名無しさん
14/10/03 21:42:41.92 0
今や中高の先生は中学生や高校生が性的に好きな野郎がなるらしいが、kawaiiガールを求めて先生になりたいのもいるんだろうな。
大学生は十八歳以上だから犯罪にはならないと思うが、なんか学生をネタにオナニーしてそうでキモチ悪い・・
231:考える名無しさん
14/10/03 23:30:50.26 0
先生好きな女子大生は多いし教え子とつきあう哲学者もいるじゃん。
ハイデガー、アドルノ、ドゥルーズ、ラッセル、クワイン、みんな教え子と付き合ってる。
232:考える名無しさん
14/10/04 12:54:22.79 0
>>231
確固たる自分の哲学や思想を確立した世界の個性と、他人の解釈に現を抜かしている哲学文献学者では、比較に無理があるんじゃないか?
とはいえ、教え子というのは先生憧れるものだから、手を出せば引っかかる学生はいるだろう。
233:考える名無しさん
14/10/04 18:11:28.21 0
母性本能くすぐるキャラな感じがあるからモテるんだろうけど、
丸刈りにしたってことは離婚でもしたのかな。
万が一男に走るような状況になったら論文詳らかに読んでやってもいいよ。
234:考える名無しさん
14/10/04 19:39:52.70 0
道具論、被投性等々を知らないのにも関わらず、ハイデガーの無と死から生まれる能動性、なんて口走ってしまった。
当たり前の話だが、実際に読まないと「存在と時間」の何たるかについては、何も分からない。読まずに語る事は人を虚しくする。
これはハイデガーに限らずルーマン、レヴィナスも同様、実際に読まなきゃ何もはじまらない。
読むといってもドイツ語が出来ないから翻無いけど。訳に頼るほか
235:考える名無しさん
14/10/04 19:41:10.70 0
読まずに語ってその虚しさに悩むところからはぬけよう。
236:考える名無しさん
14/10/04 19:42:45.45 0
今日も一日無駄にした。
237:考える名無しさん
14/10/04 19:46:05.09 0
読んで咀嚼しない限りこの虚しさ、自己嫌悪からはぬけられない。
238:考える名無しさん
14/10/04 19:57:52.48 0
事務所移転。
239:考える名無しさん
14/10/04 20:07:10.65 0
現代思想最新号に掲載されている高田氏と財津氏の木田氏についての文章を読むと、
日本の哲学業界がいかにくだらないところかよく分る。哲学とは真逆の権威主義で
ハイデガーの翻訳/解釈に縛りをかけるのは論外だが、木田氏が評価されているのは
業界でそこから逃れる自由を与えてくれたというだけのことだろう。ハイデガーの
「存在と時間」が人間中心主義で失敗したというような馬鹿げた解説を見ると、
訳業で研究の進展に貢献しながら、解説で研究の進展を後退させたと言わざるを
得ない。訳語の選択などでいわば木田氏の仕事を引き継いでいる熊野氏は、この
現状をどのように理解しているだろう。
240:考える名無しさん
14/10/04 20:12:17.19 0
読まずに語る事の虚しさを避けるという事は、何も読了していない現在においては、つまり全く黙るという事だ。
241:考える名無しさん
14/10/04 20:37:34.87 0
無駄というか現状脱出について何かできた事は無かった。
242:考える名無しさん
14/10/04 21:17:28.81 0
弟子の育成に失敗すると、じぶんもネットでバカあつかいされる
243:考える名無しさん
14/10/04 21:18:05.53 0
>>239
根拠はオレちゃんの考え?
244:考える名無しさん
14/10/04 22:12:19.22 0
オレオレ詐欺かよ。オレは何人いるんだ?
245:考える名無しさん
14/10/04 22:29:17.77 0
2ちゃんにいる奴はみんなそのつど俺
これがハイデガー理論です
246:考える名無しさん
14/10/05 01:02:21.28 0
>>239
夜郎自大の妄想だな。オマエの考えなんてオレは知らんw
247:考える名無しさん
14/10/05 01:06:58.61 0
いわれなき講談哲学の蔑視、いわれなき在野蔑視、どちらも知性にとってよくない
248:考える名無しさん
14/10/05 07:16:06.46 0
>>239
>「存在と時間」が人間中心主義で失敗したというような馬鹿げた解説を見る
>と
いや、そこを提起したのが木田さんのいいところでしょう。ハイデガー自身
「哲学への寄与」といい「ヒューマニズム書簡」といい、理性的動物である
ことの故の限界について書き続けている。木田さんの視点が「存在と時間
」をまた読みなおすきっかけを与えてくれた。「ばかげた解説」とは言えない
。長年読み続けてきた彼だったからこそ提起できたことだと思う。
後半の放棄をそこから読みなおす試みもスリリングで面白かった。哲学
を読むことの奥の深さと面白さを教えてくれた人だったと思う。
>哲学とは真逆の権威主義
若い人に翻訳させて細部をネチネチほじくって笑っているのを見たこ
とがある。この人の実力では無理だな、もう何言っても無駄だと分かる瞬間が
あるはずだ。それでもネチネチやるともうイジメか力の誇示にしかならない。
ボクシングでもこれ以上は後遺症が残ると分かる瞬間レフェリーはstopする。
あの場面でニヤニヤ薄笑い浮かべ、目の前の必死な学生(または大学院生?)
を愚弄している「先生」みてて相当歪んでると思ったね。ちなみに
その先生、ハイデガーの翻訳や研究やってて本まで
出してる。書評誌でインタビューされてたこともある。そういう人間がこう
いう見苦しい指導してるのかと思うと、「~研究家」の肩書だけで信用する
もんじゃないと思ったね。ハイデガーもこういう人の人間性を矯正するとこ
ろまではいかないのも良く分かった。
その先生にも言い分があるかもしれないし、一方的にこういう感想出すの
は反則かもしれないが、目の前でみた当事者として発表させてていただく。
あの指導は見苦しかった。
249:考える名無しさん
14/10/05 08:33:29.47 0
>いや、そこを提起したのが木田さんのいいところでしょう。
見解の相違ですね。むろん、ハイデガーの哲学には「人間中心主義」な
様相があり、そのために哲学をしているはずが、いつの間にか思想に
陥ってしまうという罠がある。だが、ハイデガーの存在論の哲学への
貢献は、ハイデガーの思想にあるわけではない。ハイデガーの思想の側
からハイデガーの存在論を読めば、確実に問題の核心を読み誤る。
そのことは、ハイデガーよりはるかに無自覚な「人間中心主義」や
無反省の神学的立場から、ハイデガーの存在論を的外れに批判する人間
がいかに多いかを見れば明白。
250:考える名無しさん
14/10/05 09:36:12.60 0
別に「人間主義的」な観点から批判した訳じゃなく、、そりゃ分かってるけど。
251:考える名無しさん
14/10/05 09:39:38.83 0
ハイデガーがやろうとしているのは、人間についての考察というよりは、形而上学。
その形而上学入門では、存在について問うことと、現存在の実存というものが不可分に結び付いてる。
そういう意味で言えば、存在論と「人間中心主義」はそう簡単には分離しきれない。
252:考える名無しさん
14/10/05 09:48:17.13 0
存在について問うことで初めて、存在者によって構成される世界から脱却し得、学としての形而上学が可能になるという事だろう。
253:考える名無しさん
14/10/05 09:52:37.03 0
つまりは、こういう事は当然理解されている事で、専ら「人間中心主義」的にハイデガーを批判する人は殆どいないだろうと思う。
254:考える名無しさん
14/10/05 09:59:47.35 0
>そういう意味で言えば、存在論と「人間中心主義」はそう簡単には分離しきれない。
その理解が間違っていると思う。存在論を理解することが、即ち「人間中心主義」を脱することだと考える。
255:考える名無しさん
14/10/05 10:01:53.88 0
確かにそう思う。
駄目だこれ以上何も言えない、退場する。
乱入してすまぬ。
256:考える名無しさん
14/10/05 10:02:46.18 0
ここで何かを言おうとすると乱暴になる。
257:考える名無しさん
14/10/05 10:03:36.48 0
>>253
無自覚に「人間中心主義」的に、または無反省に「神学」の立場からハイデガーを批判するひとが大半でしょう。
分析哲学の人間がハイデガーを単にナンセンスとして切り捨てる場合がその典型。
258:考える名無しさん
14/10/05 10:08:40.04 0
一つ疑問としては、存在(の意味)についての問いが答えられた暁には、人間はどう変わるのかという疑問。
存在忘却からの脱却によって、「人間中心主義」を脱却した人間は果たしてどうなるのか。
259:考える名無しさん
14/10/05 10:14:03.23 0
>存在について問うことで初めて、存在者によって構成される世界から脱却し得、学としての形而上学が可能になるという事だろう。
確かに、これはハイデガーの言葉に従うなら、正しい表現でしょう。
ただし、ハイデガーの哲学への貢献を正しく評価しようとするなら、ハイデガーの取り組みは、
「存在と存在者と現存在の関係について問うこと」となるはず。
260:考える名無しさん
14/10/05 10:15:14.88 0
そこにおいて、倫理学はどう変わるのか。
それは変貌するのか、それとも存在の意味を知ったものにとって倫理学は放棄されるのか。
これは必ずしも「人間中心主義」への後退とも思われない。
261:考える名無しさん
14/10/05 10:16:01.99 0
申し訳ない、俺がいても場を乱すだけなので本当に消えます。ごめんなさい。
262:考える名無しさん
14/10/05 10:17:07.90 0
ps
形而上学が成った後にも、以前社会の中で人は生きなければ成らない。
このことについての考察は、神学になってしまうのかどうか。
263:考える名無しさん
14/10/05 10:20:38.06 0
>>258
「存在者によって構成される世界から脱却し」て、「我々」がそれである現存在を
無反省に単に世界の中に存在する「人間」という「存在者」と見なすのではなく、
「世界内存在としての現存在」として反省することができるようになる、ということでは?
264:考える名無しさん
14/10/05 10:21:26.19 0
ps
言い方を変えると「存在と時間」の倫理学という言い方は適当ではないのか、どうか。
「存在と時間」以後に倫理学は可能なのか。不可能だとしたら、形而上学がなった後のそれによる社会とはなんなのか。
265:考える名無しさん
14/10/05 10:22:04.67 0
『形而上学入門』の主題は存在の制圧を支配せむとしながら結局は砕けて
しまう人間にある。平凡社版『形而上学入門』p.289に書いてある。読んで
みるといい。存在によって砕けてしまう人間は「世界」の中心ではない。
「人間中心主義」を、「人間が世界の中心」と言う意味でなら、『形而上学
入門』は「人間中心主義」ではない。
また現存在とは存在が現象する場所の意。でその存在とは自然 physis
として、時間性として《既有的に将来する》。実存は《自己-へと-将来しつ
つ、自己-へと-帰来しつつ、現在化しつつ自己の-外に-有ることの根源的統一
である。》また《根源的時はそれ自身に於いて-これは時熟の本質であるが-
自らの外に有る。》根源的時は主体の外部にあり主体は浸食されていく。
引用はいずれも創文社版全集24巻『現象学の根本諸問題』p.387にある。
《根源的時は、このような自らの-外にそれ自身である。》
なので現存在とは人間である、という場合、その場合、人間は存在の
現象に浸食されていくものである。理性的動物としての人間概念はここでは
変わってしまう。>>251の言葉を借りれば、ハイデガー存在論に於いては
人間中心主義は破壊されてしまう。
266:考える名無しさん
14/10/05 10:24:14.61 0
>>263
そこにおいて、他者の死とは何か、その事について考える余地を、「存在と時間」は残しているか、そういう面から批判的に倫理の観点から敢えて「存在と時間」を読み直すというやり方は、必ずしもハイデガーの無理解に基づくものではないのではないかという気もする。
267:考える名無しさん
14/10/05 10:26:56.21 0
>>265
人間中心主義を克服した後に、成功した存在論に基づく倫理学は可能なのでしょうか。それとももうそういうものは不必要なのか。更には不可能なのか。
そこが重要な気がする。
268:考える名無しさん
14/10/05 10:29:49.56 0
>自己-へと-帰来しつつ、現在化しつつ自己の-外に-有ることの根源的統一
>である。》また《根源的時はそれ自身に於いて-これは時熟の本質であるが-
>自らの外に有る。》根源的時は主体の外部にあり主体は浸食されていく。
ようするに現存在は、実存する、つまり、ex-ist。
ハイデガーは、先行する哲学者をかなり過小評価するきらいがあるが、
フィヒテを大きく乗り越えているわけではない。
269:考える名無しさん
14/10/05 10:30:50.81 0
存在者としての他者の意味ではなく、他社の死また他者の存在の意味というのは重要な気がする。
270:考える名無しさん
14/10/05 10:35:38.38 0
ここでの自分の倫理学観は、イデアの追求と言った美学的なものではなく、
熊野「差異と隔たり」の、「関係の懐胎こそが、根源的な意味での倫理なのである。」という倫理学観によっています。
これは神学的と言っていいのかどうか。
271:考える名無しさん
14/10/05 10:37:07.48 0
ハイデガーの哲学は、カントやアリストテレスとの関係で検討されることが多いが、
倫理や社会との関係で考えるなら、むしろ、フィヒテの問題意識などと関係づけて
再検討することは避けて通れないと思うけどね。国家、近代、権力、宗教、
「反ユダヤ主義」等の問題に関連づけてね。
272:考える名無しさん
14/10/05 10:39:27.77 0
熊野「差異と隔たり」の、「関係の懐胎こそが、根源的な意味での倫理なのである。」という倫理観によっています。
そこにおいては、存在者としての他者の意味ではなく、他者の存在の意味というものがやはり問題になる。
273:考える名無しさん
14/10/05 10:41:30.38 0
存在は自己のものであり、他者の存在というものはありえないのかどうか。
274:考える名無しさん
14/10/05 10:44:27.89 0
>「関係の懐胎こそが、根源的な意味での倫理なのである。」
関係の懐胎=異化なんですよ。
クラゲの自己複製(無性生殖)と有性生殖を隠喩として用いることもできるでしょう。
275:考える名無しさん
14/10/05 10:49:46.32 0
>>274
無性生殖は自己同化に、有性生殖はコミュニケーションに繋がりそうですね。。
これで言いたいことはほぼ言い切ったので消えます。
276:考える名無しさん
14/10/05 11:02:24.33 0
「関係の懐胎こそが、根源的な意味での倫理なのである」という命題の
根拠が不明ですね。ただこの1文だけ出されても普遍性は乏しい。ならば
「関係の破壊こそが根源的な倫理なのである」と言う人が出ても何も言えな
い。
まだ熊野氏の理解できなかったハイデッガーの「利己的と利他的とを可能
にする制約」としての現有の実存、という方が有 sein の時間性や自然
に即している。ハイデッガー的有のリアリティと同じリアリティを持って
いる。
結局左翼的倫理と存在論の折衷ということくらいしか熊野氏の命題からは
出てはこないでしょう。彼がレヴィナスを持ち上げるのもそこからでしょう
し、その辺の背景は透けてみえますけどね。
ただ思想の普遍性という点からみれば乏しいと思いますね。
277:考える名無しさん
14/10/05 11:13:58.93 0
言いたいことはまあ、ある程度、理解できるし、同意する部分もある。
でも、「有」は、党派性と強く感じさせてキモいね。
「現存在」という訳語も絶対的だとも、かならずしもいい訳語だとも
思わないが、さすがに「現有」はないわ。
278:考える名無しさん
14/10/05 11:17:00.27 0
>ならば「関係の破壊こそが根源的な倫理なのである」と言う人が出ても何も言えない。
ロジックが無い。
279:考える名無しさん
14/10/05 11:18:13.17 0
相手にロジックが無い、と言える。
その直後、自分は無言で破壊されるかもしれないが。
280:考える名無しさん
14/10/05 11:23:46.23 0
有か存在か。という辺りに拘っているのはある年代以上でしょう。創文社版
全集で読んできた世代にとっては有は異和感はないと思う。もちろん存在にも
ない。こだわっているのは大学や派閥に入っている人間でしょう。こういう
問題にこだわっていることも大学人の特徴でしょうね。外部にとっては
一向に重大な問題ではない。
著書で有を批判していた人間もいるが、存在だって相当分からん。この板
でハイデッガーを語ってる人間の話読んでるだけでいかに分かりにくいか
察することができる。存在という語でも有でも分からんものは分からん(笑)と
いう単純明快な事実があるわけ。
281:考える名無しさん
14/10/05 11:26:48.48 0
有って存在の事だったのか。
現有って現存在の事だったのか。
282:考える名無しさん
14/10/05 11:40:45.34 0
自然な日本語を心がけるなら、「現存在」は、我々がそれであるところもものなの
だから、「有る」や「存在する」というより、「いる」の方が普通なんですよ。
古語なら、「有る」が「いる」を包含していたから、「有る」でもいいんだけど。
「存在者」については、ハイデガーがあれほど「道具性」に拘っているのだから、
普通に考えれば、「有る」でしょう。まあ、現存在も存在者として存在するのだから、
「存在する」や「有る」に統一したいということになるのだろうけど。
でも、ここらへんの困難を安易に訳語の統一で誤魔化さずに考えることが、
哲学をすることになる。
283:考える名無しさん
14/10/05 13:14:20.83 0
>>280
わからないことをわからないと言うのは、哲学の世界ではタブーだ。
ウィトゲンシュタインだって全部わかるわけでもない。
わからないことはわかるまで考えるか、わかった振りができるまで自分をごまかすかのどちらかが正当な哲学者だ。
わかったところで、たいしたことを言ってるわけじゃなかったりすることがほとんどだから。
284:考える名無しさん
14/10/05 16:45:48.69 0
有 sein と訳した張本人 辻村公一って2010年に亡くなってたのね。遅れ
ばせながら謹んでご冥福をお祈りさせていただきます。
未だに辻村が訳したハイデッガー本読んでて、高齢のこととか頭になかっ
た。享年88歳だったようだ。初めて読んだ『Sein und Zeit』が河出書房
世界の大思想版で辻村の翻訳だった。その時から有 sein で訳しててそれに
異和感なく入って行けた。>>281の言う通り現有 Dasein な訳だ。それが
創文社版全集でも踏襲されている。
>>283
>わからないことをわからないと言うのは、哲学の世界ではタブーだ。
>わからないことはわかるまで考えるか、わかった振りができるまで
>自分をごまかすかのどちらかが正当な哲学者だ。
本が分からないならどこがどういう風に分からないかを自覚し、そこを
自分で格闘すること。具体的には著者の提出したがっている論理や存在イメ
ージをとにかく想像すること。それを納得いくまで続ける。それしかない。
一番良くないのは「分からないのは恥だから分かった振りしてよう」などと
先回りし、ハッタリしてしまうことだよ。2ch.にもよくいるみたいだが、
そんなことしても何度かレス交わすうちにきちんと読書してる人間にはばれ
てしまう。
>>283のハッタリの奨めって一体何?誰の影響?(笑)
285:考える名無しさん
14/10/05 16:52:46.04 0
>>284
評論でいう「哲学」って考えれば、スッキリ納得できる
286:考える名無しさん
14/10/05 17:02:38.46 0
>>284
丁寧なレスありがとう。
よく、哲学の訳書には解説がついてる。
その解説でも、わかって書いてる人はむしろ少ないとしか思えない。
正直な人は、自分にはよくわからない、とちゃんと書いている。
自分でわかったつもりになるのと、わかった振りをすることに、そんなに大きな差はないと思うよ。
「自分で格闘すること」なんて格好のいいこと言ってること自体が、「わかった振り」と同じことじゃないかな。
きちんと読書してる(つもりの)人間が、最もわかってない人間、ということはよくあることだ。
カニは自分の甲羅に合わせて穴を掘る、というのは一人で読書しようと、研究室で討議しようと、同じことだよ。
287:考える名無しさん
14/10/05 19:02:03.41 0
よく分らなくても、一応、保留付きで分かったかのように受け入れて、
読み進めるのは重要だと思うね。よくいるタイプは、自分が分ること
と分らないことを選別して、分らないことは完全に拒絶して、
切り捨てる人間。そういうタイプの人間が中間管理職的な地位に
ついて権限を与えられると最悪。上からの指示は理解できなくても
盲従して上意下達、下からの提言は、自分が理解できなければ、
罵詈雑言を浴びせて、上の人間に理解できないことを提示するとは
とんでもない不届き者だということになる。
288:考える名無しさん
14/10/05 19:07:32.08 0
>>285ハッタリはツイッター哲学ナンパで効果大
ツイッターは自分を賢くみせたい連中のためのビジネスだ
289:考える名無しさん
14/10/05 20:48:38.26 0
>>286
「分かった」自意識というのは他人から見て「それは分かったつもり
でしかない」となる可能性はいつもある。
ところで「分かった振り」となると、「分かった」という自意識
は必要ない。
両者は「分かった」という意識の有無で違う。
前者にはハッタリは含まれてはいない。ただ「分かった」ということ
で読み方を開陳することで批判にさらされて行く。そこで結局は
「分かったつもりでしかない」ことが本人に分かるかもしれない。
後者では「分かった」という意識さえないまま「分かっている振り」
がされることになる。
「振り」というのは自発的な虚言や演技を意味する。両者を一緒に
はできない。
自身が「分かった」という意識が持てるまで。それさえ非常な労力
と想像力が必要であって、そこには「自分で格闘すること」が必須な
場合がある。それでさえ最終的に無理解が明らかになる可能性はいつも
ある。しかしそこで無理解が明らかになるとしても、それは「分かった
振り」とは明らかに違う。装いや演技は入っては来ていないからだ。
貴方は対他によって無理解が明らかになる場合と、最初から無理解
が意図的に隠匿され外見だけ装われている場合とを混同している。
だから両者が同じなどと言えるのだよ。
290:考える名無しさん
14/10/05 21:10:38.82 0
>>289
人間の心理を単純化してはいけない。
人間には、努力をしたから成果があるはずだ、という思い込みも、自分は理解力があるので簡単に理解できる、という思い込みもある。
どちらも「分かった」という気持ちを持つことに変わりはない。
そして、どちらも「分かってた振り」をしているに過ぎないともいえる。
「振り」に限らず、自覚というのは、あいまいなものだ。
実生活での「虚言や演技」は、自覚なしになされていることがほとんどだ。
なにより、「分かったつもり」でも「分かった振り」でも、中身に差はない。
「分かった振り」から、新たな視点が獲得されることすらある。
まして、相手が「分かった振り」だと決めつけようとする「分かったつもり」では、誤謬の固定化しか残らない。
291:考える名無しさん
14/10/05 21:15:29.20 0
私は、>>286ではないけど、芸でも学でも何かを修得しようとするならば、
「できる振り」をするのは必要でしょうね。確か、本居宣長もそいう趣旨
のことを言っていたと思う。最初は形を真似ているだけなので、できる
振りをしていることになるが、繰り返しているうちに体得すれば、振り
をしていることが意識から消える。それが芸や学が身に付くということ。
ところが、身に付いたと思っているうちに、長いこと経つと再び違和感が
出てくることになる。状況と自身の関係は流動的だからね。そこで
また基礎を再構築することになる。その繰り返しですよ。
292:考える名無しさん
14/10/05 21:48:10.35 0
>>290
自分で「この本が分かった」意識に「振り」はない。
「分かった振り」には自ら装い虚偽する意識が入っている。
こと読書に関する限り「分かった振り」と単に「分かった」という
意識は虚偽の意識・作為が含有されるか否かで決定的に異なる。これは
内的な倫理、対他的モラルの問題だ。
この場合、作為が為される意識は分かるが貴方に拠れば作為の
無意識もあるということらしい。それを自己欺瞞というのだよ。
貴方は「分かった」という気持ちと「分かった振り」を同じとしてい
るが、私的経験から言って「分かった」という意識がない「分かった
振り」など軽蔑するしかないし「振り」などしたことはない。
貴方は実生活での虚言や演技は自覚なしにしばしばなされると言うが
貴方にとって虚言や演技とはその程度の
ものであって、相手に対するモラル、内的な倫理は稀薄だと貴方が
白状したも同じだよ。そういう恥ずかしいことを何故言うのか
よく分からないが。「知らずに嘘をついていた」となどという人間
は日常的に自己欺瞞をしているのと同じことさ。分かっているのか?
293:考える名無しさん
14/10/05 21:58:13.04 0
>>291
ギターの難しいフレーズが「弾ける振り」をし、実際に音が出せた
のならそれは「弾けた」ということ。セザンヌの絵画を「描ける振り
」をし、実際に再現できたなら「描けた」ということです。芸は
その辺は単純です。「振り」というのはこの場合実践的なものを
意味する。「振り」そのものが目的であり、よってそこに「振り」を
することの倫理やモラルは関係ない。思考の把握と芸の上達とは
「振り」の必要性で違う。
294:考える名無しさん
14/10/05 23:51:19.66 0
親密な理解というのは、抜け出しがたい穴に陥りがちですよ。
たとえば、自分の子供については、自分が苦労して育ててきたの
だから、赤の他人より自分の方がはるかによく理解していると
確信している親が世の中ではほとんどでしょう。だから、
自分の子供が発するメッセージは、自分が他人よりも絶対に
よく分っているはずだと思い込む。ところが、まさにその親密な
関係のために、他人には外から容易に分ることがまるで見えなく
なってしまう。しかも、見えてないことを他人から指摘されても
絶対にそれを受け入れることができなくなってしまう。
295:考える名無しさん
14/10/06 00:09:21.72 0
私はそういう本人が「分っている」と揺るぎなく確信した無理解というものを、
自分の母親と兄の関係から知っている。互いに交わす「言葉の意味」をそれぞれが
よく「分って」いたが、それでいて、その言葉や態度が相手にどう受け止められて
いるのかを互いにまるで理解していなかった。互いの関係を第三者の立場から見る
ことができない人に言葉で何を指摘しても、その指摘はその人を逆上させること
にしかならない。テキストを親密に「分っている」人も同じような罠に陥る
可能性には常に警戒しなければならないでしょう。
296:考える名無しさん
14/10/06 00:32:03.94 0
哲学の歩みにおいて「分った」という確信は、最も警戒すべき状態でしょう。
自分が「分った」と感じたときには、「自分は分ったつもりになった」と
常に思い直したほうがいい。「分ってしまった」のに「分らない振り」をする
のは不誠実な態度ですが、「分ったつもりでいる」ことを意識するのは、
謙虚さというものですよ。
297:考える名無しさん
14/10/06 00:55:18.30 0
>セザンヌの絵画を「描ける振り」をし、実際に再現できたなら「描けた」ということです。
いや、セザンヌの振りをして、セザンヌの絵画を偽造したことにしかならないですよ。
セザンヌの技法を真似して、誰が見てもセザンヌが描いたとしか思えないような絵画
を創作できたなら初めて、セザンヌの技法を盗んで修得した、つまり、自分のものと
したことになる。
298:考える名無しさん
14/10/06 06:27:04.52 0
テキストをよく分からないにもかかわらず「分かった振り」していくことの
作為・虚偽・不誠実について私は俎上に上げており、よって内的な倫理・
対他的モラルと言っている。
無作為な虚言というのは言葉の矛盾であり、無作為とは即自的な存在。
虚言とは対自的な存在。そこで自己欺瞞が入っているか、でなければ虚言症
すなわち病んでいるのか。どちらかしかない。
分かったつもりが実は良く分かってはいなかった…などはあり得ること
で反論はない。またその問題には内的な倫理や対他的モラルは関わっては
こない。関わっては来ないので私の言う問題ではない。ごっちゃにしては
いけない。
299:考える名無しさん
14/10/06 07:51:17.48 0
では、日本人が相手の話を聞きながら頷くことや、投げかけられた質問に
対して「はい」で応えることをあなたはどう理解しているのでしょうか。
分っていなくても頷き、質問に肯定的な答えを与える意図がなくても
「はい」と答える慣習をもってして、日本人は表層的に相手に合わせる
ことにばかり気を使って、「作為・虚偽・不誠実」で「対他的モラル」
がないと考える欧米の人間は多い。あなたの主張はそいう「対他的モラル」
に基づいているように私には見える。ところが、そのような「対他的モラル」
論は、まさにハイデガーの相互共存在(Miteinandersein)の対極にある
ように聞こえる。あなたは自らの言葉が相手に与える、振幅のない、
狭量な印象を「分って」いるのでしょうか。
300:考える名無しさん
14/10/06 09:28:33.11 0
すげー狭量な問い詰めw