14/10/19 01:56:04.79 0
>>760
>そうすると、C君主義者(?)との議論とは全然別に、懐疑主義者(?)の批判は
>成り立ちうるのであって、つまり私・今・存在あたりに関する議論と規則の
>パラドックス的な議論とは、別の問題ということになるのでは。
そういうことなら
別の問題ではという点ではそのとおり(別の問題だ)ということでいいと思うよ。
>>750
で書いた通り、
”クリプキの、私的言語の問題は規則順守の問題の系にすぎないという
解釈に対する永井の批判”
が『ウィトゲンシュタインの<感覚>とクリプキの<事実>』の趣旨だから、
私的言語の問題は、規則順守の問題の系だけではおさまらない別の論点を持っているという
のが永井の主張であり、その規則順守の系とは別の論点が
”私・今・存在あたりに関する議論”に関係するものだという理解のしかた
でいいと思うけど。
766:おっちゃん
14/10/19 01:59:56.19 0
ひょっとして、>>749の
>『W入門』の私的言語に関する部分
(規則順守問題)について
>これはそもそも、 私的言語という問題とどのように関わるんだろうか?
という疑問は
”永井が問題にしている私的言語”の問題とどのように
関わるのかという疑問だったのかな。
つまり、規則順守の問題が私的言語の問題に関係することは理解した上で
それが永井が問題にしている私的言語(私・今・存在あたりに関する議論)
とどう関係するのかがわからないという疑問だったのだろうか。
だとしたらずいぶん蛇足的説明をしてしまったことになる。
767:考える名無しさん
14/10/19 08:49:44.71 0
今後のさらなる蛇足はチラ裏ブログでお願いします
768:考える名無しさん
14/10/19 11:39:36.78 O
>>1を「スレタイ」と呼ぶほどの意味不明な発言をする人との間では、
ひょっとして共通の言語が成立していない可能性があるかもなw
「自己言及のパラドックス」というのも、実際には何を指してるのか
分かったもんではないw
769:考える名無しさん
14/10/19 14:36:11.28 0
>>768
というmy解釈にしたいという哲学がスレタイの示すところだよね。
共通言語と私的言語って集合論的にどうよ? ってねw
770:sage
14/10/19 17:17:27.10 0
自己言及が集合論特有の用語だと偏見をもっているお馬鹿な人たち以外には
永井の主張が自己言及のパラドクスなのは明白そのもの。
771:考える名無しさん
14/10/19 17:56:49.61 0
>>770
おばかではなさそうだから尋ねてもいいかな?
君の言う永井の自己言及のパラドクスを示す端的な表現って何?
そして、永井はそれについてどのような解決調停を与えたの?
772:sage
14/10/19 18:13:29.51 0
少しは自分で考え給え。
永井は何について語っているのかね?
それにパラドクスと聞けば解決調停しなければならないという思い込みも
勘弁してほしいものだ。
773:考える名無しさん
14/10/19 18:28:39.15 0
>>772
ええと、予期していたとはいえ、
ワーストアンサーなのでがっかりです。
774:sage
14/10/19 19:49:42.63 0
質問したら1から10まで教えてもらえると思い込んでいるのは困った
ものだ。
よっぽど甘やかされて育ったのだろうな。
永井の独我論が語ろうとしていることと、その帰結を理解できれば
あとは自明のこと。
質問なぞするまでもない。
775:考える名無しさん
14/10/19 20:26:02.57 0
>>772
レアリテート(可能性)とアクトゥアリテート(現実性)だろ
776:sage
14/10/19 20:45:42.58 0
>>775
考えすぎだな。
もっと素直に考えたまえ。
まあ、ひっぱりすぎてもかわいそうだからここらで答えを教えてあげると
しよう。
永井は、このわたし(自分)について語ることによって、このわたし(自分)について語る
ことができないことを示した。
これを自己言及のパラドクスと呼ぶ。
論争の余地がないほど明白なことですな。
質問するまでもないことがわかっただろう。
777:考える名無しさん
14/10/19 21:08:32.31 0
自己言及のパラドックスのようには問えないのはなぜかが永井の問題意識であってさ
778:考える名無しさん
14/10/19 21:08:46.28 0
>>776
何年前の話?
言語で語れないってのは押さえた上で、
言語機構と対立し、かつ言語を成立に導いた言語外のそいつは何物か、ってのが主題だろ?
779:sage
14/10/19 21:20:58.63 0
>>777
>>778
だから?
わたしは単に永井の主張は自己言及のパラドクスだと主張しただけで、
現在の永井の主題がどうたらなんて一言も言ってないが。(笑)
780:考える名無しさん
14/10/19 21:51:06.93 0
>>779
だからって言われても困る
>永井の主張は自己言及のパラドクス
ではないってことです
781:sage
14/10/19 22:01:30.65 0
>>780
ほう?
このわたし(自分)について語ることによって、このわたし(自分)について語る
ことができないことを示した。
というのは永井の主張ではないということかね?
それとも
このわたし(自分)について語ることによって、このわたし(自分)について語る
ことができないことを示した。
というのが自己言及のパラドクスではないということかね?
782:sage
14/10/19 22:04:11.89 0
まさか、現在の永井の主題が
>言語機構と対立し、かつ言語を成立に導いた言語外のそいつは何物か
ということだから、
過去に永井がかたったことは永井の主張ではないというわけではあるまいな。
783:考える名無しさん
14/10/19 22:05:35.43 0
>>781
下だね
784:sage
14/10/19 22:26:06.10 0
>>783
なら
>>777
>>778
は関係ないんじゃん。(笑)
このわたし(自分)について語ることによって、このわたし(自分)について語る
ことができないことを示した。
ことがなぜ自己言及のパラドクスなのかまず説明しよう。
自己とは文字通り自分=私のことであり、
言及とはそれについて語るという意味であるから
わたしについて語ることを自己言及と呼ぶのは辞書的意味において
正当である。
つぎにパラドクスであるが、これは逆説の意であるから
わたしについて語っているにもかかわらず実はわたしについてだけは
かたれていないという主張はまさに逆説の意にふさわしいものとして
これをパラドクスと呼ぶことに不当はないと判断し、
これを自己言及のパラドクスと呼んだ。
ではこれが自己言及のパラドクスではない理由を説明してもらおうか。
785:考える名無しさん
14/10/20 02:38:40.84 0
命題Aはパラドックスである。
という命題Aを語る命題Bは定言命題であるからパラドックスではない。