14/10/01 16:02:30.46 0
>>790
なんで?
デリダの特徴じゃないの?
792:はじめ
14/10/01 16:27:35.61 0
「声と現象」は壮大な勘違いの書。
しかしポストモダンの虚無的文学には相応の価値がある。それは認めるけど。
793:考える名無しさん
14/10/02 07:59:24.71 0
ed. azert @editions_azert · 13時間 13時間前
近刊。ジャック・デリダ『哲学への権利 1』西山雄二訳、みすず書房、 2014
年12月22日発行予定、A5判330頁、5,500円+税。
URLリンク(www.msz.co.jp)
Shigeo Hayashiさんがリツイート
悪漢と密偵 @BaddieBeagle · 15時間 15時間前
"狼、狐、獅子、子羊、蛇、鷲……多種多様な動物をとりあげながら、獣と主
権者の古典的対立を脱構築的に読みかえ、伝統的な規定を問いなおしてゆく。
著者晩年の政治=哲学的思索の白眉":ジャック・デリダ/西山雄二『獣と主
権者Ⅰ』 URLリンク(comingbook.honzuki.jp) …
794:考える名無しさん
14/10/02 09:21:19.18 0
差延というのも、要するに「構造」だろ。
デリやドゥルがデコンストラクションやディファレンスその他などの
語において英語、フランス語やその他の欧州や近東の言語の語源を探り、
それらの間の意味の微妙な差を梃子にして、欧州言語の体系に揺さぶり
をいれ、英語文化の相対化をしたことは良いことだったと思う。
だが、ざっくり言って、もう終わった思想だろ。
少なくともデリやドゥルの本はもう売れない。
795:はじめ
14/10/02 12:26:53.02 0
デリダの大きな間違いはフッサールの知覚直観、本質直観さえ構成されたものとして
勘違いしていることだ。
796:考える名無しさん
14/10/02 17:19:07.01 0
解体することが構築すること
797:考える名無しさん
14/10/04 12:28:06.90 0
デリダの最高講義がくるか
798:考える名無しさん
14/10/04 12:59:54.11 0
>>797
なんつーの?
799:考える名無しさん
14/10/04 14:30:56.69 0
デリダは胡散臭さと正当な感じが絶妙に混じっていて困惑する
俺みたいな一般人に判断は不可能だな
800:考える名無しさん
14/10/05 23:19:58.20 0
デリダは途中まではなるほど。
後半から言葉遊びが苛烈さを増して電波になる。
801:はじめ
14/10/06 16:20:15.42 0
フッサール現象学の批判がデリダの出発点だが、そのもっとも核となる
理論を誤解しているのだからどうしようもない。形而上学を批判し現象学
は形而上学であると勘違いし、そして自らが形而上学の罠に陥っている。
802:考える名無しさん
14/10/06 16:49:40.14 0
そういう論文書かないとだめ
803:考える名無しさん
14/10/06 17:15:44.52 0
論文なんかいらないけど、もう少し具体的に指摘しないと、批判にはなりにくいよね。
804:はじめ
14/10/07 01:34:15.67 0
要するにデリダの勘違いはフッサール的‘作用’や‘働き’という概念(又は超越論的主観性)を
実在的「私」として理解しているところにある。
805:考える名無しさん
14/10/07 08:50:36.20 0
もっと具体的にかけよ
806:考える名無しさん
14/10/07 21:33:07.94 0
デリダのどの論文のどのような箇所からそのような結論を導いたのか書いてくれないと
ただの勘違いにしか見えない
807:考える名無しさん
14/10/07 23:02:30.24 0
最も現象学を深く理解しているリトアニア人にも、そんな文句は言われてないよね
808:はじめ
14/10/08 10:12:00.01 0
デリダはフッサールの「諸原理の原理」さえ疑いうるとして差延、痕跡などの
概念を持ち出し現象学の相対化にかかるが、デリダのその論法さえ現象学では
「超越」である。
そしてやはりデリダの誤解の一番の肝は超越論的主観性を「絶対的な私」としての
実在物的な扱いをしているところにある。
809:考える名無しさん
14/10/08 10:24:42.33 0
そんな扱いしてないと思うが
810:おわり
14/10/08 10:52:56.37 0
現象学に対する捻じれたステルス・ネガキャンが酷い。
811:考える名無しさん
14/10/09 21:48:18.53 0
デリダは後半途中出場して掻き回すタイプ。
スタメンでは良さが半減する。
サイドアタッカーだろうね。
特に左からのカットインからゴールを狙うだろう。
つまり、デリダはそういう哲学者だ。