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2015年4月25日 ダイヤモンドオンライン
『五〇年代前半の朝鮮戦争で国土が荒れ果て、世界の最貧国レベルにまで落ち込んでいた韓国。
六三年に第五代大統領となった朴正煕は、ベトナム戦争を復興に向けた千載一遇のチャンスと位置づけた。
粘り強い交渉の結果、アメリカ政府から派兵規模に応じた補助金支給と、対米移民枠の設定を勝ち取り、
六五年から本格的に韓国軍を投入。南側では米軍に次ぐ三十一万人の韓国兵がベトナムに渡った』
TBSワシントン支局長の山口敬之氏は、NARA(国立公文書記録管理局)で、ホワイトハウスや
国務省等の外交文書を読んだ。それら資料から判明したのは、当時のアメリカ政府がベトナムにおける
韓国兵の行状に、相当手を焼いていたということだった。
『韓国兵の蛮行の記録は、本格派兵直後の六五年から始まっていた。戦地での市民の虐殺、強姦から、
サイゴンなどの都市部での為替偽造、物資の横流し、麻薬密売に至るまで、ありとあらゆる犯罪記録が
大量に残されていた。米軍司令部は韓国軍司令部に対して繰り返し書簡を送り、違反者の訴追と再発防止を
求めたが、事態は悪化の一途をたどった』
強姦、暴行、窃盗、傷害、軍需物資の不正取得など、おびただしい数の韓国兵の犯罪がさまざまなかたちで
記録されていたとのことだ。アメリカ連邦議会下院の外交委員会では、一九七〇年、韓国軍による虐殺行為を
追及する特別調査チームまでつくられたという。
そして、サイゴン(現ホーチミン市)のアメリカ軍司令部から韓国軍司令部に送られた書簡に、とんでもない
事実が記されていた。不正な通貨を用いて米軍の軍需物資が大量に横流しされていると指摘した文書には、
一連の犯罪のひとつとして、サイゴンの中心部に置かれていた「The Turkish Bath」なる施設についても
言及していた。
施設は文字どおり「トルコ風呂」と訳されるが、書簡には、このトルコ風呂で
「売春行為が行なわれ、ベトナム人女性が働かされている」との記述もあった。
そして米軍とベトナム通関当局が共同で家宅捜索を行なった結果が次のように記されていた。
『この施設は、韓国軍による、韓国兵専用の慰安所(Welfare Center)である』
資料の中には、韓国兵の福利厚生を担当する特務部次長(韓国軍大佐)の署名入りの書類もあり、
その書類には「韓国軍による韓国兵専用の慰安所である」と記されてもいた。
山口氏は、当時を知る人たちへの取材を試みる。
「『トルコ風呂』は、当時サイゴンにいた人のあいだでは『射精パーラー』と呼ばれていました。
若いベトナム人女性から性的サービスを受けることができたからです」
別の米軍OBはこう証言する。
「トルコ風呂で働いているのはほとんどが二〇歳未満の農村部出身の少女だった。一六歳だと語る人もいたし、
もっと若く見える女の子もいた。素朴で華奢な少女たちに夢中になる兵士も多く、彼らは周りからYellow Fever
(黄熱病)と揶揄されていた」
米海兵隊の歩兵部隊長としてベトナムを知るOBも、こう証言した。
「米司令官が指摘している韓国軍の慰安所とは、韓国軍の兵士に奉仕するための大きな性的施設です。
韓国兵士にセックスを提供するための施設です。それ以外の何ものでもありません」
サイゴン市内の別の場所には、ここよりさらに大きな慰安所が設けられていたとのことだ。
施設は内部が多くのブロックに分かれていて、一区画に二〇人前後のベトナム人女性が働かされていたという。
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