韓国軍ベトナム大虐殺の生存者2人が初訪韓「残忍な虐殺と苦痛の悲鳴“虐殺の声”は今も脳裏に」「韓国でベトナム戦争への深い議論を期待する」at NEWS4PLUSD
韓国軍ベトナム大虐殺の生存者2人が初訪韓「残忍な虐殺と苦痛の悲鳴“虐殺の声”は今も脳裏に」「韓国でベトナム戦争への深い議論を期待する」 - 暇つぶし2ch1:オリエンタルな名無しさん@\(^o^)/
15/04/03 16:47:04.59 oUEaKfzX.net
来月4日に入国しソウル、釜山、大邱を訪問
ベトナム戦争当時、韓国軍駐留地域で発生した民間人虐殺事件被害者2人が韓国に来る。
ベトナム戦当時、韓国軍駐留地域の民間人虐殺事件生存者が韓国に来るのは初めて、
1965年10月に韓国軍がベトナム戦に戦闘兵力を最初に派兵して以後50年ぶりであり、
1975年4月30日のサイゴン陥落でベトナム戦が終了し南ベトナムが崩壊してから40年ぶりだ。
ウンウイェン・トルロン氏は1966年2月15日、住民65人が犠牲になった猛虎部隊駐屯地近隣のビンディン省タイビン市アンビン村で、
ウンウイェン・ティタンさんは1968年2月12日住民74人が犠牲になった青龍部隊駐屯地近隣のクアンナム省フォンニィ・フォンニャット村から来た。
事件当日、ウンウイェン・トルロン氏は猛虎部隊員の民家捜索過程で母親と妹を失い、下半身に手榴弾の破片を受け生涯にわたる苦痛を受けた。
ウンウイェン・ティタンさんは村に入ってきた青龍部隊員によって母親、姉、弟、叔母、年下のいとこなど家族五人を失い、兄は身体障害者になり、
本人も腹部に銃弾を受け内臓が外に出る重傷を負い1年間の入院治療を受けた。その日の記憶と後遺症に苦しみながらこれまで生きてきたという二人は、
前もって準備した声明書で「残忍な虐殺と苦痛の悲鳴で記憶される“虐殺の声”は今も頭の中に残っている」として
「私たちの訪問により韓国社会でベトナム戦争に対する深い議論がなされることを期待する」と明らかにした。
ベトナム戦期間である1965~1973年に延べ32万人を派兵した韓国軍は、ベトナム戦当時に北ベトナム軍と南ベトナム民族解放戦線ゲリラなど
敵軍5万人余りを射殺(味方の死亡は5000人)したという戦果だけを公式に明らかにしてきたが、1999年9月に時事週刊誌ハンギョレ21が
ベトナム戦韓国軍作戦地域である中部5省の被害者インタビューを初めて報道した以後、9000人以上の民間人を虐殺したという疑いと論議に包まれてきた。
韓国ハンギョレ新聞  2015.03.30  URLリンク(japan.hani.co.kr)
ベトナム虐殺慰霊廟
ビンアンの大虐殺を伝える壁画 壁画の左端は韓国兵。殺された母親にしがみつく子供や、怒りをぶつける老人が描かれている
URLリンク(blogs.c.yimg.jp)
ビンアンの大虐殺を伝える壁画。裸にされ焼き殺された少女。体には傷があり、韓国軍の銃が向けられている
URLリンク(blogs.c.yimg.jp)
「火に焼かれる裸の女性。強姦されて横たわる女性。累々と横たわる死体。まさに壁画は地獄絵図だった。
遺族の証言によると、韓国軍は、女性や子供、老人などの弱者を中心に殺し、妊婦の腹を裂いたり、子供の手足を 切断したケースもあったという。
URLリンク(livedoor.blogimg.jp)
「私の村は地獄になった」 ニューズウィーク日本版 2000年4月12日号 P.24 韓国軍がベトナムで行った残虐行為の被害者たちが真実を語りはじめた
URLリンク(removalkorea.files.wordpress.com)


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