【民団新聞】在日を見る目は変わった。今や韓国ではザイニチという単語が固有名詞として認識されるまでになったat NEWS4PLUS
【民団新聞】在日を見る目は変わった。今や韓国ではザイニチという単語が固有名詞として認識されるまでになった - 暇つぶし2ch1:鴉 ★@\(^o^)/
16/04/10 06:44:56.44 CAP_USER.net
サラム賛歌<3>在日を見る目は変わった
大学で人権論教える 金洪仙さん
 大阪から、私の大好きな金洪仙さん(64歳)が訪ねて来た。金さんの誘いでソウルの往十里へ、新宿梁山泊の「百年、風の仲間たち」という芝居を見に出かけた。駅前広場のテント小屋は満員だった。
 2010年の「日韓併合」100周年に、なにわの歌手趙博さんが発表した「百年節」。その歌をモチーフにして編まれた舞台だ。5年前にソウルで初演され、その後、日本でも上演された。金さんはこの芝居を、大阪で見ている。
 「大阪より、韓国語を交えた今回のテント芝居の方がさらに感動的だったし、観客の反応もよかった。
前の席にいた韓国の学生たちもよく笑っていたし、拷問のシーンでは泣いていた子もいて、めちゃくちゃ嬉しかった。在日の話が受け入れられた」
 在日に対する韓国人のイメージは、時代とともに変化してきた。70年代には、どっちつかずで中途半端な「パンチョッパリ」と呼ばれた。
80年代、スパイ容疑で逮捕される在日が多かったころ、「差別」「貧しさ」「大金持ち」という両極端のイメージがあった。
 90年代、金さんが韓国旅券で初めて祖国を訪れたときは、「韓国語上手だね」と周囲から驚かれた。在日は韓国語もできず、
民族意識も希薄だと思われていることを、そのとき知った。在日に関心を持つ韓国人は、ほとんどいなかった。
 金さんは『キム・ホンソンという生き方』(解放出版社)の著者で、両手のない一級障がい者。大阪の大学で人権論を教えている。元気いっぱいのなにわのアジュンマで、人と人をどんどんつなげていく力を持っている。
 昨年、金さんは忠清南道端山の中学校に招かれて、講演会を行った。社会科の授業を見学すると、若い女性の先生が、済州島の4・3事件を「痛みの歴史」として、パネルや動画を使って説明していた。
4・3事件で日本に渡った人たちが祖国に帰れず、また帰らずに、在日社会の構成員になったと話した。金さんはその授業内容に感動した。

 今や韓国ではザイニチという単語が固有名詞として認識されるまでになった。
在日のことを知ろうとする韓国人も増えている。
 「百年、風の仲間たち」では、狭間に生きる者に突きつけられる国籍や言語の問題、あるいはイデオロギー、祖国の政治状況に翻弄される在日の姿が、生々しく描かれている。
芝居の中で在日の役を演じたのは、ほとんど日本人だそうだ。新宿梁山泊の演出家金守珍さんの力量は、韓国でも高く評価されている。
 他郷暮らしの哀しみ、虚しさ、喜びを高らかに歌う「百年節」は、「北でも南でもない、猪飼野こそ自分たちの居場所だ」という宣言でもある。猪飼野発の在日文化に共感する韓国の若者たち。わかり合い、通じ合う喜びを、私もテント小屋で共に味わった。
 金さんが大阪に戻る日、金石範さんの『火山島』(韓国語版・全12巻)の新聞広告を見つけて、思わず手に取った。1980年代に日本で発表された当初、韓国では「禁書」として厳しく取り締まられていた。
事件の全貌は今も葛藤の対象だが、作品は韓国読者の手に届くようになった。「百年たてば山河も変わる」という「百年節」の一節が、私の頭の中でリフレインしていた。
URLリンク(www.mindan.org)


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