16/01/11 22:43:47.73 CAP_USER.net
昨年12月28日に旧日本軍の従軍慰安婦問題で、「最終的かつ不可逆的な解決」という画期的な合意に達した日本と韓国。
この歴史的な合意に至るまで、両国政府は少なくとも4年間を断続的な交渉に費やしたが、その間幾度となく交渉は決裂し、行き詰まった。
今回、それを乗り越えて合意できたのは、日本の安倍晋三首相と韓国の朴槿恵大統領いう2人の指導者が最終的に歩み寄ったからに
ほかならない。米国のある政府高官は「この合意は双方にとって非常に重要であり、2人とも辛抱強く交渉を続けた」と明かす。
・米国の絶え間ない「圧力」
もちろん、合意に至った2人の指導者は称賛されるべきだが、この合意は米オバマ政権の絶え間ない「圧力」なしには成し遂げられなかっただろう。
実際、オバマ大統領は公式な方法も用いながら、日韓政府に絶えず圧力をかけてきたからだ。
米政府内では米国が非難を受けることを危惧し、仲裁役を担うことに対する抵抗が強かった。しかし、政府関係者たちは、たとえば合意書の
特定の文言をめぐる日韓の議論など非常に細かい点にまで目を向け、あくまで踏み込みすぎない姿勢を維持しながらも、慰安婦問題解決に
向けての合意は日韓双方の歩み寄りなしにはあり得ない、という米国側の考えを両国に伝え続けていた。
米国がこうした動きを続けていた背景には、特にここ数年の日韓関係の悪化が米国の戦略的利益の逸失につながるとの懸念があったからだ。
米国にとってアジアでの最も重要な同盟国2国の不仲は、常に不安定な北朝鮮や、支配力拡大に躍起になっている中国を抱えるアジアにおける
防衛力の弱体化につながってきた。
今回の合意に至る交渉のきっかけは、アジアの隣国との関係改善を図ろうとしていた民主党政権時にさかのぼる。韓国併合100周年にあたる
2010年、当時の菅直人首相は植民地支配に対する謝罪を発表することによって、韓国との関係改善に向けて前進した。
元ビジネスマンの韓国・李明博元大統領も関係改善には熱心だった。ところが、2011年8月に、韓国憲法裁判所は韓国政府が従軍慰安婦らの
賠償請求問題解決に向けた具体的な努力を行わないのは「違憲」であると判決。これを受けて、日韓両国の外務官僚たちは、元慰安婦への
賠償が公的基金ではなく、個人的寄付によって賄われていることで批判が絶えなかった「アジア女性基金」の代わりになる賠償方法を考える
議論を開始した。
この間、日韓の外務官僚らは日本の首相による犠牲者への謝罪文や、公的な賠償金という位置付けのものがないにしても、公的予算から
人道的支払いを行うなど新たな合意に向けて議論を行っていた(日本は韓国側の求めに対してはすべてサンフランシスコ講和条約や、1965年の
国交正常化時点で解決していると主張しており、今後もそう主張し続けるだろう)。
こうした中、2011年9月には日本でより保守的な思想を持つ野田佳彦氏が菅氏を継いで首相に就任した。父親が自衛官だった野田氏は、
安倍首相と同様に日本右翼保守派の歴史修正主義を個人的に共有し、靖国神社の参拝を支持し、女性に性的奉仕を強制させた
帝国陸軍の公的役割を認める河野談話に反対した。
・慰安婦像に野田首相が激怒
その野田氏と韓国の李氏が京都で首脳会談を行ったのは同年12月18日のこと。その一週間前には、韓国の活動家がソウルの日本大使館の
向かいに「従軍慰安婦像」を建てて物議を醸していた。
この会談で何が行ったのかに関しては、2つの異なる「報告」がある。日本版は、野田氏は経済と安全保障問題を議論する準備をしていたが、
李氏が従軍慰安婦問題を解決しようと求めてきたことに驚かされた、というものだ。
一方、その会談に参加していたというある韓国政府高官によると、両国の外務省間でまとめられた基本文書に野田氏がサインすると韓国側は
期待していたが、野田氏が最初の夕食で怒りながら、像の撤去を求め、新たな謝罪は必要ないと言い放ったことに対して李氏が非常に
驚いたという。結局、この論争は翌日話し合いにまでもつれ込んだそうだ。
(>>2以降に続く)
ダニエル・スナイダー :スタンフォード大学APARC研究副主幹
東洋経済オンライン 2016年01月10日
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