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「日韓」に思う28歳 戦後70年、未来の担い手
聞き手・中野晃、44歳
2015年12月27日01時24分
夫の姜豪峰さんと話す洪里奈さん=中野晃撮影
―洪里奈(ホンリナ)さん。コリアNGOセンターで日韓イベントなどに携わる28歳の在日コリアン3世。夫の姜豪峰(カンホボン)さんと大阪で暮らす―
日韓の国交が正常化してから50年の節目の年でしたが、産経新聞前ソウル支局長の裁判などのニュースが流れるたび、地道に草の根の交流を続ける人たちの努力が踏みにじられるような気がしました。
ヘイトスピーチ(差別的憎悪表現)もそう。この夏も東大阪の駅前で見かけました。大人が「在日韓国・朝鮮人の皆さん、本国に帰ってください」と冷静な口調で繰り返していました。何より怖かったのは、多くの人が何事も起きていないかのようにヘイトスピーチの現場を通り過ぎていったことです。
講師をしている民族学級の子どもも見たらしくて、「先生、悔しい」と言っていました。「日本のみんなが言うてるんじゃないで」って言いましたが、無関心な人の姿を思い出すと今も怖い。私自身すごくしんどく、ストレスで甘い物を食べることが増えました。
私は小中高校に通っている間、通名の日本名を名乗っていました。「特別視されたくない」とおそれていました。小学高学年だった1998年、北朝鮮が長距離弾道ミサイルを発射し、私が在日だと知る男児から「テポドン、テポドン」とからかわれました。
立命館大学に進学後も通名でしたが、自分のルーツのことは気になり、在日の学生団体が主催する講演会を隅っこで聞いたりしていました。冬休みには、戦争中の「朝鮮人強制連行」の歴史を学ぶ北海道でのワークショップに参加し、私を在日として受け入れてくれる大勢の仲間に出会いました。
大きな転機は大学3年の時、同居していた祖母との突然の別れです。敗戦前、日本に渡ってきた在日1世の祖母ですが、文字も、数字も書けませんでした。家ではずっと「ハンメ(おばあちゃん)」って呼んでいたので、本当の名前を葬式で初めて知ったんです。
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