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「私は在日」半生を本に 指紋押なつ拒否の崔さん
2015年11月23日 01時44分
指紋押なつ拒否運動で在日コリアンの人権を訴えてきた女性ピアニスト崔善愛(チェソンエ)さん(55)=東京=が半生を振り返った「十字架のある風景」
(いのちのことば社)を出版した。日本人でも韓国人でもない自分は何者か-。探し続けるうちに、70年前の戦争と無関係ではいられない自分を受け入れていく。
「私は在日」。答えにたどり着くまでの旅路がつづられている。
関西で生まれ、北九州市で育った在日3世。1986年に米国へ音楽留学する際、外国人登録法で定められた指紋押なつを拒否して再入国許可を受けられず、
特別永住者の資格を奪われた経験を持つ。裁判や市民運動などの末、2000年に地位回復を果たした。
日本で生まれ、友人の多くも日本人。指紋押なつへの疑問を訴えれば、国が動くと信じていた。期待は裏切られる。裁判では「言葉を尽くしても伝わらない」
ことを経験。外国人として扱われる現実に、先の大戦で朝鮮半島が植民地支配された歴史を実感した。
それでも生まれ育ったのは日本だ。本当は何者か。好きな音楽の道を歩むためにも「自分」を見つけたいと、留学を決意した。
帰国できない不安の中、亡命者でもあるショパンの音楽に心を揺さぶられた。居場所を追われた悲しみ、怒り…。米国の恩師もまた亡命者で、離日して学ぶ
うちに「日本人でも韓国人でもなく、在日としか言いようがない」と気付いた。
数年前、かつて実家があった北九州市小倉北区を訪ねたときだった。それまで何げなく見ていた近くの「メモリアルクロス」の説明板が目に留まり、朝鮮戦争で
犠牲になった米兵の慰霊碑だと知った。北九州と朝鮮半島。二つの“古里”もまた、戦争とは切り離せないのだと思い知った。
ただ、戦後70年の今、戦争を振り返る報道は多くても、植民地支配に関する検証は少ないと感じる。日本のどの町とも切り離せない歴史なのに。朝鮮戦争の
特需が戦後復興を支えた側面も忘れてほしくない。
裁判中には「日韓の歴史を問い続ける多くの日本人と共に歩み、人間の大いなる良心を知った」。今年の安全保障関連法案に反対するデモでは、先の大戦で父親を
亡くした知人が平和を願って参加する姿を目にし「演奏する音にその人たちの声を刻もう」と誓った。在日のピアニストとして歩み続ける。
=2015/11/23付 西日本新聞朝刊=
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