【話題】在日コリアン2世「数回韓国を訪れたが、パンチョッパリと言われた。自分にとって韓国は済むところではなかった」at NEWS4PLUS
【話題】在日コリアン2世「数回韓国を訪れたが、パンチョッパリと言われた。自分にとって韓国は済むところではなかった」 - 暇つぶし2ch1:動物園φ ★@\(^o^)/
15/11/10 13:05:49.71 .net
 「朝鮮半島にもしものことがあれば、祖国はもちろん、日本の平和もない」。石川県加賀市大聖寺南町に住む在日コリアン二世の
金○○(日本名・□□□)さん(72)が「平和の俳句」を作り始めた。祖国、そして故郷の日本への思いがこめられている。(沢井秀和)
 <板門店二本の国旗風にゆれ>。朝鮮半島の北緯三八度に設けられた板門店を訪れた二年前の風景を思い出して詠んだ。軍事境界線上にある施設の両側には、
北朝鮮、韓国が高さを競うように掲げた二つの国旗がたなびいていた。
 「だれが決めたのか三八度線。私たちはこれ以上北に行けないんだなと思った。血も骨も同じなのに」
 和歌が好きで、約四十年前から折をみてノートにつづってきた。本紙一面の「平和の俳句」に韓国の学生の句が選ばれたのに刺激を受け、句を練り始めた。
 「なぜ私たちが日本にいるのか」。中学生時代に父△△さんに聞かずにはおられなかった。△△さんは、生まれ育った現在の韓国慶尚南道の
昌寧(チャンニヨン)で畑仕事をしていた十五歳の時、刀を突きつけられトラック、貨車、船をへて千島列島に。日本が朝鮮半島を統治していた時代。
飛行場建設の肉体労働が待っていた。賃金は出たが、労働は八年近くに及んだ。解放されて故郷に戻り、結婚。今度は仕事を求めて一人で日本にやって来た。
福井県北部で働き、家族を呼び寄せたという。
 父に刀を突きつけたのは何者かは分からない。父の話を聞いた金さんは「血が逆流するのを感じた」。中学生時代に、ある教諭が学校で擦れ違い間際、
「半島人」と声を上げ指さした。金さんは通称の日本名でなく本名を名乗っていた。「私が何か悪いことをしたのか。何で私が金なのか。いやでしょうがなかった」
 韓国には子育てを終えて数回訪れたが、安らぎの地ではなかった。「私は血も骨も朝鮮民族と思っているが、パンチョッパリと言われる」。半分は日本人
という意味で、「チョッパリ」は日本の蔑称という。「韓国で黙って歩いていると、日本人に思えるのか、片言の日本語で話し掛けられる。いつの間にか、
日本人のしぐさが染み付いていた。自分にとって韓国は住む所ではなかった」
 だが、平和を思うとき、祖国への思いはあふれる。韓国、北朝鮮の国花であるムクゲをめでたり、韓国・南山を訪れて願うのはやはり平和的な半島の統一だ。
<咲きほこるむくげの花よ南と北に><南山のソウルの夜景北までつづけ>
 「私が生きている時代に統一の見込みはないだろう。統一は無理でも、自由に行ったりできる連邦制みたいにならないかと思う」
 子どものころ、けんかになると、「朝鮮人のくせに」との言葉が浴びせられた。今も一部の日本人から見下したような雰囲気を感じることもある。それでも
「日本はいい所」と言い切る。平凡で明るい生活が送られるから。そして思う。「私の七十二年の人生は平和だった。子ども、孫たち、その子々孫々が
暮らすであろう日本がこれからも平和であってほしい」
URLリンク(www.chunichi.co.jp)


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