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沖縄に米軍基地がなくなれば中国の影が増大することは反対派も感じている
1960年代、麻布自動車の躍進とともに、趣味で始めた船もボートからクルーザーへと大きくなっていった。三浦半島の「佐島マリーナ」を所有した森繁久彌さんとも知り合い、森繁さんを会長にして、釣り好き十数人の「幸漁会」なるグループも作った。
「三宅島でカツオやカンパチが大量に釣れる」という話に、森繁さんは「よし、行こう。どうせなら、漁船を造ろう」と言い出した。
そこで、メンバーがそれぞれ200万円ずつ出し合い、約2200万円で漁船を改装し、「幸漁丸」という名前をつけて、三宅島に向かった。驚くほどカツオが釣れた--。
先日、自民党の某元大物幹部が「釣り船を造った経験があるナベさんに紹介したい人がいる」と、沖縄某市の市議を連れてきた。この市議は「石垣島から尖閣諸島に釣り船を出す商売を後押ししたい。ついては、いろいろ教えてください」と言う。
詳しく聞くと、「幸漁丸」のときのようなカネの集め方をしたいという。「いまどき、そういうやり方で集めるのは難しいよ」と言ったが、自信があるようだった。
商売にしたいのなら、かなり大きな釣り船を用意して、船で寝られるようにしなければならない。かつて私たちが改装したカツオ船は16人分のベッド