15/10/23 10:25:58.53 .net
韓半島(朝鮮半島)分断の責任の所在について、日本政府の公式の立場は「日本には責任なし」というものだ。
1995年、当時の村山富市首相は国会で「日本国民として、歴史的責任がある」と発言した。
しかし自民党などが反発の動きを見せると、翌日すぐさま発言を全面的に翻した。
同年10月には、当時の河野洋平外相も「直接的責任はない」という立場を公に表明した。その後も、日本政府は責任を認める発言をしたことがない。
韓国は、日本から謝罪を受け、責任を問いただすべき数多くの歴史的傷を負っている。その中でも、南北分断は最も痛々しく忍びない傷だ。
第2次大戦後のドイツ分断は、敗戦国に戦争責任を負わせるものだった。全く同じ戦犯国・日本は、そうした敗戦の責任を課されなかった。
代わりに被害者たる韓国が、分断という懲罰を背負った。無念で、正義とは呼べない歴史の皮肉だ。
45年以降の解放空間で南北が分断されたのは、幾つもの要因が複雑に作用した結果だ。
最も直接的な原因は、終戦1週間前に参戦し、戦利品を要求したソ連の行為だった。
米国はそんなソ連と妥協し、米ソの冷戦的分割占領が、38度線を境とする分断の状況を生んだ。
韓国側の誤りもあった。突然訪れた解放政局で韓国は左右に分かれ、統一の力量を発揮できなかった。
しかし、いかなる歴史観、いかなる解釈によろうとも、日本の責任が免除されるはずはない。
韓半島の分断は、突き詰めれば日本の帝国主義侵略から始まったからだ。
もし日本が韓半島を併合していなかったなら、韓国は「分断か否か」の岐路に立たされること自体なかった。
日本の植民統治は類例のない厳しいものだった。35年間の植民支配を経る中で、統一された民族国家をつくる韓国の力は衰えていた。
日本に分断の直接的責任があるという史料は山ほど発掘されている。この問題を研究してきた 崔永浩(チェ・ヨンホ)ハワイ大学名誉教授は、
米ソよりも日本の方に主な責任があると断言している。
太平洋戦争末期、敗戦が目前に迫ったにもかかわらず、日本は天皇を守り韓半島の支配を継続するという妄想を抱いた。
日本は、ソ連を仲裁者にして米国と講和しようとした。そのせいで光復(日本の植民地支配からの解放)が遅れ、
ソ連の欺瞞(ぎまん)的「1週間参戦」につながったという。
2015/10/23 09:47
URLリンク(www.chosunonline.com)
URLリンク(www.chosunonline.com)
URLリンク(www.chosunonline.com)
>>2に続きます。