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【産経】「炭鉱現場では、内地人と半島居住者の間に待遇の差はなかった」 九大・三輪宗弘教授[9/28] - 暇つぶし2ch1:ロンメル銭湯兵 ★@\(^o^)/
15/09/28 20:36:47.17 .net
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 ■「徴用」記憶遺産申請方針の韓国は事実に基づく主張を 
 韓国聯合ニュースは今月13日、韓国政府が日本による朝鮮人徴用の記録資料について、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の
世界記憶遺産に申請する方針だと報じた。韓国側は「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録時と同じように、日本による
「強制労働」「強制連行」の非を世界に訴えるとみられるが、徴用について長年研究している九州大大学院の三輪宗弘教授
(経営史、軍事史)は「炭鉱現場などで制度上、日本人と半島出身者の間に差別はなかった」と反論した。
 まず、さきの大戦中には「強制連行」という言葉はありません。
 半島出身者の戦時動員を「強制連行」と表現したのは、朝鮮近代史家の朴慶植(パクキョンシク)氏が昭和40年に出版した
「朝鮮人強制連行の記録」が初めてでしょう。
 朴氏は、炭鉱への戦時動員を民族差別政策と断じ、賃金や職種、宿舎、食事などあらゆる面で差別があったと主張しています。
 「町を歩いている者、田圃(たんぼ)で仕事をしている者など手当たり次第、そのままトラックに乗せて、日本に連れてきた」などと、
徴用を担当したという労務係の証言を、伝聞として掲載し「強制連行」のイメージを作ったのです。この伝聞は日本の歴史教科書にも
採用されました。
 韓国側が「強制連行」と訴えるのは、昭和14(1939)年に始まった「朝鮮人内地移送計画」を指すと考えられます。
 移送といっても、時期に応じて「自由募集」、企業主が朝鮮総督府に依頼し、現地人を介して人を集める「官斡旋(あっせん)」、
そして強制力を持った「徴用」の3形態に分かれます。
 朝鮮半島の人口は、日韓併合時の1300万人から、30年後の15(1940)年には2400万人に増えました。
 農村から都市へ人が流入したのですが、食い扶持がなく、日本に出稼ぎを希望する人が多かった。移送計画開始当時は、
募集人員に対して2倍の希望者があったケースもあった。
 韓国側は強制的に連れて行かれたと主張しますが、自ら日本に来た人も多い。なんともおかしな話です。
 また、自由募集と官斡旋は期間が定められました。
 明治鉱業平山鉱業所(福岡県)が16(1941)年、朝鮮総督府に提出した朝鮮人労働者の募集要綱では、雇用期間を2年に
定めていました。当時、石炭産業では主に2年間が契約期間でした。常磐炭田(茨城県)の資料では、2度契約を更新すれば
賃金は2倍にする、として契約延長を呼びかけたとされています。
 期間を定めていること自体、奴隷のような強制連行ではなかったことを示しています。
>>2以降に続く)
産経ニュース 2015.9.28 07:10
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