【中国抗日式典】 大々的に行うようになったのは1995年から ~対日強硬論の根源、江沢民には個人的な理由が…[08/29]at NEWS4PLUS
【中国抗日式典】 大々的に行うようになったのは1995年から ~対日強硬論の根源、江沢民には個人的な理由が…[08/29] - 暇つぶし2ch1:LingLing ★@\(^o^)/
15/08/29 22:17:33.42 .net
■抗日戦勝記念式典は、いつから強化されたのか?遠藤 誉(東京福祉大学国際交流センター長)
URLリンク(www.newsweekjapan.jp)
大々的な式典を始めたのは江沢民だが、それには理由があった
毛沢東時代には行われていなかった抗日戦勝記念式典は、いつから行われるようになったのか?
習近平政権を読み解くには、そのきっかけと推移を考察し、逆行する対日強硬論の根源を探ら
なければならない。
・大々的な式典は江沢民時代の1995年から始まった
8月26日付けの本コラムで、「毛沢東は抗日戦勝記念を祝ったことがない※」と書いたが、それなら
いったいいつから、そしてなぜ抗日戦勝記念式典を行うようになったのだろうか?
まず結論から言えば、大々的な式典という形で開催し始めたのは江沢民時代の1995年からで
ある。
式典という形でなく、北京やその他の地方における地域性の座談会的なものは、改革開放後の
80年代初頭から徐々に始まっている。しかしそれも、江沢民が国家主席になるまでは、全国的な
行事ではなく、また式典という形で行われたことはない。
1995年5月9日、第二次世界大戦終結50周年という大きな節目にあたり、冷戦構造崩壊後の
旧ソ連すなわちロシアにて、「世界反ファシズム戦争勝利50周年記念」が開催された。当時の
中国の国家主席・江沢民は、当時のロシアのエリツィン大統領の招聘を受けて、会議に出席した。
連合国側の国家として戦ったのは「中華民国」なのだから、「中華人民共和国」が連合国側の
国家として招聘されるというのは、奇妙な話だ。しかし「中華人民共和国」が「中国」を代表する
国家として国連に加盟していたので(1971年)、中華民国の業績も中華人民共和国の業績と
して受け継ぐことになったと解釈することが許されたと、中国は思ったにちがいない。
江沢民にとっては、どれだけ誇らしく、かつ自信をくすぐる大きな出来事だったか、想像に難くない。
1950年代半ばから、ソ連とは中ソ対立があり敵国同士だったが、そのソ連が1991年末に崩壊し
ロシアとなったため、ようやく中国と和解したしるしでもあった。
その夜、モスクワのクレムリン宮殿では、式典を祝賀するための晩餐会が開かれ、各国首脳が顔
をそろえていた。午前中に開かれた記念式典でスピーチをした首脳は、この晩餐会ではもうスピーチ
をしないことになっていたのだが、司会者がなぜか、アメリカのクリントン大統領やフランスのミッテラン
大統領をはじめ、主たる国家の首脳を再び壇上に上がらせ、乾杯の音頭のための挨拶をさせ始
めた。
>>2以降に続く)
※関連スレ【遠藤誉】毛沢東は抗日戦勝記念を祝ったことがない[8/26] [転載禁止](c)2ch.net
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