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Listening:<論点>安倍談話と戦後70年
敗戦から70年の夏に発表された安倍晋三首相の「談話」。「侵略」「おわび」といったキーワードが
ちりばめられた一方で、次世代に「謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と、節目感をにじま
せた。「戦後70年」のけじめになったのか。
◇「侵略」明記の懇談会に沿う 北岡伸一・21世紀構想懇談会座長代理
安倍晋三首相の戦後70年談話はなかなか良かったと思う。21世紀構想懇談会の議論では、
2人の委員から「侵略」という言葉を使用することに異議がある旨の表明があった。しかし、満州事
変以後が侵略であることに残る14人の委員は賛成した。談話が少数の方に流れては困ると思った
が、私たちの報告書の線でまとめてくれた。
東南アジア、太平洋の島々などと具体的な犠牲者のことにも言及した。「深い反省」を述べられた
天皇陛下のお言葉と対照的という報道もあるが、安倍談話は両陛下のサイパンやパラオご訪問と
基本的に似たメッセージだろう。
私は村山富市首相談話に反対ではない。だが、それほどいいとも考えていない。「遠くない過去の
一時期」ではいつのことなのか分からない。なぜそういうことになったかについても述べられていない。
閣内のコンセンサスも不十分だった。いずれも安倍談話の方が優れている。
謝罪を言うなら、村山さんは、首相になるや否や従来の非武装中立論を放棄したことについて、
また阪神大震災の初動の遅れで被害が広がったことについて、有権者や国民に謝罪したのだろうか。
安倍談話の欠点として、主語が一人称でないことが指摘される。しかし、談話の中には「日本は」と
書いている。日本が加害者側であるのは文脈からも明らかだ。首相がこだわった閣議決定は日本の
決定であって、首相個人の意思ではないということではないか。
「謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」という文言も賛否を呼んでいる。首相はここで謝る
から、その後も謝罪する必要はないという意図だろう。ドイツのワイツゼッカー元大統領は、責任は
元来ドイツ人全体でなく、罪を犯した個人が負うという考えを語った。後の世代には過去を記憶する
別の責任があるのである。
外交上の謝罪とは重いもので、道徳的劣位を認めることになる。
中国への公式謝罪は「四つの基本文書」(1972年の日中共同声明、78年の日中平和友好
条約、98年の日中共同宣言、2008年の戦略的互恵関係の包括的推進に関する日中共同
声明)で終わっている。韓国とも、65年の日韓基本条約と98年の日韓共同宣言で済んでいる。
本当に被害を受けた人々には謝罪するとしても、公式謝罪後は、対等の立場で未来をつくることに
努めるべきだろう。謝罪し続けることには私も反対だ。
強いて言えば、歴代内閣の立場を首相自身の言葉で引き継いでほしかったし、朝鮮統治について、
もう少し踏み込んでもよかった。今後、「慰安婦」問題の解決に日韓双方が努力することは重要だ。
安倍首相のイメージと談話に差がある理由の一つに、在野時代とは立場が違うということが挙げら
れると思う。米大統領選の共和党候補が次第に右から中道に寄ってくるのと同じだ。信念が変わ
ったのではなく、勉強して理解を深めたという印象も持った。懇談会では、20世紀の世界と日本の
歩みを論じた第2回が最も大切だった。間違った戦争をしたという報告書の大枠を明確にしたと言え
る。【聞き手・岸俊光】
(>>2以降につづく)
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