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20世紀から21世紀にかけて列島を揺るがした「大事件・事故・ブーム」のその後を追った
大特集。今回は'01年東京・JR新大久保駅の乗客転落事故のその後―
「秀賢は好奇心が強くて、やりたいことは必ず実現しようとする子。“大学の授業で日本に
関心を持った。どんな国か留学して確かめたい”と言うので“行ったことを後悔しないように”と
送り出しました」
と、父・李盛大(イ・ソンデ)さん(77)。
日本と韓国の懸け橋になりたい─そんな大志を抱いた韓国人留学生・李秀賢(イ・スヒョン)
さん(享年26)の夢がはかなく散ったのは、’01年1月26日の夜だった。山手線新大久保駅で、
泥酔した日本人男性がホームから転落した。居合わせた秀賢さんと日本人カメラマンの男性
(享年47)は線路に飛び降り救助を試みたが、電車にはねられ、3人とも死亡した。
秀賢さんが通っていた東京・荒川区の日本語学校『赤門会』の新井時賛理事長(65)は
警察からの連絡で駆けつけ、秀賢さんの遺体と対面した。
「顔だけがひどい状態で、最後の最後まで助けようとして正面衝突したのだとすぐ
わかりました。よほど必死だったのでしょう……」(新井さん)
見知らぬ人のため命をなげうった2人は日韓両国から称賛され、とりわけ秀賢さんの
国境を越えた勇気ある行動には、多くの人々から驚嘆の声があがった。2人の親御さんの
もとへは、全国からたくさんのお見舞金が届いた。
秀賢さんの父・盛大さんは、「息子の死を知ったときは驚きや後悔、悲しみのほうが
大きかった。秀賢を誇りに思えたのは、日本のみなさんが息子をたたえ温かい言葉を
かけてくれたからです」と語る。
両親は秀賢さんの志を継ぎ、新井理事長にある依頼をした。
「ご両親から“倅(せがれ)の一生と日本人の善意を無にしないよう、いただいたお金は秀賢と
同じ日本語学校生のために役立てたい”と申し出があったんです。そこで、ご両親と
賛同する方からの寄付金で奨学会を立ち上げました」(新井さん)
奨学会は秀賢さんの頭文字を取り『エルエスエイチアジア奨学会』と名づけられた。
’14年までの13年間で18か国からの留学生689人に奨学金を支給した。両親は毎年、
秀賢さんの命日のほか、奨学金授与式に足を運ぶ。’13年と’14年には日本の小学校を
訪問し、命の大切さを考える道徳の授業に参加した。
「訪日するのは毎回楽しみなんです。どこかに秀賢がいるような気がして」(盛大さん)
母・辛潤賛(シン・ユンチャン)さん(65)は秀賢さんの死後、日本語の勉強を始めた。
韓国まで墓参りに来てくれる日本人に、日本語でお礼を伝えたいそうだ。秀賢さんの妹・
李秀珍(イ・スジン)さん(39)は、両親を気遣い実家近くに越した。盛大さん夫婦は、
2人の孫に目を細めているという。
盛大さん一家には、異国で長男を亡くしたことをうらめしく思う気持ちはないのか。
「とんでもない、一切ありません。息子が自ら起こした行動の結果ですから。秀賢の勇気も
日本人からの励ましも、この15年間、1日たりとも忘れたことはありません」
そう言い切る盛大さんの脳裏には、ある出来事が浮かぶという。
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