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「日本の茶文化は元々韓国から渡ったものだが、彼らがそれを整えて育てて自分の物のように、
世界に自慢しています。誰もしないから、私でも、緑茶を私たちの固有の茶として、また育て
上げなければなりません。」
アモーレパシフィックを創業したソ・ソンファン(※徐成煥、2003年死去)会長が普段周囲の人々に
口癖のように言った言葉だ。ソ創業者はいつも「国に力がなく、文化産業を伝える大企業がなく、
美しかった韓国の茶文化が姿を消している」と残念がった。
結局、彼は1979年経営陣の反対を押し切って済州漢拏山南西道順地域の荒れ地を茶畑に
開墾し始めた。ソ創業者の緑茶事業は、スタートから順調ではなかった。事業公表直後、会社の
経営陣らは「化粧品事業で儲けたお金を茶事業で吹き飛ばすことはできない」と彼を圧迫した。
茶栽培のための敷地購入も地域住民たちの激しい反発に直面した。茶畑開墾のための敷地の
買い入れを不動産投機だと誤認した済州島民の抗議が殺到したためだ。
しかし、「コーヒーより良い茶を国民に伝える」というソ創業者の執念は消えなかった。彼は私財を
はたいて緑茶事業を開始しており、道民を説得する働きかけも忘れなかった。ソ創業者の努力で
アモーレパシフィックの雪緑茶は36年越しで韓国を代表する茶になった。
ソ・ギョンベ(徐慶培)会長は、そんな父親の「底力」を見て育った。息子は今、父親が作った茶を