15/07/04 10:51:58.87 .net
【歴史戦 第11部 もう一つの慰安婦問題(2)】ベトナム戦争時の韓国軍慰安所「売春宿、だまされて来た女性も」(1/4ページ) - 産経ニュース
URLリンク(www.sankei.com)
URLリンク(www.sankei.com)
米公文書に記された「韓国軍慰安所」の建物。現在は衣料品店になっている=ホーチミン市内
韓国軍がベトナム戦争中(1960~75年)に南部サイゴン(現ホーチミン)に「慰安所」を設けていた-。「週刊文春」(4月2日号)が報じた米公文書の存在は、韓国内で波紋を広げた。
韓国紙ハンギョレは朴槿恵(パククネ)政権に実態解明を求めた。日本統治下の慰安婦問題で日本政府を批判しながら、ベトナムで韓国兵が利用する「慰安所」を運営していたとの指摘に
無視を決め込んでいいのかという疑問からだ。
6月中旬、公文書に記されていたホーチミンの「韓国軍慰安所」を訪れた。
市の中心部からバイクで10分。衣料品店が立ち並ぶディエンビエンフー通り沿いに公文書にある番地を見つけた。住民に尋ねると、向かい合って建つ2つの商店を指さした。
「当時店の看板は『マッサージ』でしたが、実際は売春宿でした」
現在は婦人服店と子供服店だが、外観は当時とほとんど変わらないという。子供服店の隣に住むグエン・マン・ダン(90)は述懐した。
「支配人はがっしりした体格の韓国人のキムという人物で、韓国軍を辞めて店をやっていました」
ダンによれば、キムは当時30~40代。2つの店は戦時中に営業し、若いベトナム人女性十数人が働いていた。ダンは断定を避けながらもこう語った。
「所有者のベトナム人女性と韓国軍が一緒に経営していたと思いますよ」
ベトナムの「韓国軍慰安所」について記した米公文書は、米軍がベトナム駐留韓国軍最高司令官、蔡命新(チェミョンシン)に宛てて、韓国軍士官らが関与した米ドルや米軍票の不正操作、
米軍物資の横流しなどの経済事犯を通報した書簡だ。
69年に作成されたとみられ、週刊文春でTBSワシントン支局長(掲載時)の山口敬之が報じた。
韓国は65年から73年にかけて米軍に次ぐ規模になる約32万人をベトナムに派兵した。「青竜」「猛虎」などの主力部隊は中部に展開したが、司令部はサイゴンに置かれた。
公文書は、米軍とベトナム通関当局による捜査結果として、事件に関わった韓国陸軍の大佐ら6人と米軍兵3人の実名を列挙。加えて、不正事案の舞台となったサイゴンと中部ダナンにある
韓国系施設約10カ所の名称も明らかにした。
捜査対象の中心となったのがディエンビエンフー通りの施設だった。韓国軍大佐ソ・ユンウォンが署名した書類を建物の所有者が提出しており、そのなかで「トルコ風呂(Turkish Bath)は
韓国兵専用の慰安所(Welfare Center)」と説明されていた。
バイクタクシー運転手、ボー・バン・マオ(58)は12歳のころ、施設の客用の駐輪所でアルバイトをしていた。当時のことを覚えているという。
「店の前の道路には、軍用車両がよく止まっていましたよ」
マオによると、店では米軍票と米ドル紙幣が使え、韓国兵も利用していた。通常は軍施設でしか通用しない軍票を、有利なレートで現地通貨や米ドルに交換するといったヤミ両替が行われていたと
みられる。
公文書は後の捜査で判明した事実として、施設について、38ドルで売春婦と一晩をともにできること、韓国兵以外の外国人も利用できたことも記してある。
戦時中、歩兵部隊を率いていた元米軍将校は、施設を利用したことはなく伝聞だと断った上で、「慰安所は売春宿だった。それ以外の何ものでもない」と言い切った。女性たちについては「主に
ベトナムの地方出身者だった。貧困から家族によって送り出される場合もあれば、自発的にやってくる女性もいた。だまされて連れてこられた人もいただろう」と述べた。(敬称略)